プロ野球選手の湯浅京己さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。2022年に中継ぎ投手としてブレイクした湯浅さんですが、高校時代はケガに苦しんで、マネージャーを務めていたこともありました。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
湯浅京己(ゆあさ あつき)
1997年7月17日生
身長183㎝
血液型はO型
三重県尾鷲市出身のプロ野球選手
阪神タイガース所属
本名同じ
以下では湯浅京己さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
湯浅京己の学歴まとめ
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出身高校:聖光学院高校
出身中学校:尾鷲市立尾鷲中学校
出身小学校:尾鷲市立尾鷲小学校
湯浅京己の学歴~出身高校(聖光学院高校)の詳細・マネージャーだった!
出身高校:福島県 聖光学院高校 スポーツ探究 偏差値40(容易)
湯浅京己さんの出身高校は、私立の共学校の聖光学院高校です。
この高校は1962年開校のキリスト教系のミッションスクールです。
また部活動が盛んで、特に硬式野球部は全国大会の常連です。
加えて同校は以下の4つのコースを設置していますが、湯浅さんはスポーツコースにあたるスポーツ探究コースに在籍していました。
福祉探究:偏差値45
進学探究:偏差値44
工学:偏差値43
スポーツ探究:偏差値40
湯浅さんは三重県尾鷲市出身ですが、福島県のこの高校に越境入学しています。
そのため高校時代は3年間にわたり寮生活をしていました。
高校入学後に本格的に投手に挑戦しています。
ただし親元を離れて念願だったこの高校に進学をしましたが、入学して間もない5月に腰痛に襲われています。
成長中で痛みが激しく歩くこともつらい状態で、野球どころではなかったといいます。
医師からは「ある程度、身長が伸びきらないと治らない」と告げられて、地元に帰ることも考えたほどでした。
そんな時に母親は「絶対に治るから」と励まし、2週間に一度ほどステーキを真空パックに入れて送っています。
湯浅さんは痛みを我慢しながらストレッチやウォーキングなどできることをやりつつ、チームのためにノックの補助などを手伝っていました。
秋ごろには部長から「マネージャーをやらないか」と言われており、湯浅さんは乗り気ではありませんでしたが治った時に選手として復帰することを条件にマネージャーを引き受けています。
湯浅さんはマネージャーとしての時間も無駄にすることなく、スコアを付けながら常に耳で情報収集をしていました。
当時のことについてインタビューでは次のように振り返っています。
「監督さんや部長さんが選手に注意していることを真横で聞いていた。たとえばピッチャーの牽制のタイミングとか…。エンドランを仕掛けてくるカウントとか、そういうのを聞いて頭に叩き込んでいた。自分が復帰したときに注意されないようにと思って」
そして高校2年生の秋に念願の内野手から投手に転向をして選手に復帰をしており、11月の練習試合では135kmを記録しました。
高校3年生の春の県大会で公式戦デビューをしており、自己最高記録の145kmを記録しましたが、その後の甲子園のメンバーからは外れていました。
湯浅さんは高校卒業後の進路を考えたときに周囲からは大学進学を勧められましたが、野球に集中したいという強い思いがありました。
とは言え、一旦意見を聞き入れて大学受験もしましたが、全国経験がないため1次の書類審査だけで落ちています。
そして2017年にBCリーグのドラフト1位で富山GRNサンダーバーズに入団をしています。
富山GRNサンダーバーズは1年目からローテーションに定着しています。
すると2018年のドラフト会議では、阪神タイガースから6位指名を受けています。
阪神タイガースでは入団4年目の2022年に中継ぎ投手として頭角を現して、45ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎのタイトルも獲得しています。
2023年のWBCでは侍ジャパンのメンバーにも選出されています。
今後の活躍にも期待ですね。
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湯浅京己の学歴~出身中学校(尾鷲市立尾鷲中学校)の詳細
出身中学校:三重県 尾鷲市立尾鷲中学校 偏差値なし
湯浅京己さんの出身中学校は、地元三重県尾鷲市内の公立校・尾鷲市立尾鷲中学校です。
中学時代は学校の野球部ではなく、伊勢志摩ボーイズに在籍をしてプレーしていました。
中学時代は主に内野手を務めていました。
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湯浅京己の学歴~出身小学校(尾鷲市立尾鷲小学校)の詳細
出身小学校:三重県 尾鷲市立尾鷲小学校
湯浅京己さんの出身小学校は、地元尾鷲市内の公立校・尾鷲市立尾鷲小学校です。
家族構成は両親がいることは分かっていますが、きょうだいの有無については現時点では情報がなく不明です。
湯浅さんの京己(あつき)という名前には「己の京(みやこ)を築けるように」という思いが込められて命名されています。
父親は野球経験があり、社会人の昭和コンクリートで捕手としてプレーをしていました。
小学4年生の頃から尾鷲野球少年団で野球をはじめました。
湯浅さんは小学1年生の頃から野球をはじめたいと思っていましたが、肩やひじのことを考えて父親から止められています。
そのため尾鷲野球少年団に入団するまでは、父親とキャッチボールなどをやっていました。
また子供の頃は身長が伸びずに悩んでいましたが、母親「成長期が来たら絶対足は速くなるし、力もつくから大丈夫」と湯浅さんを安心させてくれたといいます。
小学6年生の時にかつてイチロー選手の専属打撃投手を務めていた奥村幸治さんが講演で来ており、公演の中で何度も聖光学院高校の名前が出てきました。
湯浅さんは具体的な内容は覚えていませんが、この時から聖光学院高校が好きになって進学したいと思うようになりました。
以上が湯浅京己さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
高校時代はケガに苦しんだことから、回り道をしてプロ入りしています。
するとプロ入り4年目に中継ぎ投手としてブレイクしています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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