ラグビー選手の李承信さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。ラグビー日本代表でも活躍している李さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
李承信(り すんしん)
2001年1月13日生
身長176㎝
血液型は非公表
兵庫県神戸市出身のラグビー選手
本名同じ
以下では李承信さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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李承信の学歴まとめ
出身大学:帝京大学
出身高校:大阪朝鮮中高級学校
出身中学校:神戸朝鮮初中級学校
出身小学校:神戸朝鮮初中級学校
李承信の学歴~出身大学(帝京大学)の詳細
出身大学:帝京大学(中退) 偏差値38~50(学部不明のため・医学部除く)
李承信さんは高校卒業後は、私立大の帝京大学に進学しています。
大学にはラグビーのスポーツ推薦で入学した可能性が高そうです。
ただし在籍した学部や学科などの詳細は不明です。
李さんはラグビーのプロ選手を目指していたことから、プロ並みの環境があり勝ち続けるチャンピオンチームで勝負をしたいと考えていました。
また雰囲気も良く、兄の承爀さんも在籍していたことから、この大学に進んでいます。
大学では体育会のラグビー部に在籍して、競技に打ち込んでいました。
そして大学1年生の時からレギュラーとして試合に出場をしていました。
ところが李さんは大学2年の時に、この大学を中退しています。
このことについてインタビューで次のように話しています。
「自分はプロラガーマンとしてインターナショナルになることが夢だったので、大学を辞めて留学するという道を選択しました。ただ、今回は運よくジャパン入りしてテストマッチを経験できたことで、これからのキャリアにつながっていくと感じています。」
当初はニュージーランドのワイカト大学に留学する予定でした。
しかし新型コロナウィルスの影響で頓挫しており、大学にも戻ることができずに練習場所を失っていました。
李さんは近所の公園の遊具を利用して練習をおこなっていましたが、ラグビーを辞めることも考えたとのことでインタビューでは次のように語っていました。
「ラグビーをやめることも考えました。でも諦めずに練習していたら、小学生時代の元コーチや今の仲間が手を差し伸べてくれた。支えてくれた人たちのためにも責務を果たしたい」
ちなみにこの間はトレーニングの傍らで、アルバイトに励んでいました。
そして19歳だった2020年に、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現:コベルコ神戸製鋼スティーラーズ)へ加入をしました。
李さんの窮地を救ったのは神戸製鋼コベルコスティーラーズの福本正幸チームディレクターでした。
福本さんは兵庫県ラグビースクールのコーチを務めたことがあり、小学校・中学校時代の李さんを指導したことがあったのです。
20歳の時にはトップリーグデビューを果たしています。
李さんはこのチームに加入して2年後には、10番を任されています。
また2022年には初めて日本代表にも召集されています。
さらに2023年にはラグビーワールドカップのメンバーにも抜擢されています。
今後の活躍にも期待ですね。
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李承信の学歴~出身高校(大阪朝鮮中高級学校)の詳細
出身高校:大阪府 大阪朝鮮中高級学校 偏差値なし
李承信さんの出身高校は、私立の共学校の大阪朝鮮中高級学校です。
この学校は1952年開校の朝鮮学校で、「大阪朝鮮高校」の呼称で知られています。
また部活動が盛んでサッカー部やラグビー部が府内では強豪です。
加えてこの学校は各種学校扱いで卒業しても日本の高校卒業の資格は取得できませんが、大学への進学は大学の判断に委ねられており、現在では多くの大学が進学を認めています。
なおこの学校の選考方法は通常の高校と異なっており、偏差値はありません。
なお李さんは高校に進学する際には、複数のラグビー強豪校からスカウトを受けています。
しかしこの高校がスカウトで選手を集めていないにも関わらず強豪だったことから、一番成長できると思って進学しました。
またこのような高校で強豪校を倒すことにロマンを感じたそうです。
この高校に在学中は兄の承爀さんも2学年上に在籍していました。
李さんは高校時代はラグビー部に在籍をしており、主将を務めていました。
高校2年生の時には高校日本代表に選出されており、朝鮮学校出身者としてはじめての日本代表となりました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「すごく光栄なことでうれしいです。僕が日本代表になることで、これから未来の子たちへの道が開けたと思いますし、可能性を感じてもらえたと思います。誰も見てきてない道をもっと自分が開いていきたい気持ちがあります。」
高校3年生の時には全国高校ラグビー大会(花園)に出場をしています。
花園ではベスト8を目標としていましたが、2回戦で敗退しています。
それでも李さんはポテンシャルの高さが注目されて、多くのラグビーの強豪大学からスカウトを受けています。
そして前記のように帝京大学に進学しています。
【主な卒業生】
ちすん(女優)
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李承信の学歴~出身中学校(神戸朝鮮初中級学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 神戸朝鮮初中級学校 偏差値なし
李承信さんの出身中学校は、私立の共学校の神戸朝鮮初中級学校です。
この学校は1945年開校の朝鮮学校で、日本の幼稚園から中学校にあたるクラスを設置しています。
李さんは中学生の頃までは兵庫県ラグビースクールに所属して、競技に打ち込んでいました。
中学時代は兵庫県選抜チームの主将を務めて、全国ジュニア大会で優勝しています。
当時の李さんを指導していた福本正幸さんは次のように話しています。
「彼は中学2年時、既に高校生レベルの実力を持っていました。2年生ながらチーム全体を引っ張るリーダーシップを持ち、パス、キック、ランを高いレベルで兼ね備えていた。ラグビーIQも非常に高い選手でしたね」
またこの学校のサッカー部にも在籍して、サッカーもやっていました。
【主な卒業生】
ソニン(歌手、タレント)
李承信の学歴~出身小学校(神戸朝鮮初中級学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 神戸朝鮮初中級学校
李承信さんの出身小学校は、私立の共学校の神戸朝鮮初中級学校です。
家族構成は両親と兄2人の5人家族のです(3人兄弟の末っ子)。
両親はともに韓国籍で、李さんも在日コリアン3世にあたります。
ちなみに子供の頃から日本人の友人が多く在日コリアンであることを受け入れてくれたので、不自由なことはなかったそうです。
なお母親の金永福(きむ・よんぼく)さんは、李さんが小学6年生のときに44歳の若さで炎症性乳がんが原因となり他界しています。
当時のことについては李さんは次のように振り返っていました。
「入退院を繰り返していて、病気だというのは子どもながらに理解していましたが、亡くなった当初は、あまり信じられなかったというか実感がなかったですね。死なないだろうと思っていたので」
父親は母親を亡くして以降も再婚はせずに、男手一つで母親の役目も果たしてきました。
李さんは父親のことについてインタビューで次のように話していました。
「父はなんでも作れます。僕が一番好きなのはトンテキです。醤油ベースのソースをかけていただきます。とても美味しいです」
また母親からはずっと「ワールドカップに出てほしい」と言われていました。
兄2人とは仲が良く、兄たちが帰って来ると三宮のセンター街で一緒に買い物をするそうです。
李さんは父親や兄の影響で4歳のときからラグビーをはじめています。
小学校時代は兵庫県ラグビースクールに所属して、競技に励んでいます。
また小学校時代はサッカークラブに在籍して、サッカーもやっていました。
前記のように小学校6年生の時に母親を亡くしています。
母親の死後、1ヶ月ほど経ったときに李さんは腎臓の病気で長期の入院をしており、何年間かはスポーツができないかもしれないと医師から告げられました。
幸いにも病気は回復していきましたが、母親の死と重なったこともあってかなり苦しんだようです。
以上が李承信さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
新型コロナウィルス禍の影響で進路が閉ざされたこともありましたが、ラグビー選手としては順調に進化を遂げています。
またこのところは日本代表のメンバーにも選ばれるほど実力をつけてきました。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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