人気俳優・タレントとして活躍する大泉洋さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。人気者だった中学校時代や大学受験に失敗した高校時代など、学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像も併せてご紹介いたします
大泉洋(おおいずみ よう)
1973年4月3日生
身長178㎝
血液型はB型
北海道江別市出身の俳優、タレント、声優
演劇ユニットTEAM NACSのメンバー
本名同じ
以下では大泉洋さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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大泉洋の学歴まとめ
出身大学:北海学園大学 経済学部
出身高校:札幌市立藻岩高校
出身中学校:札幌市立真駒内中学校
出身小学校:江別市立大麻東小学校→札幌市立真駒内南小学校
大泉洋の学歴~出身小学校(江別市立大麻東小学校・札幌市立真駒内南小学校)の詳細
出身小学校:北海道 札幌市立真駒内南小学校
※現在は真駒内桜山小学校
大泉洋さんの出身小学校は、札幌市内の公立校の真駒内南小学校です。
この小学校は真駒内緑小学校と統合されて、現在は真駒内桜山小学校になっています。
家族構成は両親と7歳年上の兄の4人家族です。
両親ともに教師の家庭に育っており、父親は盲学校や聾学校の校長をしており、母親は中学校の英語の教師をしていました。
また教師でありながら両親はともに放任主義で、大泉さんは子供の頃から「勉強しなさい」と言われたことはないそうです。
お兄さん大泉潤さんは札幌北高校(偏差値71)から早稲田大学法学部(偏差値68)に進学したほど優秀で、現在は函館市長を務めています。
生まれたのは札幌市の隣町の江別市です。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
大泉さんは子供の頃から人を笑わすのが大好きな少年でした。
「物心ついた時からですね。記憶のある限り、人を笑わせたいと思ってました。もちろん友達も笑わせたいけど、大人が笑ってくれることが好きだったのかな。子供の頃からモノマネしたりして、みんなに笑ってもらってましたよ」
記事引用:FASHION PRESS
当初は江別市立大麻東(おおあさひがし)小学校に入学しています。
当時からかなりのおしゃべりで、小学校の先生からはたびたび「もうしゃべるな」と言われています。
それでも先生のモノマネなどを披露して、クラスのムードメーカーで、愛されキャラでした。
そのため小学校時代は非常にモテており、バレンタインデーには大泉さんにチョコレートを渡す女子の列ができたというエピソードも残っています。
また当時からお笑い好きで、ザ・ドリフターズのテレビ番組やビートたけしさんや明石家さんまさんが出演していた「俺たちひょうきん族」などがお気に入りでした。
小学校5年生の時に江別市から札幌市に転居して、真駒内南中学校に転校して卒業しています。
加えて小学校6年生の時には落語に熱中して、好きな題目を暗記しています。
そのため現在でもトークの原点は落語と語るほどです。
また小学校時代から音楽が好きで、サザンオールスターズがお気に入りでした。
大泉洋の学歴~出身中学校(札幌市立真駒内中学校)の詳細
出身中学校:北海道 札幌市立真駒内中学校 偏差値なし
大泉洋さんの出身中学校は、札幌市内の公立校の真駒内(まこまない)中学校です。
中学校時代はバスケットボール部に在籍していますが、さほど球技は得意ではなかったようです。
(中学時代)
中学時代にはファンクラブがあった
また大泉さんは自らの中学時代を「学校のスターだった」と述べるように、当時はクラスや校内で笑いをとっておりかなりの人気者でした。
当時は校内に大泉さんのファンクラブもあったといいますから、その人気ぶりは相当のものだったようです。
加えてバラエティ番組「あいつ今何してる」に出演した際には、同級生の坂井智子さんが登場し、小学校6年生の頃から中学校3年生まで大泉さんにずっと片想いをしていたことを告白しています。
その際には毎年大泉さんにバレンタインデーのプレゼントを渡し、泣きながらみんなの前で告白したことがあることも明かしています。
当時の大泉さんはかなりのモテ男だったようですね。
【主な卒業生】
山口真由(弁護士・タレント)
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大泉洋の学歴~出身高校(札幌市立札幌藻岩高校)の詳細
出身高校:北海道 札幌藻岩高校 偏差値59(中の上)
大泉洋さんの出身高校は、市立の共学校の札幌藻岩高校です。
この高校は1972年開校の公立校です。
進学率もそれなりに高い一方で部活動も盛んで、テニス部、バレー部、陸上部は北海道でも強豪で知られています。
高校時代のエピソード
大泉さんは中学時代までは部活動をしていましたが、高校では部活に入らずに帰宅部でした。
放課後は延々と友達とおしゃべりをしていたそうです。
また子どもの頃から目立ちたがり屋でしたが、高校までは人前に立つことが嫌いで自らアクションを起こすタイプではなかったとインタビューで話しています。
「でも人前に立つのは嫌いで、自分からアクションを起こす奴ではなかったんです。だから、部活の発表会みたいなときに人前に立っている人を見て、「そんなにおもしろい?」なんて思ってる嫌な奴でしたねー(笑)」
記事引用:ORICON NEWS
ちなみに大泉さんは未だに母親のことを「ママ」と呼んでいるそうですが、高校時代は恥ずかしくてひた隠しにしていたそうです。
また高校時代は彼女がいましたが東京に引っ越してしまったことから、遠距離恋愛になっています。
なお後述のように大泉さんは現役時代に早稲田大学などの難関大学の受験に失敗して浪人生活に突入していますが、大学受験に失敗した際にはひどく落ち込んだとインタビューで明らかにしています。
また雨の日も傘をささずにそのまま風邪をひいて死んでやろうとも思ったほどです。
浪人時代は受験勉強一辺倒ではなく、浪人仲間とほどよく遊んでいたことを明らかにしています。
「ほどよく(浪人生仲間と)遊んでいましたよね。学校がないから、誰かに『何かをやりなさい』とも言われない。そうすると無限に時間があって、どう過ごすかが試される。天気のいい日はテニスをしたり。浪人時代だけですね、あれほど車のゲームに熱中したの。ボーリングが(人生で)一番うまかった」
記事引用:スマートフラッシュ
その際にはこのような浪人生活を振り返って「そりゃ受からんわ」と述べています。
ちなみにラジオ番組に出演した際には、自身の浪人時代を語っています。
加えて大泉さんは浪人時代に観た野田秀樹さんの舞台のビデオの影響で、演劇に興味を持ちはじめています。
それが大学入学後の演劇研究会入りにつながっているでしょうから、浪人生活も無駄ではなかったようですね。
【主な卒業生】
杉村太蔵(元政治家・タレント)
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大泉洋の学歴~出身大学(北海学園大学)の詳細
出身大学:北海学園大学 経済学部経済学科 偏差値50(普通)
大泉洋さんは高校卒業後は、北海学園大学に進学しています。
滑り止めの大学だった
ただし現役合格ではなく、2年間の浪人生活を経ての進学です。
また北海学園大学は現在よりも大泉さんが在籍した当時のほうがややレベルが上でした。
兄の大泉潤函館市長が早稲田大学に進学していた影響で、大泉さんも早稲田大学などの難関大学を目指したようですが、志望校には合格できませんでした。
しかし1浪の際には法政大学に合格しており、浪人時代はそれなりに勉強もしていたようです。
とは言え2浪の際には首都圏の有名大学を手当たり次第に受験しましたが、最終的には滑り止めとして受験した北海学園大学しか合格しませんでした。
このような経緯もあって、大学入学当初はやる気がなかったとインタビューで話しています。
「高望みして二浪までしたのに結局志望校に入れなかった。人生初の挫折でした。だから、入学当時は合コンも遊びもしたくないという、完全にやる気のない状態でしたね」
記事引用:マイナビ転職
そのため「このままでは腐ってしまう」と考えて演劇研究会に入会していますが、これが正解でした。
「思いがけず面白い連中がたくさん集まっていて、演劇よりもまず彼らに惹(ひ)かれました。志望校に落ちてこの大学へ入ったのも彼らと出会うための必然だったんでしょうね、きっと」
記事引用:マイナビ転職
大泉さんが本格的に俳優を目指すようになったのは大学入学後ですから、彼らとの出会いはその後の人生に大きな影響がありましたね。
北海学園大学への進学は決して本人の希望ではなかったようですが、この大学に通ったことで運命が大きく変わりました。
大学時代に教員免許を取得
なお両親が教員だったことから大泉さんは大学時代に教職課程をとっていますが、教育実習の際に生徒に寝られてショックを受けています。
ただし高校の地理歴史と公民の教員免許は取得しており、芸能界入りしていなければ教師をしていたとも語っています。
大学3年生の時に「TEAM NACS」を結成
そして大学3年生の時に同じく演劇研究会に所属していた森崎博之さんや安田顕さん、戸次重幸さん、音尾琢真さんとともに劇団ユニット「TEAM NACS」を立ち上げています。
その際に舞台出演したことを次のように話しています。
「初めて知らない人の前で自分の笑いが通用するか試そうと思ったんです。今思えば、大学で演劇研究会に入ったことが、僕の踏み出した唯一の一歩かもしれない。で、初めて舞台に立ったわけですが、やっぱりウケるんですよ(笑)。笑わせるつもりがないシーンでも笑いが起きちゃって、演出家に怒られたり。あの頃は“笑気”を制御できませんでした(笑)」
記事引用:ORICON NEWS
ちなみに舞台は1回限りのつもりでおこなったのですが、なんとトータルで1000人もの観客を動員しています。
ただしこの際はリーダーの森崎さんと安田さんが就職したので、わずか9か月間の活動に留まっています。
とは言えこの際にTEAM NACSの舞台を観た関係者から誘われて、大泉さんは大学3年生の頃に北海道テレビ(HTB)の新番組「水曜どうでしょう」への出演が決まっています。
YOUTUBEに大泉さんがはじめてテレビ番組に出演した時の動画がありました。
この番組は開始当初から「低予算」「低カロリー」「低姿勢」の「3低」をモットーにしている番組で、大泉さんらが旅をする内容ですが、ローカル局制作のバラエティ番組ながら後に全国放送となって、現在も放映されています。
この番組への出演で大泉さんはタレントとして注目されることになります。
もともと俳優志望だった大泉さんですが、時として「お笑い出身」と勘違いされることが多いのはこの番組出身だからです。
また大泉さんは大学卒業後も就職しないでタレント活動を継続していますが、当時の経緯については次のようにインタビューで話しています。
「(不景気で)就職先が見つからない同級生もたくさんいたので、だったら僕は、とりあえず目の前にあるテレビの仕事や劇団の活動をしっかりやっていこうと。もともとものぐさで、将来を考えたりするのが面倒というのもあったのですが(笑)」
記事引用:マイナビ転職
ただしその際には母親から30歳になるまでには就職するようにと釘を刺されています。
加えていったんは解散したTEAM NACSも森崎さんが東京の会社を辞めて北海道に戻って来たことから、大泉さんが大学を卒業した年に再結成しています。
以降は大泉さんは北海道内では絶大な人気を誇るタレントになっています。
そして31歳の時に東京に進出してテレビドラマ「救急病棟24時」に出演しています。
すると俳優としてもブレイクして、以降は全国区の人気者となっています。
ただし東京進出をしたきっかけは「水曜どうでしょう」がいったん終了することになった(その後に再開)ことで、話を聞かされた時は一睡もできなかったと述べています。
以上が大泉洋さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
当初は北海道のローカルタレントとして人気に火がついて、全国進出した後は数多くのバラエティー番組に出演しています。
また本業の俳優でも演技力の評価が高く、話題の連続ドラマや映画に立て続けに起用されています。
加えて所属する演劇ユニット「TEAM NACS」も非常に人気が高く、チケット入手も困難であることも知られています。
私生活では2009年には自身が出演していたテレビドラマ「救命病棟24時」のプロデュサーを務めた3歳年上のフジテレビドラマ制作センターの副部長の中島久美子さんと結婚し、娘にも恵まれています。
様々な分野で活躍するマルチな才能を持つ人物ですから、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
大泉洋の経歴
1973年(0歳):北海道江別市で生まれる
1996年(23歳):劇団ユニット「TEAM NACS」を立ち上げる
1996年(23歳):北海道テレビの新番組「水曜どうでしょう」に出演
2004年(31歳):テレビドラマ「救急病棟24時」に出演
2009年(36歳):フジテレビドラマプロデューサーの中島久美子との結婚
2020年(47歳):NHK紅白歌合戦の司会を務める
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