甲斐拓也の学歴と経歴|出身は楊志館高校!大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

プロ野球選手の甲斐拓也さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「甲斐キャノン」の異名をとる強肩の甲斐さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

甲斐拓也(かい たくや)

 

 

1992年11月5日生

身長170㎝

血液型はO型

 

大分県大分市出身のプロ野球選手

福岡ソフトバンクホークス所属

本名同じ、愛称は「甲斐キャノン」

 

以下では甲斐拓也さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

スポンサードリンク

 

目次

甲斐拓也の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:楊志館高校

出身中学校:大分市立稙田東中学校

出身小学校:不明

 

甲斐拓也の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

甲斐拓也さんの出身小学校は、地元大分市内の公立校のようですが校名などの詳細は不明です。

 

ただし出身中学校の校区からすれば、以下の3校のいずれかの可能性が高そうです。

 

大分市立寒田小学校

大分市立敷戸小学校

大分市立鴛野小学校

 

家族構成は母親と兄、弟の4人家族です。

 

 

甲斐さんが2歳の時に両親は離婚をしており、以降は母子家庭で育ちました。

 

母親はタクシーの運転手として働いていました。

 

また甲斐さんは母親と非常に仲が良く、友人感覚で何でも話をするそうです。

 

小学1年生のときに3歳年上の兄の影響で野球をはじめています。

 

甲斐さんは自身の小学校時代のことについてインタビューでは次のように話していました。

 

「小原団地の中にあるんですが、小・中学生の頃までそこで遊んでいましたね。兄とよくキャッチボールをしたり、小学生の時は友だちと野球をして遊んだり…。小さい頃はこの公園で野球ばかりしていたね。」

 

この頃からすでに野球選手になりたいと思っていたことも明かしていました。

 

 

スポンサードリンク

 

甲斐拓也の学歴~出身中学校(大分市立稙田東中学校)の詳細

 

出身中学校:大分県 大分市立稙田東中学校 偏差値なし

 

 

 

甲斐拓也さんの出身中学校は、地元大分市内の公立校・大分市立稙田(わさだ)東中学校です。

 

中学時代には学校の部活動には在籍せずに、「大分リトルシニア」に所属をして内野手としてプレーをしていました。

 

ポジションは主にセカンドでした。

 

このチームでは読売ジャイアンツ入団した田中太一さんとチームメイトでした。

 

中学3年生だった2007年には、全国大会にも出場をしています。

 

甲斐さんは中学生の頃からずっと仲が良い友人が7人ほどいるとのことで、プロ野球選手になってからも関係が続いています。

 

この7人の友人と会うときはかなり楽しい時間を過ごせるようです。

 

【主な卒業生】

中西里菜(元AKB48)

 

スポンサードリンク

 

甲斐拓也の学歴~出身高校(楊志館高校)・大学の詳細

 

出身高校:大分県 楊志館高校 偏差値42~45(コース不明のため)

 

 

 

甲斐拓也さんの出身高校は、私立の共学校の楊志館(ようしかん)高校です。

 

この高校は1947年開校の私立高校で、硬式野球部が県内では強豪として知られています。

 

また同校は以下の8つのコースを設置していますが、甲斐さんがどのコースに在籍したかは不明です。

 

医療事務:偏差値45

工業:偏差値44

進学:偏差値44

商業:偏差値43

調理:偏差値43

福祉:偏差値43

保育進学:偏差値43

キャリアライセンス:偏差値42

 

ちなみに甲斐さんの兄もこの高校の卒業生で、エースとして甲子園に出場を果たしています。

 

高校時代は硬式野球部に在籍をしていました。

 

 

この高校に入学後は小学生の頃から念願だった捕手へ転向しており、高校2年生からは正捕手になりました。

 

転向の理由についてはチームになかなか捕手がいないという事情があり、フットワークが良く肩も強いということで「甲斐さんに捕手をやらせてみてはどうか」という話になったそうです。

 

ちなみにそれまでは内野手で主にセカンドを守っていました。

 

以降は甲斐さんがチームの中心として成長をしていきました。

 

 

また監督は甲斐さんについて「人一倍負けず嫌い。ほかの選手に負けたくないという強いメンタル、意識の高さのある子でした」と語っています。

 

甲斐さんはささいな校則違反をしたことで、けじめと言う意味もあり普通では弱音を吐いてダウンしてしまうような厳しい罰則を与えられたことがありました。

 

雨が降っている中で2時間半かけて黙々と罰則をやり切ったそうです。

 

加えて監督は甲斐さんの野球への姿勢には頭が下がるほどだと話しています。

 

 

当時の甲斐さんの野球ノートには、同じ捕手だった故野村克也さんらの名言を残しており、「そんなことを書くのは拓也ぐらい。賢くて、負けず嫌い。プロ向きだと思った」と振り返っています。

 

ただし甲斐さんは高校時代は甲子園に出場はできませんでした。

 

高校3年生の夏には、大分県予選で明豊高校に準々決勝で完封負けをしました。

 

甲斐さんは高校通算40本塁打のうち、高校3年生の春から夏にかけて25本量産したことで甲子園への出場も期待されていましたが夏の大会で初戦敗退をしています。

 

そのため高校3年生の7月下旬で野球部を引退しています。

 

当時の状況では高校卒業後の進路にプロの道に進むという選択肢はないような状態でしたが、甲斐さんは野球けるかどうかの決断を下せないままでした。

 

しかし監督がソフトバンクの九州担当スカウトに連絡をしており、甲斐さんのプレーを一度見てもらうように依頼をしました。

 

そして甲斐さんのスローイングなどが評価をされたことと翌年からソフトバンクが三軍制度を導入するタイミングが重なったこともあり、2010年のドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから育成6位指名を受けています。

 

 

ちなみにこの年の福岡ソフトバンクホークスのドラフトは大豊作で、以下の選手たちを獲得しています。

 

柳田悠岐(ドラフト2位)

千賀滉大(育成4位)

牧原大成(育成5位)

 

【主な卒業生】

矢方美紀(元SKE48・転校)

中西里菜(元AKB48・中退)

小野晴香(元SKE48)

吉田綾乃クリスティー(乃木坂46)

 

甲斐さんは高校卒業後は大学には進学せずに、福岡ソフトバンクホークスに入団をしました。

 

育成契約出身の選手ながら、25歳だった2017年にレギュラーを獲得しています。

 

 

以降はチームの主力選手として活躍しており、強肩を買われて侍ジャパンのメンバーにも選出されています。

 

 

2023年のWBCでの活躍も期待ですね。

 

以上が甲斐拓也さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

ドラフトでは育成6位で指名されましたが、見事に福岡ソフトバンクホークスの主力選手に成長しています。

 

 

また侍ジャパンの正捕手として、東京オリンピックでも活躍しました。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

スポンサードリンク



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。

 

関連記事一覧

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次