スポーツキャスターやタレントとして活躍する長嶋一茂さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をご紹介いたします。学生時代のエピソードや浮世離れしたお坊ちゃん育ちの情報も併せてご紹介します
長嶋一茂(ながしま かずしげ)
1966年1月26日生
身長181㎝
血液型はB型
東京都出身のタレント、俳優、元プロ野球選手
本名同じ
以下では長嶋一茂さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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長嶋一茂の学歴まとめ
出身大学:立教大学 社会学部経済産業学科
出身高校:立教高校
出身中学校:白根開善学校中等部→大田区立田園調布中学校
出身小学校:大田区立田園調布小学校
長嶋一茂の学歴~出身小学校(大田区立田園調布小学校)の詳細~お坊ちゃんぶりがすごい
出身小学校:東京都 大田区立田園調布小学校
長嶋一茂さんの出身小学校は、地元大田区の公立校の田園調布小学校です。
父親はプロ野球界のスーパースターの長嶋茂雄さんで、4人きょうだいの長男として生まれています。
長女の長島有紀さんは一般人、次女はスポーツキャスターの長島美奈さん、次男はレーシングドライバーの長島正興さんです。
(長島三奈)
また実家は日本でも屈指の高級住宅街の田園調布にある豪邸で、この地域でも名物物件として知られています。
当初は上北沢の340坪の豪邸に住んでいましたが、幼少期に田園調布に引っ越しています。
田園調布の物件は200坪なので、引っ越した際には「ちっちゃくなったね」と母親に言ったエピソードが残されています。
ちなみに上北沢の豪邸は、その後に中曾根康弘元内閣総理大臣に貸しています。
長嶋さんの子供の頃は自宅に来客が多かったことから、お年玉が40万円~50万円になったエピソードを明らかにしています。
また小学校時代から行きつけの寿司屋があって、一度に好きなものを100貫ほど食べて、まぐろの塊を全部食べたことをバラエティー番組で語っています。
さらに小学生時代には学校の調理実習で肉5キロや桐箱入りの高級トマトを実家から持参して、先生や同級生を驚かせたエピソードも残っています。
子供の頃は両親から怒られたことがなかったそうですが、このあたりには浮世離れした「お坊ちゃん育ちぶり」を感じるところです。
長嶋さんは父親の影響でプロ野球選手を夢見て、小学校4年生の時に地元のリトルリーグ「目黒東クリッパーズ」に入団して野球をはじめています。
ところがその前年に父親の茂雄さんが現役を引退したこともあって、長嶋さんが野球をはじめると大勢の報道陣が練習場などにやって来ました。
そのためマスコミからたびたび取材されたことから、友達から孤立するのを恐れて、リトルリーグは1年半で辞めてしまっています。
野球の練習が終わり、友達同士で楽しく話していると、そこにカメラを構えた記者たちが近寄ってくる。それに気付くと、友人たちは一茂のもとからスッと離れていってしまう。思春期の彼にとって、それは途方もなく悲しいことだった。1年ほど経って、そんな生活にうんざりして野球をやめてしまった(AERAより引用)
記事引用:Yahoo!ニュース
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長嶋一茂の学歴~出身中学校(大田区立田園調布中学校・白開改善学校中等部)の詳細
出身中学校:東京都 大田区立田園調布中学校 偏差値なし
長嶋一茂さんの出身中学校は、地元大田区の公立校の田園調布中学校です。
当初は群馬県中之条町にある全寮制の私立中学の白根開善学校中等部(偏差値30)に入学しています。
この中学校は1学年25名のみの少数教育が特徴の中学校で、学年の壁を取り払った能力に応じた教育を実施していることで知られています。
親の方針で家に依存しないように離れた中学校に進学させたようですが、1年間で退寮して、田園調布中学校に転校して卒業しています。
やはり田園調布から群馬県の郊外の町に移り住むのはちょっと無理があったようですね。
白根開善学校時代には陸上部に所属していました。
また田園調布中学校でも陸上大会の時だけ陸上部に所属して、100m走で大田区の決勝に進むなど、中学時代から身体能力の高さを示しています。
後述するように長嶋さんは小学生時代に野球を辞めており、中学時代もプレーはしていませんでした。
中学時代は毎日塾に通って熱心に勉強しており、毎週日曜日には家庭教師も付けていたほどです。
(中学校時代)
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長嶋一茂の学歴~出身高校(立教高校)の詳細
出身高校:埼玉県 立教高校 偏差値68(難関)
※現在は立教新座高校
長嶋一茂さんの出身高校は、私立の男子校の立教高校です。
立教大学の系列校で、2000年に立教新座高校に改称しています。
長嶋さんは一般受験で神奈川県の桐蔭学園高校(偏差値65)にも合格していますが、「父親と同じ立教で野球をやりたい」と思って、この高校に進学しています。
一部で「おバカタレント」の声もある長嶋さんですが、実は勉強は得意で優秀だったのです。
実家は田園調布にあることから、高校時代は寮生活をしています。
前記のように中学時代はいったん野球から離れていましたが、高校では硬式野球部に入部しています。
(高校時代)
高校で再び野球をはじめたのは中学時代に早稲田実業の荒木大輔さんの甲子園での活躍を目の当たりにしたことがきっかけでした。
当初はブランクに苦しんでおり、1年生の時はキャッチボールも満足にできないほどでした。
また学園祭の時におこなわれた練習試合では、レフトの守備でバンザイバックをしてエラーを犯してランニングホームランを許してしまい、試合を見ていた女子からは「あんなに下手なの?」と言われたエピソードも残っています。
しかし本人の努力もあって高校2年生の秋からはチームの4番に座って、主力選手として活躍しています。
ただし高校時代には甲子園には1度も出場できず、高校3年生の夏の埼玉県大会では準決勝で優勝した所沢商業高校に惜敗しています。
高校時代も月100万円の小遣いをもらっていた長嶋さんですが、当時は1日6食も食べており、寮の食事だけでは足りずに、焼き肉屋や中華料理店などに通っていたことをインタビューで答えています。
またその際には他の野球部員に豪快におごっていたことも明らかにしています。
「僕の親がお金を持っているのをみんな知ってましたから、群がってくる。食費が倍どころじゃない。みんなに奢るのが慣例みたいになっちゃってた」
記事引用:smart-flash.jp
「お金を使うのは食事だけで。寮で野球部の子をみんな連れて行くから。それで焼き肉行って20~30人連れて行ったら30万くらいいっちゃう。俺は(お金を)いれてくれとは言っていない。お袋が勝手にいれちゃうんだからね」
記事引用:スポーツ報知
ちなみに100万円の小遣いは食費以外に使ったことがないとのこと。
高校時代も熱心に野球に打ち込んでいた長嶋さんですが、その反面高校の試験などではカンニングをやっていたとテレビ番組で大胆な告白をしています。
「ボクも基本的に期末とか中間はカンニングしましたからね。だって、野球ばっかりやってたから試験勉強やる時間ないもん、俺」
記事引用:J-CASTニュース
【主な卒業生】
関口宏(タレント)
佐野元春(ミュージシャン)
みのもんた(タレント)
古舘一郎(アナウンサー)
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長嶋一茂の学歴~出身大学(立教大学)の詳細
出身大学:立教大学 社会学部経済産業学科 偏差値58(中の上・当時)
※現在産業経済学科は募集停止
長嶋一茂さんの出身大学は立教大学です。
在籍した社会学部は現在は偏差値63程度ですが、当時は現在ほど高くありませんでした。
後述するように長嶋さんはこの大学の系列校に通学していたので、大学へは一般入試ではなく内部進学で進んでいます。
大学でも野球部に所属して、1年生の頃からレギュラーを務めたほどです。
東京六大学での通算成績は次のようになっています。
出場101試合 382打席86安打 打率.225 本塁打11本 打点54
大学3年生と4年生の時に2年連続でベストナインに選出されており、大学4年生の時には主将を務めています。
また大学4年生の時には日本学生選抜のメンバーに選ばれて、後に名球会入りをする古田敦也さんや野村謙二郎さんを押しのけて4番に座るほどでした。
ちなみに父親の茂雄さんも立教大学の野球部出身です。
長嶋さんはボンボン育ちで知られていますが、バラエティー番組「ダウンタウンなう」に出演した際は、大学・高校時代の小遣いが月100万円であったことを明らかにして松本人志さんや浜田雅功さんらを驚かせています。
「高校、大学時代は母親から常に100万円が口座に振り込まれていた」
「僕はたくさん食事をしていて、学校の食事だけでは全然まかなえなかったので、外食が多かったんです。お袋が気づくとお金をたくさん入れてくれていて、すぐにたくさん使っちゃってた」
記事引用:RBB TODAY
ただしヤクルトスワローズに入団した際にもらった契約金8000万円で、大学・高校時代の小遣いをすべて母親に返したとコメントしています。
スーパースター長嶋茂雄の息子として大きな期待を背負いましたが、プロ入り後はレギュラーに定着できず、大きな挫折を味わっています。
そして30歳の時に当時巨人軍の監督を務めていた父親の茂雄さんから戦力外通告を受けており、この時のエピソードを次のように話しています。
「親父から引退勧告されるのは10月か11月。4年間一回も喋ったことないのに電話かかってきて、”お前家来い”って呼ばれたから、そういうことなんだなってすぐ分かった。”お前、来年の戦力に入ってないから”って言われて、”はい、わかりました”って言って帰ってきた」と告白。その上で「親父にそんなこと言わせちゃった自分がなんてダメな男なんだろうって思った。言わせたくなかった」と振り返っている
とは言え現役引退後はスポーツキャスターやタレント、そして俳優としてマルチに活躍して、各分野で成功を収めています。
以上が長嶋一茂さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
その後はプロ野球選手となり、大きな期待も寄せられましたが残念ながら大成はできませんでした。
しかし引退後は稀有なタレント性を発揮して、タレントやキャスター、俳優として活躍しています。
なおあまり知られていませんが、長嶋さんを芸能界入りさせたのは大御所お笑いタレントの明石家さんまさんです。
野球を辞めた際には自律神経失調症などで苦しんでいた長嶋さんをさんまさんは自分の番組に次々に出演させてタレントとしての知名度を上げ、以降はスポーツキャスターや俳優など活動の幅を広げていきました。
まさに長嶋さんにとってさんまさんは恩人と言っても言い過ぎではありませんね。
MCなどを務めることのできる器用さも兼ね備えており、今後も多方面での活躍が期待されます。
経歴・プロフィールの詳細
22歳:1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズから1位で指名され入団。
28歳:ヤクルト時代はレギュラーに定着できず、1993年に金銭トレードで巨人に移籍。
30歳:1995年のオフに戦力外通告を受けて引退。
引退後はタレントに転身し、「さんまのSUPERからくりTV」などのバラエティー番組に出演。
またスポーツキャスターとしても活動し、「スポーツMAX」や「プロ野球ニュース」などの番組に出演。
33歳:1998年にはドラマ「なにさまっ!」で俳優デビューし、NHKの朝ドラ「オードリー」などにも出演。
34歳:1999年に自身の会社の同い年のマネージャーの女性と結婚し、双子の女児がいる。
37歳:2002年の映画「ミスタールーキー」で主演し、2008年の「ポストマン」でも主演している。
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