実業家の青笹寛史さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は青笹さんは医学部医学科の出身で、医師免許も持っていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介します
青笹寛史(あおささ ひろふみ)
1996年6月4日生
身長非公表
血液型非公表
埼玉県さいたま市出身の実業家
本名同じ
以下では青笹寛史さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
スポンサードリンク
青笹寛史の学歴まとめ
出身大学:島根大学 医学部医学科
出身高校:春日部共栄高校
出身中学校:さいたま市立岸中学校
出身小学校:不明
青笹寛史の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
青笹寛史さんの出身小学校は、地元さいたま市内の公立校のようですが校名などは不明です。
ただし判明している出身中学校の校区からすれば、以下の4校のいずれかの可能性が高そうです。
さいたま市立高砂小学校
さいたま市立文蔵小学校
さいたま市立南浦和小学校
さいたま市立大谷場小学校
家族構成は両親と兄2人、弟の6人家族です(4人兄弟の3番目)。
父親は医師で裕福な家庭に育っています。
子供の頃や小学校時代のエピソード
2歳の頃からアメリカに住んでいた帰国子女です。
ただしいつ日本に帰国したかは不明です。
とは言え小学校時代には、地元さいたま市に在住したようです。
青笹さんは子供の頃や小学校時代は、空手や水泳を習っていました。
青笹寛史の学歴~出身中学校(さいたま市立岸中学校)の詳細
出身中学校:埼玉県 さいたま市立岸中学校 偏差値なし
青笹寛史さんの出身中学校は、地元さいたま市内の公立校の岸中学校です。
インターネット上には私立の春日部共栄中学校(偏差値53)との情報もありますが、インタビューで公立中学校だったことを明らかにしているので誤りです。
意外にも中学校の成績は普通だったそうです。
【主な卒業生】
堀尾正明(フリーアナウンサー)
スポンサードリンク
青笹寛史の学歴~出身高校(春日部共栄高校)の詳細
出身高校:埼玉県 春日部共栄高校 偏差値63~70(コース不明のため)
青笹寛史さんの出身高校は、私立の共学校の春日部共栄高校です。
この高校は1980年開校の私立高校で、進学校ですがスポーツが盛んなことで知られています。
特に硬式野球部や水泳部が強豪です。
また同校には以下の3つのコースが設置されていますが、青笹さんがどのコースに在籍したかは不明です。
選抜:偏差値70
特進E:偏差値66
特進S:偏差値63
ただし前記のように中学校時代の学校の成績は普通だったと述べているので、一番下のコースに在籍した可能性が高そうです。
高校時代は軽音楽部に在籍をしており、バンド活動をしていました。
高校3年間は、一切勉強をしてこなかったとのことで、現役時代は大学受験に失敗しています。
浪人時代から本気で勉強をした
高校卒業後、浪人生活が始まってはじめて本気で勉強に励みました。
青笹さんはストップウォッチを使って余計なことをしている時間をできる限りなくして、勉強に集中をしたところ成績はぐんぐんと伸びはじめたとのことです。
そして3ヶ月後には、首都圏の国立大医学部が射程圏内に入るほど実力を伸ばしていました。
しかしここで怠けてしまったことから、一気に成績が急降下しています。
青笹さんはこのことについては次のように振り返っていました。
「『たった3カ月でここまで上がってこられたのだから、もうそんなに勉強を根詰めなくても大丈夫だろう』と安心しきり、Nintendo Switchのゲーム『スプラトゥーン』にハマる生活を送り始めてしまったのです。」
引用元:president
そのため首都圏国立大の合格は叶いませんでしたが、地方の大学の医学部に合格をしました。
【主な卒業生】
かとうれいこ(タレント)
高橋彩音(AKB48)
スポンサードリンク
青笹寛史の学歴~出身大学(島根大学)の詳細
出身大学:島根大学 医学部医学科 偏差値65(超難関)
青笹寛史さんは高校卒業後は、国立の島根大学に進学しています。
在籍したのは医学部医学科で、かなりの学力を有していました。
前記のように1年間の浪人生活を経てこの大学に入学をしています。
父親の実家が島根県で、親戚がたくさんいたこともあってこの大学に進んでいます。
当初は医者になろうと思っていた
大学に入学後は軽音楽部に在籍をして、大学4年生まで音楽活動もおこなっていました。
なお後に結婚する奥さんは軽音楽部の同期です。
青笹さんは自身の大学生活については、インタビューで次のように話しています。
「入学してしばらくは『医師になろう』と思って勉強していましたが、飲み会やバンド活動に明け暮れる毎日になりました。高校までに感じていた窮屈さから抜け出した開放感がそうさせたのかもしれません。」
引用元:日刊SPA!
青笹さんは真面目に授業を受けていたわけではありませんでしたが、周りの優秀な友人や自由に観覧できる過去問のおかげで単位も問題なく取得できたとのことです。
大学時代に実業家として活動を開始
この大学の医学部は部活動をできるのが大学4年生までと決まっていたことから、大学5年生からは自由な時間が増えています。
そこで青笹さんはビジネスをするようになっており、このことについては次のように話しています。
「せっかくの学生生活。いろいろなことにチャレンジできる時期なのに、ただただ隠居生活を送るのはもったいない。私は、ビジネスに打ち込むことにしました。」
引用元:PRESIDENT Online
そして青笹さんは動画編集に目を付けてフリーランス集団の「StockSun」に参加しており、その後に多くの実績を得て動画編集の教育プログラムを確立しました。
この時はまだ医師の道に進む気持ちがありましたが、新型コロナウイルスの影響で学校側から注意を受けたときにビジネスの道に進もうと思いました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「コロナ禍の時期、外に出歩いていたことが学校側に知られ、厳重な注意を受けたんです。島根は全然感染者がいなかったんですよ。このとき、「自分は保守的な世界ではなく、ビジネスの世界で生きていこう」と決めました。」
引用元:日刊SPA!
青笹さんが医師の道も残していた理由は、両親が子供4人のうち誰か一人でも医師の道に進むことを望んでいたという背景もあったとのことです。
そして大学6年生の時に、リアリティ番組「令和の虎チャンネル」に出演したことで、知名度が上がりました。
この番組に出演をして影響力だけでなく横の繋がりも感じており、ユーチューブの「ヒカルチャンネル」に出演されていた実業家の林尚弘さんや桑田龍征さんと知り合えたとのことです。
青笹さんは2020年にアズール株式会社を設立しており、1期目から売上1、5億円を達成しています。
なお大学在学中に実業家として活動を開始していますが、大学は卒業して医師免許も取得しています。
以降も医師の道には進まずに、実業家として活動しています。
またYOUTUBEの公式チャンネルも好評を博しています。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。