ラグビー選手の松田力也さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。日本代表としても活躍している松田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
松田力也(まつだ りきや)
1994年5月3日生
身長181㎝
血液型はO型
京都府京都市出身のラグビー選手
本名同じ
以下では松田力也さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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松田力也の学歴まとめ
出身大学:帝京大学 教育学部
出身高校:伏見工業高校
出身中学校:京都市立陶化中学校
出身小学校:不明
松田力也の学歴~出身大学(帝京大学)の詳細
出身大学:帝京大学 教育学部教育文化学科 偏差値48(やや容易)
松田力也さんは高校卒業後は、私立大の帝京大学に進学しています。
在籍したのは教育学部教育文化学科です。
松田さんは「ミスター・ラグビー」と呼ばれていた故・平尾誠二さんと同じ高校の出身だったこともあって、「平尾2世」と呼ばれていました。
「平尾2世」と呼ばれることは光栄に思っていましたが、その反面で誰かの2世ではなく自分が一番と言われるようになりたいと常に思っていました。
平尾さんが通っていた同志社大学からも声をかけられていますが、教員免許を取得したいという思いもあってこの大学の教育学部を進学先に選んでいます。
松田さんは大学1年生の頃から活躍をして、U-20日本代表に選出された際には主将しても務めました。
当時のこの大学のラグビー部は黄金期で、在学中は大学選手権で4年連続優勝しています。
また高校時代のポジションはFBでしたが、大学時代はSOに限らずWTBなど様々なポジションを経験しています。
松田さんが10番として誇りを持つようになったきっかけについてインタビューでは次のように話していました。
「たしかに大学時代のはじめはWTBでしたね! タイミングよく1年生の終わりで10番を経験させてもらったことが、今につながっています。たくさんのポジションを重ねてきたことが、その後の強みになっているかと。」
また大学時代には「ラグビー部イケメン総選挙」で3位に入賞しています。
大学4年生だった2016年には、日本代表に初選出されています。
なお大学時代は競技に打ち込む傍らで教職課程も履修しており、教員免許も取得しています。
ちなみに松田さんにはラグビー選手を引退した後に、教員になってラグビーを教えたいという目標も持っています。
なお松田さんは大学卒業後には、埼玉パナソニックワイルドナイツに加入をしました。
埼玉パナソニックワイルドナイツでも1年目からレギュラーを獲得して主力選手として活躍しています。
以降も日本代表としても活躍しており、25歳だった2019年には日本で開催されたワールドカップにも出場しています。
この大会では主力選手として活躍して、ラグビー日本代表初のベスト8入りに貢献しています。
さらに2023年のラグビーワールドカップのメンバーにも選出されています。
今後の活躍にも期待ですね。
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松田力也の学歴~出身高校(京都市立伏見工業高校)の詳細
出身高校:京都府 伏見工業高校 偏差値44(容易)
※現在は京都工学院高校
松田力也さんの出身高校は、市立の共学校の伏見工業高校です。
この高校は1920年開校の公立校で、長らく高校ラグビーの名門校として知られていました。
2016年に全日制課程が京都市立洛陽工業高校と統合されて京都工学院高校になり、2021年に定時制課程が京都市立西京高校の定時制課程と統合されて京都奏和高校になっています。
松田さんは高校時代はラグビー部に在籍をしており、競技に打ち込んでいました。
高校3年生の時には主将を務めています。
松田さんは物心ついた時から父親から、全国大会の花園を目指すのであれば、この高校に入学するべきだと言い聞かされていました。
そしてオール京都に選出された経験のある亡き父親からは「高校ジャパンに行ったら、お前の勝ちでいいよ」と言われていたことを覚えていました。
このことについて松田さんは高校2年生の時に高校日本代表に選出されたため、「約束は果たせたかなと思っている」と語っています。
そして高校日本代表に選出されて以降は、「日本代表になりたい」という思いも強くなり、W杯で活躍をすることが両親や自身の家族に対しての恩返しになると思うとインタビューで話していました。
松田さんは花園に2度出場しています。
高校3年生の時には花園で8強入りを果たしており、しかも準々決勝では強豪校の常翔学園高校(大阪府)を相手に26-27の1点差負けでした。
この試合についてはインタビューで次のように話しています。
「試合が終わった瞬間は仲間を引っ張って泣かないでおこうと思ったのですが、礼をしてグラウンドを出て監督の顔を見た時に涙がこみ上げてきました。日本一になれなかった後悔は残っていますが、常に最後まで諦めずにチャレンジする志は、花園から今の自分につながっています」
また松田さんにとってこの試合は「大きなターニングポイント」だったと振り返っています。
【主な卒業生】
平尾誠二(ラグビー元日本代表)
大八木淳史(ラグビー元日本代表)
岸部一徳(俳優)
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松田力也の学歴~出身中学校(京都市立陶化中学校)の詳細
出身中学校:京都府 京都市立陶化中学校 偏差値なし
※現在は凌風学園
松田力也さんの出身中学校は、地元京都市内の公立校・京都市立陶化中学校です。
この中学校は2012年に京都市立凌風中学校と統合されて、小中一貫校の凌風学園になっています。
また公立校ですが、当時はラグビーの強豪校として知られていました。
中学時代もラグビー部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。
中学時代も主力選手として活躍していました。
そのため高校に進学する際には複数のラグビー強豪校から声がかかりましたが、小学校時代に合宿に参加したことのある伏見工業高校に進学しました。
【主な卒業生】
平尾誠二(ラグビー元日本代表)
松田力也の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
松田力也さんの出身小学校は、地元京都市内の公立校のようですが校名などは不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の3校のいずれかの可能性が高そうです。
京都市立陶化小学校
京都市立山王小学校
京都市立東和小学校
※現在はいずれも凌風学園
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親の大輔さんは社会人チーム「ユニチカ」でプレーをしていたラグビー選手でした。
ただし後述のように松田さんが小学校5年生の時に父親を亡くしています。
松田さんは父親の影響もあって6歳の頃から「南京都ラグビースクール」でラグビーを始めています。
インタビューでは「父親がラグビーをしていなければ自分はラグビーを知らなかったと思う」と語っています。
加えて当時から父親が成しえなかったラグビー日本代表入りを目標にしています。
松田さんが幼い頃に楕円球の投げ方を教えてくれたのも父親でした。
また父親のことについては次のように話していました。
「父はFL(フランカー)でしたが、FWに憧れたことはなかったですね。ずっとBKでいきたいと思っていました。」
なお当初は野球をやろうと思っていましたが小学3年生以上しか入部できなかったので、ラグビーをはじめました。
小学校4年生の時には父親に連れられて伏見工業高校の夏合宿に参加しています。
その際には高校生の練習量に驚いたそうです。
「花園というのは、これだけつらい練習をしなければ行けないところなのか。どんなに苦しくても、このお兄ちゃんたちは花園を目指すのか」
小学5年生のクリスマスにラグビーの試合に参加をしており、肩を負傷したことから帰宅して昼寝をしていました。
松田さんが昼寝から目を覚ましたところ、父親はくも膜下出血によって倒れており帰らぬ人となっています(享年39歳)。
当時については次のように振り返っています。
「寝る前に『ちょっと頭痛いな』と言っていたような記憶があります。僕が見に行ったときはもう息をしてなくて。母が心臓マッサージをしていたのは覚えています。父は救急車で運ばれて、僕らきょうだいは、おばあちゃんといっしょにタクシーで追いかけました。会うまでは亡くなったと信じたくなかったですね」
なお松田さんが父親に言われた忘れられない言葉は、「負けて帰ってくるな」です。
以上が松田力也さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
高校時代から頭角を現して、黄金期の帝京大学ラグビー部の主力選手として活躍しました。
また日本代表でも司令塔としてチームを支えています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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