リーチマイケルの学歴|出身は東海大学・札幌山の手高校!中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

ラグビー選手のリーチ・マイケルさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。日本代表でも長らく主力選手として活躍するリーチさんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

リーチ・マイケル

 

 

1988107日生

身長190㎝、体重105

血液型はA

 

ニュージーランド出身のラグビー選手

本名同じ

 

以下ではリーチ・マイケルさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

リーチ・マイケルの学歴まとめ

 

出身大学:東海大学 体育学部スポーツ教育学科

出身高校:セント・ビーズ・カレッジ→札幌山の手高校

出身中学校:セント・ビーズ・カレッジ

出身小学校:不明

 

リーチ・マイケルの学歴~出身小学校

 

出身小学校:不明

 

リーチ・マイケルさんの出身小学校は、ニュージーランドの学校のようですが校名などは不明です。

 

父親はスコットランド系の白人で、母親はフィジー出身という家庭に育っています。

 

また姉と妹がおり、妹のアネさんもラグビーをやっており立正大学に留学して現在も日本でプレーしています。

 

 

リーチ・マイケルさんは5歳の頃から母親の勧めで地元のクラブチームに入ってラグビーをはじめています。

 

当時の将来の目標はオールブラックス(ラグビーニュージーランド代表)かフィジー代表(母親がフィジー人)になることでした。

 

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リーチ・マイケルの学歴~出身中学校(セント・ビーズ・カレッジ)の詳細

 

出身中学校:ニュージーランド セント・ビーズ・カレッジ 難易度不明

 

 

 

リーチ・マイケルさんの出身中学校は、ニュージーランドのクライストチャーチにある私立の男子校のセント・ビーズ・カレッジです。

 

中学時代もラグビー部に入部して、競技に打ち込んでいました。

 

ちなみに中学校1年生だった頃にニュージーランドで食べたカツカレーの味は衝撃的だったと語っています。

 

「カツを食べるのも初めて。おいしくてすっかりはまりましたね」

 

中学校時代の友人の母親が日本人だったことからこの頃から日本食に親しんでおり、当時からツナマヨのおにぎりがお気に入りで納豆も食べることができます。

 

またその際に「いただきます」と「ごちそうさまでした」などの日本語も学んでいます。

 

なおこの友人は現在は神戸製鋼でプレーしているイーリ・ニコラスさんです。

 

(イーリ・ニコラス)

 

このような経緯でリーチ・マイケルさんは中学校時代に日本に興味を持っていますが、前述のように中学校時代に日本からの留学生と仲良くなったことがきっかけで高校は日本に留学することを決意しています。

 

ちなみにイーリさんの父親が留学事業を手掛けていたことから、札幌山の手高校への留学が決まっています。

 

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リーチ・マイケルの学歴~出身高校(セント・ビーズカレッジ・札幌山の手高校)の詳細

 

出身高校:北海道 札幌山の手高校 体育コース 偏差値42(容易)

 

 

 

リーチ・マイケルさんの出身高校は、私立の共学校の札幌山の手高校です。

 

この高校は1911年開校の私立高校で、部活動が非常に盛んです。

 

特にバスケットボール部やラグビー部、陸上部などが全国大会の常連として知られています。

 

また同校は以下の4つのコースを設置していますが、リーチ・マイケルさんは体育コースに在籍していました。

 

特別進学:偏差値56

進学:偏差値49

体育:偏差値42

総合:偏差値40

 

当初はニュージーランドのセント・ビーズ・カレッジ(難易度は不明)に在籍していました。

 

 

 

この高校はニュージーランドのクライストチャーチにある私立の男子校で、ラグビーの強豪校として知られています。

 

リーチ・マイケルさんはこの高校のラグビー部に在籍していました。

 

中学校時代にラグビー留学に来た日本人学生と知り合ったことで、日本に興味を持っています。

 

そして高校1年生の時に、札幌山の手高校への交換留学の話が舞い込んで来ました。

 

すると2つ返事でこの話を受けています。

 

後のインタビューでも次のように話しています。

 

「何があっても、日本に行きたかった。NZを出たかった。出ていった方がお父さん、お母さんの負担も減るし、自分で好きなこともできると思った。」

 

そして高校1年生の途中から札幌山の手高校に編入しています。

 

 

なお高校時代の2番目のホームステイ先は寿司屋で、やってきたその晩に寿司を振舞ってくれています。

 

またホストファミリーの夫婦は3人の息子たちと同じように接してくれて、現在でもリーチ・マイケルさんは「お父さん、お母さん」と呼ぶほど慕っています。

 

来日当初は「ねえねえ」しか日本語を話せませんでした、ホストファミリーの親切な対応によってホームシックにはならなかったそうです。

 

 

そしてこの高校でもラグビー部に入部して、競技に打ち込んでいました。

 

すると抜群の身体能力で1年生の頃からフランカーとしてレギュラーを掴み、この年(2004年)の花園にも出場しています。

 

ところが花園では2回戦で強豪の正智深谷高校(埼玉県)に5-89で完敗しています。

 

当時の正智深谷高校はトンガ人留学生の重量フォワードが武器でしたが、リーチ・マイケルさんはトンガ人留学生に歯が立ちませんでした。

 

この試合については後に次のように振り返っています。

 

「花園に行ったら札幌のラグビーと全国のラグビーの差があまりにも大きかった。(1年生の時に5-89で完敗した)正智深谷の試合が、僕の原点になりました。山の手と正智深谷の差、自分の実力と正智深谷のトンガ人留学生の大きな差を感じて、すごくいい刺激をもらいました」

 

そのためこの試合以降はウェートトレーニングでの肉体改造に励んでいます。

 

 

その甲斐もあって高校時代は3年連続で花園に出場しています。

 

また高校3年生の時には高校日本代表に選ばれて、国際大会も経験しています。

 

 

ちなみに来日当時の体重は78㎏でしたが、高校時代にはファミレスで400グラムのハンバーグを2つを食べるなどしたことから、高校を卒業する頃には体重も100㎏を超えています。

 

また大学進学時には東海大学のほか、日本体育大学や筑波大学、国士舘大学などから声がかかりましたが、東海大学のグラウンドや自然環境が気に入ったことからこの大学に進学しています。

 

 

【主な卒業生】

安倍理津子(歌手)

芳賀愛華(ファッションモデル)

 

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リーチ・マイケルの学歴~出身大学(東海大学)の詳細

 

出身大学:東海大学 体育学部スポーツ教育学科 偏差値45(容易)

※現在はスポーツ・レジャーマネイジメント学科

 

 

 

リーチ・マイケルさんは高校卒業後は、東海大学に進学しています。

 

この大学に進学にしたのは教員免許を取ることできるという理由からです。

 

当時はトップリーグや日本代表で活躍できると思っておらず、出身の高校の体育教師になろうと思っていました。

 

ただし実際に教員免許を取得したかは不明です。

 

 

大学時代は体育会のラグビー部に在籍して、競技に打ち込んでいました。

 

当時のこの大学のラグビー部の練習は厳しかったことをインタビューで振り返っています。

 

「東海大にはいい先生もたくさんいて、いい思い出ばかりですが、ラグビー部(の練習は)は地獄でした(苦笑)。朝から近くの山やグラウンドを走ったり、1000回も腕立てをしたり、ご飯をたくさん食べたり……。大変でした。ただ、それが僕の財産になってます。僕の土台を作ってくれたのは東海大です」

 

それでも1年生の頃からレギュラーとして活躍しています。

 

大学2年生だった2008年にはU20日本代表のキャプテンを務めて、ラグビージュニア世界選手権に日本代表として出場しています。

 

また大学3年生の時には所属した東海大学のラグビー部は全日本大学選手権で優勝し、その際には主力選手としてチームをけん引しています。

 

 

4年生の時にもこの大会に出場していますが、ベスト4止まりで連覇はできませんでした。

 

なお大学時代にもキャプテンを経験していますが、本人はもう二度とキャプテンはやりたくないとインタビューで話しています。

 

「大学時代にも1回キャプテンをやったけど、「もう二度とやらない」って自分に約束した。下の面倒をみたり、人の前に出たりするのは、あまり向いてない」

 

とは言えリーチ・マイケルさんは大学時代にラグビー選手として大きく成長して、トップリーグのチームからも注目される存在になっています。

 

 

そして大学を卒業した2011年に東芝に入社して、同社のラグビー部の東芝ブルーインパルスに入部しています。

 

社会人1年目からラグビー日本代表に選出されて、母国ニュージーランドでおこなわれたラグビーワールドカップにも出場しています。

 

 

ただしその際には日本代表は予選で4連敗を喫し、予選敗退となっています。

 

そしてその4年後に開催された2015年のラグビーワールドカップにも日本代表メンバーとして出場。

 

 

この大会では五郎丸歩さんらとともに主軸として活躍して、強豪の南アフリカやサモアに勝利しています。

 

ただし残念ながら予選で31敗の好成績を残したにも関わらず、決勝トーナメントには進出できませんでした。

 

とは言えこの際には日本国内にラグビーブームを巻き起こしています。

 

ただしその翌年には代表から離れていますが、その理由についてはインタビューで次のように語っています。

 

「当時は5年間くらいずっと休みなく、W杯で勝つためにやってきて、疲れがたまりまくっていました。正直、もうエネルギーがなかった。だから、“もう一度このチームでプレーしたい。代表に入りたい”という意欲がほしかったんです。2019年の大会で、もう一度いいパフォーマンスを出すためです」 

 

5年間も休みなしでプレーしていたのは驚きですが、その後に日本代表に復帰しています。

 

そして2019年のワールドカップでは主力選手のひとりとして活躍して、日本代表初のベスト8入りに貢献しています。

 

 

リーチ・マイケルさんはその後も第一線で活躍しており、2023年のラグビーワールドカップにも日本代表に選出されています。

 

競技人生は後半戦に差し掛かっていますが、その活躍にも期待ですね。

 

 

以上がリーチ・マイケルさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

長らく日本代表として活躍して、チームをけん引しています。

 

また2013年には日本に帰化して日本国籍も取得しています。

 

さらに2012年には大学の同級生だった知美(さとみ)さんと結婚し、娘も誕生しています。

 

 

加えて所属チームの東芝ブルーインパルスの本拠地の東京都府中市内で「Café64」という喫茶店を開店した際には話題になりました。

 

今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。

 

 

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