人気俳優の小泉孝太郎さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。部活動に打ち込んだ高校時代や俳優を志した大学時代など、学生時代のエピソードや情報も併せてご紹介いたします
小泉孝太郎(こいずみ こうたろう)
1978年7月10日生
身長177㎝
血液型はAB型
神奈川県横須賀市出身の俳優
本名同じ
以下では小泉孝太郎さんの学歴や経歴、出身高校・大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます。
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小泉孝太郎の学歴まとめ
出身大学:日本大学 経済学部夜間部(中退)
出身高校:関東学院六浦高校
出身中学校:関東学院六浦中学校
出身小学校:関東学院六浦小学校
小泉孝太郎の学歴~出身小学校(関東学院六浦小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 関東学院六浦小学校
小泉孝太郎さんの出身小学校は、横浜市金沢区にある私立の共学校の関東学院六浦(むつうら)小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
曾祖父は逓信大臣を務めた小泉又次郎さん、祖父は防衛庁長官を務めた小泉純也さん、父親は内閣総理大臣を務めた小泉純一郎さんという政治一家に育っています。
父子家庭に育つ
小泉さんは4歳の時に両親が離婚して父親の純一郎さんに引き取られます。
実の母親はエスエス製薬創業者・泰道照山氏の娘の宮本佳代子さんで、わずか5年ほどで純一郎さんと離婚しています。
また離婚時には宮本さんは妊娠しており、後に孝太郎さんや進次郎さんの弟にあたる佳長さんを出産していますが、親権は宮本さんが持ち育てています。
そのため小泉兄弟は三兄弟ということになります。
また離婚後は同居していた純一郎さんの姉の道子さん(故人)が孝太郎さんと進次郎さんの母親代わりとなっています。
(道子さん)
純一郎さんの子育ては厳しくお年玉はわずか500円で、来客からの小遣いなどもすべて断っていました。
純一郎さんが野球好きだったこともあり、小学校4年生から少年野球チームに入って野球に打ち込んでおり、当時はピッチャーを務めていました。
後に弟の進次郎さんも同じチームに所属しており、兄弟でバッテリーを組んだこともありました。
少年野球の練習の際にはよく兄弟げんかをしたこともあり、その際にはコーチになだめられています。
また父親の純一郎さんも時折、キャッチボールをしてくれました。
その他にも水泳を習っており、スポーツは得意なようです。
また小学生時代に見た映画「E.T.」の影響で、俳優になることを夢見ています。
(小学校時代・写真左から純子さん(純一郎さんの妹)、孝太郎さん、純一郎さん、進次郎さん、純子さんの息子)
なお子供の頃は正月は毎年親子でスキー場に行っており、正月を実家で過ごしたことがなかったとインタビューで話しています。
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小泉孝太郎の学歴~出身中学校(関東学院六浦中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 関東学院六浦中学校 偏差値51(普通)
小泉孝太郎さんの出身中学校は、私立の共学校の関東学院六浦高校です。
この学校は高校の系列校のため、高校へは内部進学で進んでいます。
中学時代は野球部に在籍してレギュラーとして活躍しています。
ただしバッティングに難があり、打率は1割台でした。
また簡単ゴロを華麗にさばくように見せる「技」も持っていました。
小泉兄弟は兄弟仲が非常にいいことで知られていますが、中学時代からは兄弟の結束が強まったとのこと。
父親の純一郎さんが多忙だったこともあり、「親に話せないことは兄弟同士で相談するように」と言われており、この時期から兄弟でよく話し込むようになったようですね。
ただし友人からは「君らの兄弟仲は異常」と冷やかされたこともありました。
中学時代にはじめて彼女と交際
なお後にバラエティ番組「しゃべくり007」に出演した際に、小泉さんは中学1年生の時にはじめて彼女ができたことを明らかにしています。
お相手は藤枝有紀子さんという同級生です。
初デートは映画「ゴースト」を観たそうです。
ただしその際には彼女と2人だけではなく、「付き添い」の友達6、7人と観ています。
それでもその際には映画に感動して涙した彼女に、そっとハンカチを渡して優しい面を見せています。
しかし先輩などから「〇〇と付き合ってんの?」と聞かれるのが嫌で、彼女とは数週間で別れてしまっています。
とは言えこのような理由で別れてしまったことは現在でも後悔しています。
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小泉孝太郎の学歴~出身高校(関東学院六浦高校)の詳細
出身高校:神奈川県 関東学院六浦高校 偏差値54(推定・普通)
小泉孝太郎さんの出身高校は、私立の共学校の関東学院六浦(むつうら)高校です。
この高校は1953年開校の関東学院大学の系列の私立高校です。
また同校はスポーツが盛んでラグビー部が県内では強豪として知られています。
小泉さんが在学中は同校は高校からの募集のない完全中高一貫校だったことから、偏差値は推定になります。
弟の進次郎さんもこの高校の出身者ですが、3歳年下なので在校期間は重なっていません。
高校時代は野球に打ち込んでいた!
小泉さんは高校時代は硬式野球部に所属して、部活動に打ち込んでいました。
当時は本気で甲子園を目指していました。
当時の同校の野球部は練習が非常に厳しく高校3年間は野球漬けでした。
また高校3年生の時に地方予選で腰を痛めてベンチ入りできず、最終学年時にはスタンドで応援団長を務めて声援を送っていました。
この時には大きな挫折感があったことを小泉さんはインタビューで話しています。
「高2のときに椎間板ヘルニアを患って、野球を続けられなくなったんです。気持ちを切り替えて応援団で頑張ろうとしたんですけど、このときの挫折感は実はいまもけっこう残っています。いまだに試合の夢を見るんです。「これに勝てば甲子園に行けるぞ!」というシーンで目が覚める。自分のなかにまだ完全に消えていない悔しさや後悔があるのかもしれません」
(引用:朝日新聞EDUA)
チームも早々と地区予選で破れてしまったことから、小泉さんはしばらく甲子園中継を見る気が起こらなかったとインタビューで話しています。
なお高校時代の野球経験を買われて、2008年には「速報!甲子園の道」や「熱闘甲子園」のキャスターに起用されています。
加えて高校時代は弟の進次郎さんも同じ敷地内の系列中学校に在籍していたことから、先輩に目をつけられた時などは孝太郎さんの友人がなだめたというエピソードもあります。
なお詳細は後述しますが、小泉さんは父親の純一郎さんが幼少期に離婚したため、進次郎さんとともに純一郎さんの姉の道子さんに育てられています。
兄弟ともに道子さんを実の母親と思っていましたが、孝太郎さんが高校2年生の時に、純一郎さんから道子さんは実の母親ではないことを告げられています。
ただしその際は孝太郎さんは道子さんが実の母親ではないことにうすうす気づいていたそうです。
なお高校時代は野球がメインだったことからあまり勉強を熱心におこなっておらず、100点中50点とっておけばいいやという気持であったことをインタビューで明らかにしています。
加えて小泉さんは大学に進学した理由については次のように話しています。
「大学に進んで、就活して――というレールから一呼吸置きたかったんです。親には申し訳なかったのですが、いったん立ち止まって考えたかった。高校3年のときの担任がすごく熱心な女性の先生で、親身になって進路について考えてくださって、心の支えになってくれました。「小泉が一番没頭できたり、熱中できたり、一生懸命になれるものを探しなさい」と」
(引用:朝日新聞EDUA)
なおこの高校の卒業生は原則として系列の関東学院大学に内部進学することができます。
小泉さんはそれをせずに浪人生活を送っていますが、より難関大学への進学を狙ったからでしょう。
【主な卒業生】
古谷徹(声優)
竹中直人(俳優)
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小泉孝太郎の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 経済学部Ⅱ部(夜間部・中退) 偏差値45(容易)
※現在は廃止
小泉孝太郎さんは高校卒業後は、日本大学経済学部Ⅱ部(夜間部)に進学しました。
日大の経済学部の夜間部は2009年に廃止され、現在はありません。
なおインターネット上には小泉さんの進学先の大学を慶応義塾大学とする情報もありますが、これは正しくはありません。
恐らくは小泉さんの父親の小泉純一郎さんが慶応義塾大学の出身なので、混同してしまっているようです。
ちなみに小泉さんはこの大学には現役ではなく、2年間の浪人生活の末に入学しています。
第一志望は別の大学でしたが受験に失敗して、滑り止めだったこの大学に進学しています。
大学に進学するにあたっては父親の純一郎さんからは、「無駄に大学の4年間を過ごすんだったら、行かなくてもいい。やりたいことがあれば挑戦すればいい」と言われたことをインタビューで明らかにしています。
大学生活を満喫していた
小泉家の先祖がとび職人だったことから大学時代はとび職などに憧れて、ニッカポッカをはいて解体現場でアルバイトをしたこともあります。
他にも大学時代の友人に誘われて、一日中パンにバナナを乗せる仕事もしたとのこと。
また大学時代のデートの際に、電信柱に純一郎さんのポスターが貼られているのを見ると「正気に戻った」と語っています。
当時は父親の存在を邪魔に思ったり、合コンの際には苗字を名乗りたくなかったなどとも話しています。
「横須賀の小泉」だけで素性がバレてしまうこともあり、合コンでは「僕は関係ないです。違う小泉です」と言ったこともあるとのこと。
しかし後に大河ドラマ「八重の桜」で将軍の徳川慶喜を演じた際には、内閣総理大臣まで上り詰めた父親がそばにいたことで、「生い立ちが無駄になることはない」と感じたそうです。
また実は当初は父親と同じ政治家を志そうと思ったそうですが、純一郎さんから「政治家はつらいぞ。ほかに夢中になれることを探せ」と反対されたことをインタビューで明らかにしています。
なお俳優の上地雄輔とは子供の頃から寝泊まりする仲で、一緒に同じアルバイトをしたこともありました。
また俳優になるにあたっては上地さんに相談しています。
大学2年生で俳優を目指す
22歳だった2000年に本格的に俳優を志して「21世紀の石原裕次郎を探せ」のオーディションに応募していますが、身長が180㎝に満たなかったことから二次審査で落選しています。
ちなみにこのオーディションでグランプリに輝いたのは俳優の徳重聡さんです。
また幸運なことにその翌年に父親の小泉純一郎さんが内閣総理大臣に就任すると、小泉さんは話題性もあったことで複数の芸能事務所の争奪戦となって芸能界入りしています。
ちなみにこの際に大学は中退していますが、小泉さんはこのあたりの経緯については次のようにインタビューで話しています。
「大学には行きましたが、中退し、思い切って芸能界に入る挑戦をしました。いま考えても、あの父じゃなかったら許されなかったでしょうね。総理大臣の息子が芸能界に入るなんて、普通はあり得ないですよね。でも父は「孝太郎の人生だからやってみなさい」と言ってくれました」
(引用:朝日新聞EDUA)
そして24歳だった2002年にテレビドラマ「初体験」で俳優としてデビューしています。
当初は演技にも難があり話題性が先行していましたが、同じ事務所だった故いかりや長介さんに可愛がられ、演技も学んでいます。
「もちろん、自分だけの力じゃなくて、いかりや長介さんに出会えたことはとてつもなく大きかったですね。さまざまな経験をしてきたいかりやさんが出し惜しみせず、僕にすべてを注ぎ込んでくれた。仕事の後、一緒に飲みに行って『役者にはいろいろなタイプがいるけど、今、お前は上を見すぎずにコレをしておけばいい』と教えてくれたり」
(引用:とらばーゆ)
以降は数々のテレビドラマや映画に起用されています。
またタレントとしても数々のバラエティ番組に出演しています。
以上が小泉孝太郎さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
幸いにも父親のネームバリューで芸能界入りしましたが、その後は演技を磨き多くのドラマに出演する中堅俳優の地位も築きました。
またキャスターとしての適性も高く、バラエティ番組などでも人気を博しています。
加えて2019年5月には女優の芦名星さんとの熱愛も報道されて大きな話題になっています。
マルチな活躍をする小泉さんの今後に期待です。
小泉孝太郎の経歴・プロフィールのまとめ
1978年(0歳):神奈川県横須賀市で生まれる
父親は元内閣総理大臣の小泉純一郎
1982年(4歳):両親が離婚して、以降は父子家庭に育つ
2000年(22歳):オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ」に落選
2001年(23歳):芸能事務所イザワオフィスに所属
2002年(24歳):テレビドラマ「初体験」で俳優デビュー
2002年(24歳):「狂った果実」でドラマ初主演
2009年(31歳):「コールセンターの恋人」で連続ドラマ初主演
2011年(33歳):NHKの朝ドラ「カーネーション」に出演
2015年(37歳):連続ドラマ「下町ロケット」に出演
2022年(44歳):大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演
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