田村正和の学歴|出身は成城大学・成城学園高校!中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

俳優の田村正和さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。プライベートでは謎の多い田村さんですが、どのような学生生活を送ってきたのでしょうか?学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

田村正和(たむら まさかず)

 

 

194381日生

身長174

血液型はA型

 

京都府京都市出身(東京都世田谷区生まれ)の俳優

本名同じ

 

以下では田村正和さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

田村正和の学歴まとめ

 

出身大学:成城大学 経済学部

出身高校:成城学園高校

出身中学校:成城学園中学校

出身小学校:京都市立嵯峨小学校→世田谷区立祖師谷小学校

 

田村正和の学歴~出身小学校(京都市立嵯峨小学校・世田谷区立祖師谷小学校)の詳細

 

 

出身小学校:京都府 京都市立嵯峨小学校

※後に転校

 

 

 

田村正和さんが入学したのは、京都市内の公立校の嵯峨小学校です。

 

家族構成は両親と兄2人、弟の6人家族です(4人兄弟の三男)。

 

父親は歌舞伎役者で俳優の阪東妻三郎さんです。

 

 

長兄は俳優の田村高廣さん、弟は俳優の田村亮さんです。

 

 

次兄の俊麿さんだけが芸能界に入らずに、実業家になっています。

 

父親が売れっ子俳優だったことから、京都時代の自宅は1000坪以上ありました。

 

「現在の東映京都撮影所(太秦)は阪妻プロの跡地。嵯峨野の家は、1000坪以上の土地に川が流れる「とんでもなくデカい家」だったそうです。テニスコートが2面あり、阪妻主催で近所の子どもと運動会」

 

また家にはたびたび映画関係者が出入りしていました。

 

(左から阪東妻三郎、田村俊麿、田村正和、島倉千代子)

 

田村さんは京都府の出身ですが9歳の時に父親の阪東妻三郎さんが51歳で亡くなっていますが、兄弟の中で田村さんだけが生前の阪東さんに「俳優をやる」と伝えていました。

 

「子供だったから、軽い気持ちで『やる』と言ったと思うんだけど、おやじは僕のために家に扮装(ふんそう)テストのスタッフまで呼んでくれるほど喜んだ」

 

10歳の頃に一家で東京の世田谷区成城に引っ越しています。

 

そのため世田谷区立祖師谷小学校に転校して卒業しています。

 

 

 

ちなみに成城の実家も豪邸でした。

 

田村正和の学歴~出身中学校(成城学園中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 成城学園中学校 偏差値57(現在・中の上)

 

 

 

田村正和さんの出身中学校は、私立の共学校の成城学園中学校です。

 

この中学校は出身高校に併設されている系列校なので、高校へは内部進学で進んでいます。

 

またこの中学校には中学受験で入学しています。

 

田村さんは中学時代もバスケットボール部に在籍しています。

 

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田村正和の学歴~出身高校(成城学園高校)の詳細

 

出身高校:東京都 成城学園高校 偏差値64(現在・やや難関)

 

 

 

田村正和さんの出身高校は、私立の共学校の成城学園高校です。

 

この高校は1948年開校の私立高校で、古くから「お坊ちゃん学校」として知られています。

 

また自由な校風で芸能活動も認めているので、芸能人の卒業生が多数います。

 

田村さんは高校時代はバスケットボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

その際には主力選手として活躍しており、関東大会に出場しています。

 

高校2年生の時に兄の高廣さんの主演映画の撮影現場を見学した際にスカウトされて、芸能界入りしています。

 

翌年に映画「永遠の人」で俳優デビューを飾っています。

 

 

父親が阪東妻三郎さんだったことや兄も俳優だったことから話題にはなったものの、地味で暗い風貌や声が通らないことなどが嫌われて、高校・大学時代は役柄に恵まれていません。

 

【主な卒業生】

田村亮(俳優)

高嶋政宏(俳優)

高嶋政伸(俳優)

木村佳乃(女優)

及川光博(俳優、歌手)

 

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田村正和の学歴~出身大学(成城大学)の詳細

 

出身大学:成城大学 経済学部 偏差値55(現在)

 

 

 

田村正和さんは高校卒業後は、成城大学に進学しています。

 

この大学の系列の高校に通学していたので、大学へは一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

大学では経済学部に在籍していました。

 

また田村さんは高校時代に俳優デビューしており、大学進学後も芸能活動をおこなっています。

 

大学1年生だった1962年に、「パパはだまってて」ではじめてテレビドラマに出演しています。

 

 

大学時代もコンスタントにテレビドラマや映画に出演していますが、わき役がほとんどでした。

 

とは言え芸能活動と学業を両立させており、大学は無事に卒業しています。

 

当時の田村さんは松竹に所属しており、大学卒業後も4本の主演映画が制作されましたが映画界では結果が残せませんでした。

 

 

田村さんも後のインタビューで当時を振り返って次のように話しています。

 

「責任の大きさを理解できないまま、チャラチャラと取り組んでいた」

「俳優という花の根っこの部分や、ほかの俳優たちがどれだけ鍛錬してその場にいるのかを見極められなかった。だからこの程度の俳優にしかなれなかった」

 

そのため大学を卒業した1966年に松竹を退社して、以降はテレビドラマに活路を求めていきます。

 

すると25歳だった1968年に出演したドラマ「冬の旅」や「冬の雲」で人気に火がついています。

 

 

このように田村さんはテレビドラマで成功を掴んだことから、売れっ子になっても映画にはあまり出演せずに主にテレビドラマで活躍しています。

 

1970年に、2歳年上の社長令嬢の矢島和枝さんと結婚した際には大きな話題になっています。

 

 

さらに1972年に出演した「眠狂四郎」で人気俳優の地位を揺るぎないものとします。

 

 

以降は「日本のアラン・ドロン」と呼ばれていますが、1980年代に入るとダンディーな2枚目だけではなくコミカルな役柄にも挑戦して俳優として新境地を見せています。

 

(うちの子にかぎって・1984年)

 

(パパはニュースキャスター・1987年)

 

さらに1994年にはテレビドラマ「古畑任三郎」が当たり役となります。

 

 

このように田村さんは常に俳優として進化を遂げて様々な役柄を演じきって、成功を掴んできました。

 

※追記

2021年4月3日に田村さんは心不全のために77歳で死去しました。

 

 

謹んでお悔やみ申し上げます。 

 

以上が 田村正和さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

20代後半で俳優としてブレイクしていますが、2018年に事実上を引退するまで数々の作品に主演してきました。

 

 

また幅広い層に支持されている人気俳優です。

 

未だに高い人気を誇るだけに、末永い活躍を期待したいところです。

 

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経歴/プロフィールの詳細

 

1961年に松竹と専属契約を結んで、映画「永遠の人」でデビュー。

1962年の「パパだまってて」でテレビドラマ初出演。 

1966年にフリーとなって、1970年に出演したドラマ「冬の旅」や「冬の雲」でブレイク。

1972年から出演した時代劇「眠狂四郎」で人気を不動のものにした。 

1980年代後半には「うちの子にかぎって…」や「パパはニュースキャスター」などのコメディドラマに出演して新境地を開く。 

1994年から出演した「古畑任三郎」はドラマもヒットして当たり役となる。

一般人女性と結婚しており、娘がいる。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

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