田中将大の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と学生時代のかっこいい画像

 

プロ野球選手の田中将大さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。高校時代に甲子園を沸かせた田中さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

田中将大(たなか まさひろ)

 

 

1988111日生

身長190㎝ 体重97.5kg

血液型はA型

 

兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手

本名同じ、愛称は「マー君」

 

以下では田中将大さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

田中将大の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:駒沢大学附属苫小牧高校

出身中学校:伊丹市立松崎中学校

出身小学校:伊丹市立昆陽里小学校

田中将大の学歴~出身小学校(伊丹市立昆陽里小学校)の詳細

 

出身小学校:兵庫県 伊丹市立昆陽里小学校

 

 

 

田中将大さんの出身小学校は、地元兵庫県伊丹市内の公立校の昆陽里(こやのさと)小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

読売ジャイアンツに所属する坂本勇人選手とは、小学校、中学校時代の同級生でした。

 

田中さんは小学1年生の時に軟式少年野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」で野球を始めており、小学2年生で「伊丹スポーツ少年団」に入団をしました。

 

 

当時のポジションは内野手でしたが、強肩を活かして捕手に転向しています。

 

昆陽里タイガースの記録係で小学校のPTA会長を務めていた人によると、田中さんは練習に黙々と打ち込み、授業中も真面目に先生の話を聞くタイプだったとのことです。

 

田中さんは当時から練習後に自主練習をおこなうなど、熱心に野球に取り組んでおり、この頃から真面目な性格だったようです。

 

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田中将大の学歴~出身中学校(伊丹市立松崎中学校)の詳細

 

出身中学校:兵庫県 伊丹市立松崎中学校 偏差値なし

 

 

 

田中将大さんの出身中学校は、地元伊丹市内の公立校の松崎中学校です。

 

中学時代には「宝塚ボーイズ」で硬式野球を始めています。

 

ちなみに小学校時代にチームメイトだった坂本さんは伊丹シニアに進み、別々のチームでプレーしていました。

 

当初は捕手としてプレーをしていましたが、強肩を買われて投手も務めていました。

 

田中さんは「宝塚ボーイズ」に入っていなければ、今の自分はないと語るほど、当時の監督からの指導は大きな財産になったようです。

 

中学3年生の時には関西南選抜チームに選出されています。

 

【主な卒業生】

坂本勇人(プロ野球選手・読売ジャイアンツ)

太野彩香(NGT48)

 

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田中将大の学歴~出身高校(駒沢大学附属苫小牧高校)・大学の詳細

 

出身高校:北海道 駒沢大学附属苫小牧高校 体育コース 偏差値39(かなり容易)

 

 

 

田中将大さんの出身高校は、私立の共学校の駒沢大学附属苫小牧高校です。

 

この高校は1964年開校の駒沢大学の系列の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

特に硬式野球部やスケート部が強豪です。

 

田中さんが他校を選ばずにこの高校への進学を選択した理由についてインタビューで次のように話しています。

 

「フィーリング(感覚)もありました。声掛けの仕方だったり、どのような意識で練習をしているのか。そこに魅力を感じて選びました」

引用元:北海道新聞

 

また関西圏の高校に比べて北海道の高校なら甲子園に出場しやすいことも理由のひとつでした。

 

ちなみに当初は奈良県の智弁学園高校への進学が決まりかけていましたが、当時の智弁学園高校の野球部の監督が交代して、白紙になっています。

 

この高校の1年生だった頃に夏の甲子園で優勝を果たしており、このことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「『あっ、こんなにすごい先輩たちなんだ』と思いました。サポートメンバーとして現地で一緒に練習しました。甲子園で1戦ずつ勝っていく中で『すごいな、すごいな』と思っていたら、優勝にたどり着いた。甲子園で戦っているところを身近に感じられ、すごくよかったと思いました」

引用元:北海道新聞

 

なお田中さんはこの時はベンチ外でした。

 

そして高校1年生の秋からベンチ入りして、投手兼捕手として活躍していました。

 

 

高校2年生の春のセンバツでは初めての挫折を味わっており(2回戦敗退)、この出来事が田中さんにとって大きな転機となりました。

 

そして田中さんは春の選抜大会で負けた後、自身の投球フォームの改善や体力の強化に励んでいます。

 

日々の練習後には、独自のトレーニングメニューをして、同時にメンタル面の強化にも力を入れて取り組みました。

 

当時の監督は、田中さんは負けたことで大きく成長したと語っています。

 

高校2年生の時には主力選手として夏の甲子園での優勝に貢献しており、この年には秋の国体や神宮大会で優勝を勝ち取っています。

 

 

この時には田中さんは「高校ナンバーワン投手」と呼ばれるようになりました。

 

そして田中さんは「もっと速い球を投げよう」と思うがあまり、フォームを崩しています。

 

高校3年生の夏の甲子園では、決勝戦で早稲田実業学校高等部の斎藤佑樹さんと対戦をしたことで、話題を集めましたが決勝再試合で負けて準優勝となりました。

 

 

ちなみに田中さんはこの大会での活躍をきっかけに「マー君」という愛称が広がり親しまれるようになりました。

 

2006年の高校生ドラフトでは、田中さんは「12球団どこでもいいです」というコメントを残しており、日本ハムなど4球団から1位指名を受けています。

 

 

【主な卒業生】

橋本聖子(政治家、元スピードスケート選手)

伊藤大海(プロ野球選手・北海道日本ハムファイターズ)

八木将康(俳優)

 

大学には進学していない

 

なお田中さんは高校卒業後は大学には進学せずに、楽天ゴールデンイーグルスに入団をしました。

 

2007年にプロ1年目からいきなり二けた勝利(11勝)を挙げています。

 

2009年のWBCの日本代表メンバーに選出されて優勝の原動力になっています。

 

2011年に19勝を挙げて最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得。

 

2013年には240敗の驚異的な成績を記録しています。

 

 

そして同年のオフに当時の日本円で182億円もの金額で、ポスティングでニューヨーク・ヤンキースに移籍。

 

 

ヤンキースでも毎年二桁勝利を挙げて、エース級投手として活躍していました。

 

私生活では2012年にタレントの里田まいさんと結婚し、2016年に長男が誕生しています。

 

 

2021年に日本球界に復帰しましたが、本来のパフォーマンスは発揮できていません。

 

とは言えこれまで卓越した実績を残してきました。

 

今後の大きな飛躍にも期待が高まります。

 

 

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