三谷幸喜の学歴と経歴|出身は日本大学・世田谷学園高校!中学校の偏差値と若い頃の画像

 

映画監督で脚本家の三谷幸喜さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々のヒット作で知られる三谷さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

三谷幸喜(みたに こうき)

 

 

196178日生

身長174

血液型はA型

 

東京都世田谷区出身の演出家、脚本家、俳優

本名同じ

 

以下では三谷幸喜さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

三谷幸喜の学歴まとめ

 

出身大学:日本大学 芸術学部演劇学科

出身高校:世田谷学園高校 理数科

出身中学校:世田谷区立烏山中学校

出身小学校:世田谷区立給田小学校

 

三谷幸喜の学歴~出身小学校(世田谷区立給田小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 世田谷区立給田小学校

 

 

 

三谷幸喜さんの出身小学校は、地元世田谷区内の公立校・世田谷区立給田(きゅうでん)小学校です。

 

家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。

 

 

父親は福岡市でクラブを数店舗経営していたことから三谷さんは東京で暮らしており、父親がたまに自宅に泊まりに来るというスタイルでした。

 

父親は自宅から会社に電話をしている時はいつも部下を怒っていたことから、なぜそんなに怒るのかと聞いたこともありました。

 

ただし父親は10歳の時に亡くなっています。

 

三谷さんは母親と祖父母、叔父や叔母など7人に囲まれた生活を送っていました。

 

お年玉のほとんどはミステリー小説を購入していました。

 

三谷さんは子供の頃から大河ドラマが好きで、大河ドラマを見て育ったと言ってもいいほどだったとのことです。

 

また小学生の頃にはとんねるずの木梨憲武さんと同じサッカークラブに3年間在籍をしていましたが、運動は得意ではなかったようです。

 

サッカークラブでは木梨さんが2軍だったのに対し、三谷さんは15軍に在籍していました。

 

三谷さんは小学校時代のクリスマス会で寸劇のようなお芝居を作っています。

 

当時のことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「当時チャールズ・チャップリンが大好きで、彼の格好をして、自分で考えたコントを自分で演じたんです。喜んでくれる同級生を見て、もっと笑わせたいという思いが湧き上がりました。」

 

そして翌年には自身は裏方に徹して、同級生に演じてもらった方が面白いものができると思い、実践したところ大成功だったといいます。

 

これが三谷さんにとってお芝居を作る楽しさを知った原点だったとのことです。

 

三谷幸喜の学歴~出身中学校(世田谷区立烏山中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 世田谷区立烏山中学校 偏差値なし

 

 

 

三谷幸喜さんの出身中学校は、地元世田谷区内の公立校・世田谷区立烏山中学校です。

 

中学時代は演劇部に在籍をしていました。

 

中学生の頃に当初は一人で友人を笑わせており、テレビシリーズ「刑事コロンボ」のモノマネを同級生の前で発表をしていました。

 

【主な卒業生】

仲代達矢(俳優)

高橋和也(男闘呼組)

 

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三谷幸喜の学歴~出身高校(世田谷学園高校)の詳細

 

出身高校:東京都 世田谷学園高校 理数科 偏差値50台後半(当時)

 

 

三谷幸喜さんの出身高校は、私立の男子校の世田谷学園高校です。

 

この高校は1902年開校の仏教系の伝統校で、柔道部が全国的な強豪として知られています。

 

また同校は現在は偏差値67程度の難関校ですが、当時は現在ほどレベルは高くありませんでした。

 

三谷さんは高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

また理数科ですが、国語の成績は一番であるにも関わらず理数系の成績はあまりよくなかったようです。

 

物理や化学の授業中に小説や漫画を描いていました。

 

また高校時代には8ミリ映画を制作しています。

 

三谷さんは高校時代に大河ドラマ「草燃える」を見て、感銘を受けていますが印象的だった場面が頼朝が馬から落ちた瞬間だったといいます。

 

【主な卒業生】

萩原流行(俳優)

内野聖陽(俳優)

水木一郎(歌手)

吉田秀彦(柔道家)

 

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三谷幸喜の学歴~出身大学(日本大学)の詳細

 

出身大学:日本大学 芸術学部演劇学科 偏差値50(普通)

 

 

 

三谷幸喜さんは高校卒業後は、日本大学に進学しています。

 

在籍したのは芸術学部で、演劇学を専攻していました。

 

大学2年生の時には母親が経営をしていた喫茶店の運営を1ヶ月間任されており、お客さんが増えてくると待たせてしまうのが申し訳なくなりインスタントコーヒーを出したこともあったそうです。

 

また大学在学中に母親が再婚をしており、再婚相手の男性に飲み屋で「お母さんをください」と言われたそうです。

 

三谷さんはとんねるずのライブの照明スタッフのアルバイトもおこなっていました。

 

なおこの大学の3学年年下の「爆笑問題」の太田光さんは当時の三谷さんについてテレビ番組で「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日大のヒーローだった。」と語っていました。

 

三谷さんは大学3年生の時にニール・サイモンの「おかしな二人」を観て、このような芝居をやってみたいと思い劇団を作ろうと思いました。

 

大学4年生だった1983年には劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げしており、当初は三谷さん自身も役者を務めていました。

 

 

当初は全くお客さんが入らず、赤字だったことから劇団の活動資金を稼ぐために放送作家のアルバイトをおこなっていました。

 

それでも「東京サンシャインボーイズ」は三谷さんの脚本や巧みな演出で知名度を上げていき、西村雅彦さんや梶原善さんらの演技もあって、人気劇団に成長していきます。

 

 

大学卒業後は劇団の興行のほか放送作家としても本格的にデビューして、「欽ドン!」や「お笑いマンガ道場」などのバラエティー番組を手掛けています。

 

三谷さんは28歳だった1989年に、コメディドラマ「やっぱり猫が好き」の脚本を担当して、テレビの世界からも注目を集めています。

 

 

1994年には脚本を手掛けたテレビドラマ「古畑任三郎」が大ヒットして、その地位を不動のものにしています。

 

 

さらに映画監督を務めるようになり、「ラヂオの時間」や「THE 有頂天ホテル」、「清須会議」なども軒並みヒットしてます。

 

私生活では1995年に人気女優の小林聡美さんと結婚して話題になりました(2011年に離婚)。

 

 

今後の活動にも注目ですね。 

 

以上が三谷幸喜さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

手掛けた「東京サンシャインボーイズ」は人気劇団になりましたし、脚本家や映画監督としてもヒット作を連発してきました。

 

またたびたびNHKの大河ドラマの脚本にも起用されています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

ひとりっ子。 

1983年に劇団東京サンシャインボーイズを結成し、初期には一橋壮太朗名義で俳優も務めていた。

1989年からテレビドラマ「やっぱり猫が好き」の脚本を担当して注目される。 

1994年から脚本を担当した「古畑任三郎」は大ヒットを記録して、一躍人気脚本家となる。 

以降も「王様のレストラン」や「竜馬におまかせ」、「総理と呼ばないで」など、脚本を手掛けた連続ドラマが軒並みヒット。 

1997年の映画「ラヂオの時間」で監督デビュー。 

その後も「みんなのいえ」や「THE 有頂天ホテル」、「清須会議」などの映画を監督している。 

私生活では1995年に女優の小林聡美と結婚したが、2011年に離婚。 

2013年に17歳年下の女優のyumaと再婚し、2014年に長男が誕生した。

 

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