声優の山寺宏一さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は山寺さんはスポーツが苦手だったにも関わらず、学生時代はバスケットボール部に在籍していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
山寺宏一(やまでら こういち)
1961年6月17日生
身長176㎝
血液型はA型
宮城県塩竃市出身のタレント、声優、俳優
本名同じ、愛称は「山ちゃん」
以下では山寺宏一さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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山寺宏一の学歴まとめ
出身大学:東北学院大学 経営学部経営学科
出身高校:宮城県立多賀城高校
出身中学校:塩釜市立第一中学校
出身小学校:多賀城市立多賀城小学校
山寺宏一の学歴~出身小学校(多賀城市立多賀城小学校)の詳細
出身小学校:宮城県 多賀城市立多賀城小学校
山寺宏一さんの出身小学校は、多賀城市内の公立校の多賀城小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
幼少期からものまねが好きだったそうで、インタビューで次のように振り返っています。
「小さい頃から声で表現することが好きだったんです。動物の鳴き声とか、テレビに出ている歌手とか。ものまねが好きな子供でした」
記事引用:スポニチ
またひどい内弁慶な性格だったようで最初はものまねも家族や仲が良い友人の前でしかしていませんでした。
しかし小学4年生のときにクラスメートから声が面白いと言われたことで、これが自身の個性であり特徴であることを知ったようです。
山寺宏一の学歴~出身中学校(塩竈市立第一中学校)の詳細
出身中学校:宮城県 塩竃市立第一中学校 偏差値なし
山寺宏一さんの出身中学校は、塩竃市内の公立校の第一中学校です。
山寺さんは中学時代を利府町で過ごしていますが、当時住んでいた利府町の地域の校区が塩竃市の第一中学校の校区だったことから、こちらの中学校に越境通学していました。
中学時代はバスケットボール部も在籍しており、部活動に励んでいます。
ただし当時のチームは県大会に出場するほどの強豪だったため、山寺さんは3年間控え選手でした。
高校時代もマネージャーに専念していたことから、当時のことについて「一切プレーしたことない」と話しています。
山寺さんはもともと運動は得意ではありませんでしたが、バスケットボール部を選んだ理由については次のように話していました。
「野球やサッカーでは遅れをとっているけど、バスケはみんな初めてだったからかなあ。でもやっぱり埋もれてしまい、中3では膝を悪くしてしまいました。」
記事引用:ウェッジオンライン
山寺さんは自身の中学時代を「暗黒の時代」と話しており、中学校では会話をした子が一人もいなかったそうです。
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山寺宏一の学歴~出身高校(宮城県立多賀城高校)の詳細
出身高校:宮城県 多賀城高校 普通科 偏差値57(中の上)
山寺宏一さんの出身高校は、県立の共学校の多賀城高校です。
この高校は1976年開校の中堅県立高校です。
また同校は東日本大震災の影響から、全国的にも珍しい災害科学科を設置したことで知られています。
高校時代はバスケットボール部に在籍していましたが、途中からマネージャーに専念しています。
ちなみに山寺さんは運動が苦手と話しています。
前記のように山寺さんは女子の前では大人しくなっていたそうで、インタビューで次のように話しています。
「男子の間ではいろんなことができるんですが、女子がちょっとでもいるとおとなしくなるんです。高校3年生のときに仲のいい女の子の友達が1人できて、その子をきっかけにほかの子ともちょっと話せるようになった。」
高校時代は硬派だと言い張っていたそうですが、毎年クラスに一人好きな女子がいたそうです。
山寺さんは子供の頃からモノマネが得意だったことから、部活動の合宿などで披露していたそうです。
部活動の更衣室で毎日ものまねをやったりしていたそうですが、いざ女子が来ると全くものまねができなくなっていたそうです。
そのため高校時代の女子からの印象は「全部普通な人。学力もスポーツも、全部普通。普通以下。見た目も普通か、普通以下。」だったようです。
【主な卒業生】
渡邊圭佑(俳優)
安藤美乃里(タレント)
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山寺宏一の学歴~出身大学(東北学院大学)の詳細
出身大学:東北学院大学 経営学部経営学科 偏差値47(やや容易)
山寺宏一さんは高校卒業後は、仙台市の私立大学・東北学院大学に進学しています。
大学では経営学部に在籍して、経営学を学んでいました。
また大学時代は落語研究会に所属して会長を務めています。
山寺さんが落語研究会に入った理由について次のように話しています。
「笑いを取るのが楽しくて、そういう声での表現を伸ばしたいと思って、大学で落語研究会に入りました」
大学時代は落語漬けの日々を送っており、大学に通うというよりも落語研究会に通っていたというほどです。
大学卒業直前に声優になりたいと思いはじめたそうで、当時のことについて次のように話しています。
「僕なんて、声優になろうと思ったのは、大学を卒業する直前でしたから。それまで声優なんて意識したことさえなくて、普通に就職しようと思ってた。目指していたのは営業マン。広告代理店や旅行代理店とかだと楽しそうだし、口が立つ方だったから、まあ、いいかなあと。」
記事引用:seigura.com
また山寺さんが声優になろうと思った理由については次のように振り返っています。
「就職活動するときに、やりたいことがなかったので、まあ落語家は無理だろうけど、声優って何かやれそうだなと思ったんです。」
山寺さんは一応就職活動もしたそうですが、途中で嫌になっていたときに以前地元CMに出演した際に知り合った広告代理店の人から声がかかり、「就職先も決まったようなもんだった」と当時を振り返っています。
しかしその後「これまでの自分をいかして、声での表現をしたい」と思い、声優を志して養成所「東京俳優生活協同組合」に入所しており、24歳だった1985年に声優デビューを飾りました。
すると「魔人英雄伝ワタル」や「らんま1/2」などのテレビアニメで、人気声優になっています。
また声優としての活動の傍らで、俳優やタレントとしても活動をして、「日本一有名な声優」と呼ばれたこともありました。
その他にも、映画の吹き替えやナレーションなどかなり幅広い分野でマルチに活躍しています。
たびたびものまね番組にも出演しています。
また人柄が非常によいことで知られ、多くの後輩声優に慕われています。
以上が山寺宏一さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
本業の声優だけではなく、俳優やタレントなど幅広いジャンルで活躍しています。
また3度も結婚しており、年の差婚でも話題になっています。
特に2021年6月に結婚した岡田ロビン翔子さんとは、31歳も年齢が離れています。
様々なジャンルで人気が高い人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1985年のビデオアニメ「メガゾーン23」で声優デビュー。
以降も「機動戦士ガンダム」や「超音戦士ボーグマン」、「らんま1/2」などに出演して人気声優となる。
1990年に「GLORY DAYS」で歌手デビュー。
1997年10月から子供向けバラエティー番組の「おはスタ」メイン司会者を務める。
俳優としても活動しており、「20世紀少年シリーズ」などに出演。
映画の吹き替えでは、エディー・マーフィーやジム・キャリー、チャーリー・シーンらの声を担当。
私生活では1993年に声優のかないみかと結婚したが、2006年に離婚。
2012年に声優の田中理恵と再婚したが、2018年8月に離婚した。
2021年にタレントの岡田ロビン翔子と再婚した。
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