俳優の唐沢寿明さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は唐沢さんは高校時代に本格的に俳優を目指しており、そのことが原因で実家から勘当されています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
唐沢寿明(からさわ としあき)
1963年6月3日生
身長175㎝
血液型はA型
東京都台東区出身の俳優
本名は唐沢潔
以下では唐沢寿明さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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唐沢寿明の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立蔵前工業高校(中退)
出身中学校:台東区立下谷中学校
出身小学校:台東区立東泉小学校
唐沢寿明の学歴~出身小学校(台東区立東泉小学校)の詳細
出身小学校:東京都 台東区立東泉小学校
唐沢寿明さんの出身小学校は、台東区内の公立校の東泉(とうせん)小学校です。
家族構成は両親と兄、弟の5人家族です(3人兄弟の次男)。
父親は短期で厳しい人だったことから、怒ると机をひっくり返して物を投げつけてくることもあったそうです。
唐沢さんは小学生時代には授業中にいたずらをしていたそうで、手を挙げる際には真横に手を伸ばしたり超音波のような音を出して授業の邪魔をしていたそうです。
また唐沢さんが初めて俳優を目指そうと思ったのは小学生のときだったそうで、ドラマで橋爪功さんの演技を見て興味を持ったそうです。
この時のことについてインタビューで次のように振り返っています。
「当時、橋爪功さんが悪役をやっているテレビドラマを観ていて、そのあまりの嫌なヤツぶりに腹を立てたり、泣いたりしていたんだよね。そうしたらおふくろに『テレビの中の話なんだから泣いているんじゃない!』と言われて“この人は演技をしているんだ”と初めて気が付いた。それまでは本当に悪いヤツがテレビに出ているもんだと思っていたから、いろんな人間を演じられる俳優ってすごい職業だと思った。」
唐沢さんはスポーツも好きで、小学校時代はリトルリーグに所属して野球をおこなっています。
その他にも少林寺拳法を習っていました。
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唐沢寿明の学歴~出身中学校(台東区立下谷中学校)の詳細
出身中学校:東京都 台東区立下谷中学校 偏差値なし
※現在は台東区立柏葉中学校
唐沢寿明さんの出身中学校は、地元東京都台東区内の公立校の下谷中学校です。
この中学校は2002年に台東区立竜泉中学校と統合されて、現在は台東区立柏葉中学校になっています。
唐沢さんは小学校時代に俳優の仕事に興味を持ち、中学時代にブルース・リーに憧れてアクション俳優になることを決意しています。
そのためこの年に「東映アクションクラブ」の門を叩いていますが、スタッフに「高校を卒業してから来なさい」と断られています。
また当時は周囲を笑わせることが好きだったこともあり、通知表に「落語家になりなさい」と書かれたことがあったそうです。
なお中学時代の唐沢さんは榊原郁恵さんの大ファンで、ファンクラブにも入会していました。
【主な卒業生】
毒蝮三太夫(タレント)
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唐沢寿明の学歴~出身高校(蔵前工業高校)・大学の詳細・勘当されていた!
出身高校:東京都 蔵前工業高校 偏差値47(やや容易)
唐沢寿明さんの出身高校は、都立の共学校の蔵前工業高校です。
この高校は1924年開校の工業高校です。
また同校は以下の4つの学科を設置していますが、唐沢さんがどの学科に在籍したかは不明です。
電気:偏差値47
機械:偏差値47
建築:偏差値47
設備工業:偏差値47
唐沢さんは高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
高校1年のときには養成所「東映アクションクラブ」に所属をして、レッスンを受けはじめました。
養成所に入る際には普通の俳優とアクション俳優のどちらになりたいか聞かれたそうですが、ブルースタックスが好きだったことからアクション俳優を選択しています。
そしてこの養成所に通いながら裏方の仕事を手伝ったりエキストラをするようになり、高校に通って勉強をする意味が見いだせなくなったそうです。
高校2年生のときに父親と高校を中退することを巡って衝突したため、家出をして叔母の家に居候をしていました。
そのためその頃に実家から勘当されています(後に和解)。
唐沢さんはこの高校ではそれなりの成績を残していましたが、本格的に俳優を目指すために高校2年生のときに中退をしています。
【主な卒業生】
浅倉大介(ミュージシャン)
ンダホ(フィッシャーズ)
石塚義之(お笑い・アリtoキリギリス)
しかし当初はオーディションには全く合格せずにエキストラの仕事ばっかりだったことから、「こんな養成所にいたって俳優にはなれない」と周囲に言っていたところ関係者の耳に入り養成所を辞めさされてしまいました。
唐沢さんはこの養成所に所属していた当時のことを振り返り、「尖っていた」と自身のことについて話しています。
当時はかなり短気だったそうです。
また1期下に在籍していた渡辺明浩さんの影響で人生観が変わったそうで、「自分が変わることで周りがこんなに変わる」と気付かせてくれたと話しています。
唐沢さんはオーディションで注目されるように履歴書に「ストリッパー」と書いたことがあるそうです。
また東映アクションクラブの出身ということから、スーツアクターの仕事も多く仮面ライダーシリーズや戦隊ものに多く出演していました。
当時のことについてインタビューでは次のように振り返っています。
「撮影所にいるときは、どんな格好してようが、馬に引きずられようが、車にはねられようが、必要とされてる感があればどんな小さな仕事もできた。でも仕事がなくて撮影所の外でバイトしていたときは、必要とされていない感がスゴくてもうダメなんじゃないかと思った」
記事引用:シティリビング Web
またスタントのような仕事も多くこなし、30mから飛び降りて3万円、全身燃える役で3万円の報酬を受け取ったそうです。
そのため骨折や捻挫はに日常茶飯事でしたが、保険にも入ることができない状況でした。
一時は歌手を目指した時期もありました。
唐沢さんはなかなか芽が出なかった厳しい下積み生活の経験があったから、「今が当たり前ではない」と感じることができているそうです。
とにかく顔を出してセリフのある役を求めた唐沢さんがようやくオーディションに合格したのは、24歳の時でした。
すると25歳だった1988年に山口智子さんがヒロインを務めたNHKの朝ドラ「純ちゃんの応援歌」のレギュラーに大抜擢されています。
また1991年に出演した熱血飲料のCMでも話題になっています。
そして1992年に出演した連続ドラマ「愛という名のもとに」で俳優としてブレイクしています。
以降は数々の話題作の連続ドラマや映画に主演するほどの人気俳優になっています。
そのため1995年に人気女優の山口智子さんと結婚した際には、大きな話題になっています。
唐沢さんは俳優のほか声優としても活動しており、「トイストーリーシリーズ」などを手掛けています。
以上が唐沢寿明さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
長い下積み生活を経験していますが、20歳後半で俳優としてブレイクしています。
その後は順調にキャリアを重ね、未だに連続ドラマなどにも主演するほどの人気を誇ります。
苦労人だけに、息の長い活躍を期待したいですね。
経歴・プロフィールの詳細
1980年から俳優活動をはじめるも、当初はほとんどがエキストラ出演。
1988年に出演したNHKの朝ドラ「純ちゃんの応援歌」で知名度を上げる。
1991年の主演作「ハロー張りネズミ」で映画デビュー。
1992年のドラマ「愛という名のもとに」でブレイクし、同年の「ホームワーク」でドラマ初主演。
その後は「美味しんぼ」や「ラブコンプレックス」、「白い巨塔」などの人気の連続ドラマに主演。
2002年の大河ドラマ「利家とまつ」で主演。
映画でも「ラヂオの時間」や「みんなのいえ」、「20世紀少年」などの話題作で主演。
私生活では1995年に女優の山口智子と結婚している。
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