俳優の甲本雅裕さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は甲本さんは小学校時だから剣道に打ち込んでおり、大学時代も体育会の剣道部に在籍していました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
甲本雅裕(こうもと まさひろ)
1965年6月26日生
身長177㎝
血液型はA型
岡山県岡山市出身の俳優
本名同じ
以下では甲本雅裕さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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甲本雅裕の学歴まとめ
出身大学:京都産業大学 経済学部
出身高校:関西高校 電気科
出身中学校:岡山市立東山中学校
出身小学校:岡山市立旭東小学校
甲本雅裕の学歴~出身小学校(岡山市立旭東小学校)の詳細
出身小学校:岡山県 岡山市立旭東小学校
甲本雅裕さんの出身小学校は公立の岡山市立旭東(きょくとう)小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
兄はミュージシャンの甲本ヒロトさんです。
実家はクリーニング屋を営んでいます。
兄の甲本ヒロトさんとは子供の頃からずっと部屋が同じだったことから、一緒にいることが嫌になった時期もありました。
兄とのことについてはインタビューで次のように話しています。
「中学生になっても高校生になっても、ずっと家にいるんで(家では一緒なので)、大学に出てたまに帰ってきてもずっと部屋にいるので、だから窮屈でしたけど。でも、裏山でよく遊んだり、兄貴の友達と僕が仲良くなるとか、よくありましたね。」
記事引用:ニッポン放送
甲本さんは小学1年生の時に野球をやりたいと思いパンフレットを親に渡したところ、そのパンフレットが剣道のものだったことがきっかけで剣道をはじめています。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「初めて練習に行く時に、グラウンドではなくて体育館集合。素振りはするけど、野球っぽくない素振りです。おかしいなと思いながら続けていたら、剣道から抜け出せなくなっていました。」
記事引用:BUSHIZO
甲本さんは子供の頃から内気な性格で非常におとなしい性格でした。
また子供の頃は吉本新喜劇を見ることが好きでした。
ちなみに2歳年上の兄のヒロトさんは小学校から国立小学校に通学しており、2人は小学校から大学まで別々の学校に通学していました。
甲本雅裕の学歴~出身中学校(岡山市立東山中学校)の詳細
出身中学校:岡山県 岡山市立東山中学校 偏差値なし
甲本雅裕さんの出身中学校は、地元岡山市内の公立校の岡山市立東山中学校です。
中学時代も剣道部に在籍をしており、当時についてインタビューで次のように話していました。
「中学生の時は、いわゆる全中(ぜんちゅう)に出場したかったのですが、県大会決勝で敗れてしまいました。決勝で敗れたチームがそのまま全中を制してしまったりしてね。とにかく悔しかったですよ」
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甲本雅裕の学歴~出身高校(関西高校)の詳細
出身高校:岡山県 関西高校 電気科 偏差値38(かなり容易)
甲本雅裕さんの出身高校は、私立の男子校の関西(かんぜい)高校です。
同校は1887年開校の伝統校で、硬式野球部や硬式テニス部が県内でも強豪として知られています。
また普通科(偏差値42~60)のほか電気科(偏差値38)も設置していますが、甲本さんは電気科の出身者です。
甲本さんがこの高校に在籍した当時は、俳優の梶原善さんも同学年に在籍していました。
高校時代も剣道部に在籍しており、部活動に励んでいました。
当時の剣道の成績についてインタビューで次のように話しています。
「高校生の時も、県大会の決勝で敗れてしまい準優勝。国体メンバーには入っていたものの、念願のインターハイ出場は叶いませんでした。」
記事引用:BUSHIZO
甲本さんはインターハイの予選の2日前に肋骨を骨折しており、決勝戦の試合中に肋骨が折れているということがよぎってしまい、集中できなかったことが悔しかったとインタビューで話していました。
甲本さんの高校時代は部活動がかなり厳しかったことから、剣道中心の生活でした。
【主な卒業生】
森末慎二(体操オリンピック金メダリスト・タレント)
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甲本雅裕の学歴~出身大学(京都産業大学)の詳細
出身大学:京都産業大学 経済学部 偏差値48(やや容易・現在)
甲本雅裕さんは高校卒業後は、京都産業大学に進学しています。
どうやら剣道でのスポーツ推薦での進学の可能性が高く、大学でも体育会の剣道部に所属しています。
甲本さんは高校・大学時代の先輩だった高橋英明さん(京都府警)抜きでは剣道人生は語れないというほど高橋さんを尊敬していました。
甲本さんは高校卒業後は大学に進学するつもりはありませんでしたが、高橋さんが通っていたためこの大学に進みました。
このことについてインタビューでは次のように話しています。
「大学に進学するつもりはなかったのですが、先輩のお導きで京都産業大学に行ったようものですしね。大学寮でも同部屋でした」
記事引用:BUSHIZO
甲本さんは高橋さんのポジティブで無邪気なところに惹かれて大学生活を送っていたと言います。
甲本さんは大学時代に団体戦で全国大会ベスト8の成績を修めたこともあり、実業団や警察から就職に誘われていたようです。
しかし大学までの甲本さんは「剣道しかない」状態でそういう自分を変えたいと思っていました。
そして甲本さんは就職をする際には大学限りで剣道を辞めるという決断をしています。
大学卒業後はアパレルメーカーに就職して、1年あまり大阪でサラリーマン生活を送ります。
ただ甲本さんは剣道を辞めると宙ぶらりんの状態になったと次のように話しています。
「大学卒業後は就職して一生懸命働いていたのですが、剣道をやめているため宙ぶらりんという感じでした。頼るものがなにもないという状態。明確にやりたいこともない」
記事引用:BUSHIZO
このような時に興味があることをはじめてみようと思い、俳優の道に進んでいます。
当時のことについてインタビューでは次のように話していました。
「そんな時に思ったのは、自分は確かなものを求めすぎているんじゃないかということです。剣道をやめるときも確かなものを求めていましたし、やりたいことを見つけるときにも確かなものを探している。興味レベルのことから、なにか始めてみようと思いました」
記事引用:BUSHIZO
甲本さんは24歳だった1989年に、梶原善さんに誘われて三谷幸喜さんが主宰する東京サンシャインボーイズに入団して、俳優としてのキャリアをスタートしています。
1994年に劇団が活動休止になるまでは、ほぼすべての作品に出演していました。
その後はテレビや映画に活動の場を移していきます。
以降の活躍は周知の通りで、確かな演技力で様々な役柄を演じきれるトップバイプレーヤーとして、数多くのテレビドラマや映画に出演しています。
以上が甲本雅裕さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
所属していた東京サンシャインボーイズが活動休止後は、数々のテレビドラマや映画に出演しています。
主演作こそほとんどないものの、確実な演技力で出演作を盛り上げています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1989年に東京サンシャインボーイズに入団し、数多くの舞台に出演。
1993年の「振り返れば奴がいる」でテレビドラマに初出演。
1995年の「南の島に雪が降る」で映画初出演。
以降は数多くの作品に出演して、テレビドラマの代表作は「踊る大捜査線シリーズ」や「蘇る金狼」、「遺留捜査シリーズ」など。
「リンダ リンダ リンダ」や「はやぶさ」、「超高速!参勤交代」などの映画にも出演している。
「熱血!平成教育学院」や「コントの劇場」などのバラエティー番組にも出演したことがある。
既婚者で娘がいる。
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