サッカー選手の町野修斗さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。カタールワールドカップでもメンバー入りした町野さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
町野修斗(まちの しゅうと)
1999年9月30日生
身長185㎝
血液型はA型
三重県伊賀市出身のサッカー選手
本名同じ、愛称は「マチ」
以下では町野修斗さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
町野修斗の学歴~出身高校(履正社高校)・大学の詳細
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出身高校:大阪府 履正社高校 Ⅲ類 偏差値49(やや容易)
町野修斗の出身高校は、私立の共学校の履正社高校です。
この高校は1922年開校の私立高校で、硬式野球部が府内でも強豪として知られています。
また同校は以下の4つの学類を設置していますが、町野さんはスポーツコースにあたるⅢ類に在籍していました。
S類:偏差値67
Ⅰ類:偏差値64
Ⅱ類:偏差値55
Ⅲ類:偏差値49
町野さんは三重県伊賀市出身ですが、大阪府のこの高校に越境入学しています。
そのため高校3年間は寮生活を送っていました。
中学校卒業後の進路について、Jリーグの下部組織に入るのか、高校サッカーを選択するかという2択で非常に迷いました。
Jリーグの下部組織では、チームのトップチームに上がることができるか、できないかの道しかありませんが、高校サッカーであればプロへの道が広がると思ったとのことです。
高校サッカーであれば活躍すれば様々なクラブから声をかけられるため、選択肢も広がると感じました。
また町野さんは純粋に「全国高校サッカー選手権に出場して活躍したい」という思いがあったことを明かしています。
高校サッカーの中でもこの高校を選択した理由については、たまたま練習に参加する機会があり、チームのレベルの高さと選手の意識の高さに衝撃を受けたからだとインタビューで語っていました。
加えて町野さんは実家を離れて厳しい環境の中で身を置いて、成長したいという思いも大きくありました。
この高校は全国優勝を目指すようなレベルの高い高校でしたが、町野さんは高校1年生の頃からすでにレギュラーでした。
高校2年生になると高校選抜に選ばれており、このことがきっかけで横浜F・マリノスに注目されるきっかけになったようです。
そして高校3年生の時には横浜F・マリノスで練習に参加をするようになりました。
町野さんはインターハイには高校3年間で2回出場をしましたが、念願だった全国サッカー選手権に出場することは叶わずに悔しい思いをしています。
また町野さんのポジションはフォワードですが、もともとは違うポジションでプレーをおこなっていました。
高校生の時にフォワードのポジションに挑戦をさせてもらったとのことで、以降はフォワードで活躍するようになりました。
【主な卒業生】
山田哲人(プロ野球・ヤクルトスワローズ)
おぼん・こぼん(漫才師)
アイナ・ジ・エンド(BiSH)
なお町野さんは高校卒業後は大学には進学しておらず、横浜F・マリノスに所属をしています。
ただし横浜F・マリノスでは出場機会がなかったことから、20歳だった2019年にJ3のギラヴァンツ北九州に移籍しています。
2021年に湘南ベルマーレに移籍して、はじめてJ1の試合に出場しています。
また2022年にははじめて日本代表に召集されています。
カタールワールドカップにも故障した中山雄太さんの代替としてメンバー入りしました。
ワールドカップでの活躍も期待ですね。
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町野修斗の学歴~出身中学校(伊賀市立城東中学校)の詳細
出身中学校:三重県 伊賀市立城東中学校 偏差値なし
町野修斗さんの出身中学校は、地元三重県伊賀市内の公立校・伊賀市立城東中学校です。
中学時代には地元のサッカーチームであるFCアヴェニーダソルに在籍をしていました。
このチームで元サガン鳥栖の関本恒一監督から指導を受けたことが転機になったとインタビューで話しています。
なお恩師の関本さんは難病を患って、2016年に37歳の若さで亡くなっています。
中学生の頃にはサッカーについて基本から幅広く指導をしてもらったと同時に人間性について、かなり学んだとのことで「人のために何ができるか」ということを考えられるようになったといいます。
当時は農家の手伝いや自炊などをおこなう合宿に参加しています。
ただしサッカー選手としては中学時代は全国レベルの活躍はしていません。
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町野修斗の学歴~出身小学校(伊賀市立中瀬小学校)の詳細
出身小学校:三重県 伊賀市立中瀬小学校
町野修斗さんの出身小学校は、伊賀市立中瀬小学校です。
家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。
実家の畳店を経営しています。
父親の町野理さんは元実業団のサッカー選手で国体に出場経験があり、現在は地元で小学生にサッカーを教えています。
3歳年上の兄は父親が監督をしているチームでプレーをしていたこともありました。
父親が町野さんの名前である「修斗(しゅうと)」を命名しており、名づけの理由についてはインタビューで次のように語っていました。
「“私の夢を修斗に乗せる”じゃないですけど、サッカー選手になってもらいたいなと…。サッカーって言うところでシュートが一番大事なところなので、みんなに覚えてもらいやすい」
町野さんは兄の影響もあって3歳からサッカーをはじめており、小学生の頃にはサッカーチームの中でもずば抜けて上手だったとのことです。
また小学4年生の時には「キックオフシュート」を決めたこともありました。
町野さんは子供の頃にワールドカップを見て、夢や感動を与えてもらったと語っています。
以上が町野修斗さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
プロサッカー選手としてデビュー後は決して平たんな道のりではなく、J3やJ2を経てJ1でプレーしています。
とは言えこのところの活躍は目覚ましく、ワールドカップの日本代表のメンバーにも選出されました。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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