プロ野球選手の山川穂高さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。球界を代表する長距離砲の山川さんですが、実は母子家庭に育った苦労人です。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
山川穂高(やまかわ ほだか)
1991年11月23日生
身長176㎝
血液型はA型
沖縄県那覇市出身のプロ野球選手
埼玉西武ライオンズ所属
本名同じ
以下では山川穂高さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
山川穂高の学歴~出身小学校(那覇市立城北小学校)の詳細
出身小学校:沖縄県 那覇市立城北小学校
山川穂高さんの出身小学校は、地元那覇市内の公立校・那覇市立城北小学校です。
家族構成は母親と2人家族です。
山川さんが生まれてすぐに両親は離婚をしており、母子家庭という環境で育っています。
母親は優しく芯のある人で、余計な口出しはせずに控えめに見守るような人でした。
平日は仕事と家事をこなし、土日には山川さんの応援にも欠かしませんでした。
山川さんは幼稚園の頃から書道を習っており、他にも水泳やアイススケートも習っていました。
書道は母親に勧められてはじめており、習いはじめたときから「辞めたい」と言っていましたが中学3年生で八段を取得するまで続けています。
母親は書道以外の習い事などは何も強制しませんでしたが、書道に関しては八段を取得するまで続けるように厳しく言われています。
また山川さんはアパートの4階に住んでいましたが、5階に住んでいた家族と仲が良くそこのお姉さんがピアノ教室をやっており、遊びに行く感覚でお喋りをしながら弾いていた時期がありました。
小学6年生の時に友人がテレビ番組「大改造!! 劇的ビフォーアフター」の挿入曲「TAKUMI/匠」を弾いており、かっこよくて教えてもらい鍵盤ハーモニカで練習をして学校のグランドピアノで弾いていました。
一時期はひたすら鍵盤に触っており、この時にピアノの面白さに気付いたといいます。
また小学1年生の時から小学4年生まで沖縄県内にひとつだけあるスケートリンク「サザンヒル」に通ってアイススケートを習っていましたが、小学5年生の時に野球をはじめたため辞めています。
山川さんが野球をはじめることになったきっかけについてインタビューで次のように話していました。
「きっかけはよく覚えてます。小学3年のときにめちゃくちゃ仲良かった屋良くんって友だちがいて、今もめちゃ仲がいいんですけど、そいつが野球部に入っていて『野球やろうぜ』って誘ってきた。それからです。それまでアイススケートをやってたんです。」
山川穂高の学歴~出身中学校(那覇市立城北中学校)の詳細
出身中学校:沖縄県 那覇市立城北中学校 偏差値なし
山川穂高さんの出身中学校は、地元沖縄県那覇市内の公立校・那覇市立城北中学校です。
中学時代は中学校の野球部ではなく、硬式野球チームのSOLA沖縄に所属してプレーしています。
また当時は一塁手として全国大会で3位の成績を残しています。
後述するように山川さんは小学生の頃から趣味でピアノを演奏しており、中学生の頃には合唱コンクールで伴奏を務めています。
自宅にはピアノはありませんでしたが、中学2、3年生のときに合唱コンクールで伴奏をすることになったため電子ピアノを購入してもらいました。
通常はピアノを習っている女子が伴奏を務めることが多かったとのことですが、音楽の先生に誘われて合唱コンクールに向けて1ヶ月ほど先生からピアノを習いました。
また山川さんは中学校に入学前には40kg台だった体重が高校に入る頃には90kgにまで増えています
当時はかなりよく食べていたようで、インタビューでは「決して裕福ではないけど、僕がお母さんのぶんもご飯を食べて、育ててもらったので……」と話していました。
【主な卒業生】
川田広樹(お笑い・ガレッジセール)
YUKINARI(元DA PUMP)
松田るか(女優)
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山川穂高の学歴~出身高校(沖縄県立中部商業高校)の詳細
出身高校:沖縄県 中部商業高校 偏差値39(かなり容易)
山川穂高さんの出身高校は、県立の共学校の中部商業高校です。
この高校は1965年開校の県立校で、スポーツが盛んなことで知られています。
特に女子バレーボール部は県内でも強豪です。
また同校は以下の4つの学科を設置していますが、山川さんがどの学科に在籍したかは不明です。
国際ビジネス:偏差値39
情報ビジネス:偏差値39
生涯スポーツ:偏差値39
総合ビジネス:偏差値39
前記の多和田さんは高校の2学年下の後輩でもありました。
山川さんはこの高校の硬式野球部に入部して、部活動に打ち込んでいました。
この高校の野球部は上下関係が厳しく、高校1年生はなかなかベンチにさえ入れてもらえない状況でした。
山川さんは誰よりも練習している自信はあるにも関わらず、グラウンドに立てずに応援席で眺めている毎日に嫌気がさし、母親にはじめて「野球を辞めたい」と話しました。
母親は承諾をしてくれて、続けて「でも、せっかくだから次の大会で負けるまではやってみたら」と山川さんに言ったそうです。
高校1年生の11月にあった1年生だけの大会に出場して辞めようと思っていました。
この大会では4番に抜擢されており、山川さんは人生で初めてのホームランを放ちました。
この出来事が山川さんの転機となっており、「あの一本がなければ、僕は100%野球をやめていた」と当時を振り返っています。
その後は野球を辞めたいという迷いを捨てて、長距離打者として練習を重ねていきました。
高校2年生の秋には4番に座り、高校3年生の夏には沖縄大会の決勝まで進みました。
しかし興南高校に敗退して甲子園への出場は逃しています。
それでも山川さんは高校通算27本塁打を放ちました。
なお山川さんは高校野球を引退後にこれまで趣味として演奏していたピアノを約半年ほど習いましたが、楽譜は読めないとのことです。
【主な卒業生】
YAMATO(ORANGE RANGE)
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山川穂高の学歴~出身大学(富士大学)の詳細
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出身大学:富士大学 経済学部経営法学科 偏差値35(かなり容易)
山川穂高さんは高校卒業後は、私立大の富士大学に進学しています。
この大学は岩手県花巻市にある経済学部のみを設置している単科大学です。
山川さんは高校までで野球をやめるつもりでしたが、高校3年生の時のバックスクリーンへのホームランを見たこの大学の野球部の監督にスカウトされています。
その際には1年生から必ず4番を打たせることと、必ずプロ入りさせることを約束して、土下座までされて懇願されています。
そのためこの大学に進学して、硬式野球部に入部しています。
この大学の野球部の2学年下には、後に埼玉西武ライオンズでもチームメイトになる多和田真三郎さんも在籍していました。
山川さんは大学1年生の時から4番に座り、主力選手として活躍しています。
そればかりか日米大学野球選手権やアジア野球選手権の日本代表に選出をされています。
また大学通算で11本塁打を放っており、気づくとプロのスカウトから注目を集める選手に成長をしていました。
2013年にはドラフト2位で埼玉西武ライオンズに指名をされて入団しました。
山川さんは契約金の使い道について尋ねられた際には、「一人で育ててくれた母に、かわいい車を買ってあげたい」と答えています。
以降の活躍は周知の通りで、埼玉西武ライオンズではプロ入り5年目にレギュラーとして定着しています。
また2018年19年、22年にはパリーグのホームラン王にも輝いています。
2023年には侍ジャパンのメンバーにも選出されており、WBCでの活躍も期待されています。
今後の活躍にも期待です。
以上が山川穂高さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
プロ入り後は多少伸び悩みましたが、その後はプロ野球界を代表する長距離打者に成長しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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