サッカー日本代表の監督を務める森保一さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。現役時代も長らく日本代表の主力選手として活躍した森保さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
森保一(もりやす はじめ)
1968年8月23日生
身長174㎝
血液型はA型
長崎県出身(静岡県生まれ)の元サッカー選手、指導者
本名同じ、愛称は「ポイチ」
以下では森保一さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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森保一の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:長崎日本大学高校
出身中学校:長崎市立深堀中学校
出身小学校:唐津市立鏡山小学校→長崎市立深堀小学校
森保一の学歴~出身高校(長崎日本大学高校)・大学の詳細
出身高校:長崎県 長崎日本大学高校 偏差値40台前半(当時)
森保一さんの出身高校は、私立の共学校の長崎日大高校です。
この高校は1966年開校の日本大学の系列の私立高校で、スポーツが盛んなことで知られています。
特に硬式野球部は県内では強豪です。
またこのところは特進コースなどを設けて偏差値も上昇していますが(偏差値は45~61)、森保さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではありませんでした。
当初はサッカーの強豪校の国見高校に進学しようとしていましたが、父親に反対されて同校に進学しています。
高校時代はサッカー部に在籍をして、競技に打ち込んでいました。
森保さんは高校生の頃には選手権に出場したいと思っていましたが、地元にはサッカーの強豪校である国見高校があったことから現実的な目標ではありませんでした。
また当時は短気だったとのことで、父親は試合観戦した際の森保さんのことを次のように語っていました。
「相手選手に飛びかかってけんかして、レッドカードをもらったのを2回見た」
記事引用:中国新聞デジタル
森保さんは高校2年生の時には練習がきつかったことから、サッカー部から逃げ出しています。
学校にも登校せずに友人と遊び歩くような毎日を過ごしていましたが、サッカー部の監督は毎日のように自宅に通い見守りました。
その結果、1週間ほどで森保さんはサッカー部に戻り、頭を丸めて必死に謝罪をしたとのことです。
サッカーでは山梨国体の選抜メンバーには選ばれましたが、当時の長崎県は国見高校と島原商業高校の2強時代だったので、インターハイや選手権などの全国大会には出場していません。
それでも森保さんはサッカーは就職の手段という考え方が少なからずあったことを明かしています。
このことについてインタビューでは次のように話していました。
「山梨国体の選抜にも選出されましたが、試合には出られませんでしたしね。まだプロのない時代でしたから、その後のサッカー人生としては、仕事をしながらサッカーをプレーできる実業団という道を考えていました」
高校3年生の夏に当時マツダ(現J1広島)でチーム編成を担っていた今西和男さんに高校卒業後のことを問われており、森保さんは「できればサッカーを続けていきたい」と答えています。
今西さんからは「じゃあ、うちに来るか」と誘われて、サッカー部の採用は5人までだったところ特例の6人目としてマツダへの加入が決まりました。
【主な卒業生】
大瀬良大地(プロ野球選手)
そのため森保さんは高校卒業後は大学には進学しておらず、日本サッカーリーグのマツダ(現・サンフレッチェ広島)に加入をしています。
当時の森保さんは全国的にはまったくの無名選手で、入団当時は5人の新人のうちもっとも評価が低かったのですが、後に日本代表の監督も務めたハンス・オフトに見いだされています。
3年目だった1989年にようやく日本リーグ2部でデビューしています。
1992年に日本代表に抜擢されますが、代表のメンバーの中には森保さんを知らない人も数名いました。
しかし森保さんはボランチとして日本代表でも主力選手になっています。
35歳だった2004年1月に現役を引退しています。
その後は指導者に転向して、2012年に古巣のサンフレッチェ広島の監督に就任するとJリーグで4年間で3度の優勝を飾るなど、辣腕を発揮しています。
2018年からは日本代表の監督に就任しています。
2022年のカタールワールドカップでの采配も注目です。
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森保一の学歴~出身中学校(長崎市立深堀中学校)の詳細
出身中学校:長崎県 長崎市立深堀中学校 偏差値なし
森保一さんの出身中学校は、地元長崎市内の公立校・長崎市立深堀中学校です。
この中学校には入学当初はサッカー部がなかったことから、強豪として知られていたハンドボール部に入部をしようとしていました。
この時に父親から「サッカーはしなくても良いのか?」と問いかけられており、「サッカー部がないのであれば作ればよい。学校に話してみよう」と提案されたとのことです。
そして中学2年生の時にサッカー部ができています。
1年間は隣町の中学校まで通い、この中学校から1人で練習に参加をしていました。
サッカー部は校庭が使えなかったことから、父親が確保してくれた駐車場のようなところで森保さんと仲間たちは練習をおこなうようになりました。
サッカーをおこなう環境は整っていなかったことから、自分たちでゴールを設定して、ネットもなかったため色んな所にボールが飛んでいきましたが、それでも楽しかったと当時を振り返っています。
森保さんはどうすればチームとして機能するのか、また個々を活かしてチーム力を上げていけるのかというのを考えていました。
そして自身のスキルを上げる一方でチーム全体を俯瞰した練習メニューを考えおり、森保監督の原点がここにあったようです。
なお上達するためにはどうすればよいのかを自分たちで考えて、練習をおこなったことは結果的に良かったとのことで楽しい毎日だったと語っています。
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森保一の学歴~出身小学校(唐津市立鏡山小学校・長崎市立深堀小学校)の詳細
出身小学校:長崎県 唐津市立鏡山小学校
森保一さんが入学したのは、唐津市内の公立校・唐津市立鏡山小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族のようです。
元HKT48の森保まどかさんは娘ではなく、血縁関係もありません。
同じ長崎県出身で姓も同じことから娘や親戚と誤解されたようです。
父親が造船関係の仕事していたことから、幼少期から引っ越しを繰り返しており、この小学校に入学後もすぐに長崎市立深堀小学校に転校しています。
森保さんは小学生の頃には野球少年でしたが、小学3、4年生の頃には朝早めに登校をして授業がはじまる前に校庭でサッカーをしていました。
教えてくれる人がいなかったため、ただボールを蹴って遊んでいる感じだったといいます。
小学5年生の時に隣町の小学校のサッカー少年団で監督をしていた先生が赴任をしてきており、サッカーをやらないかと誘われました。
そしてはじめてサッカーを教えてもらい、すぐに夢中になっていったといいます。
また小学6年生の時に体調不良で休んでいた森保さんが復帰したところ、チームのゴールキーパーが怪我をしており、代わりにゴールキーパーをすることになりました。
するとゴールキーパーのセンスがあったことから、しばらく続けることになり、長崎県予選を勝ち抜いて、全国大会(第4回全日本少年サッカー大会)に出場することになりました。
しかし森保さんは走ることが好きだったことから、全国大会が終了後にはフィールドプレイヤーに戻っています。
以上が森保一さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
JSLからJリーグ黎明期に活躍し、日本代表に選ばれるほどのプレーヤーでした。
また当時から頭脳派として知られ、指導者に転身後も成功を収めています。
日本代表の監督としても、その手腕にも期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
弟は元サッカー選手の森保洋。
1987年にJSLのマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団。
1989年にJSLの2部でデビュー。
1991年にプロ契約を結んで、マツダのJSL1部昇格に貢献。
1992年に日本代表に初招集。
1993年にJリーグが開幕するとサンフレッチェ広島のレギュラーとして活躍し、1994年にチームはステージ優勝。
1998年に京都パープルサンガに移籍するも、翌年に広島に復帰。
2002年にベガルタ仙台に移籍して、翌年に現役引退。
指導者としては2012年から広島の監督に就任し、4年間で3度の優勝を飾る。
2018年10月に日本代表監督に就任。
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