サッカー選手の大迫勇也さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。長らく日本代表でも活躍している大迫さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
大迫勇也(おおさこ ゆうや)
1990年5月18日生
身長182㎝ 体重73㎏
血液型はO型
鹿児島県加世田市(現在は南さつま市)出身のプロサッカー選手
本名同じ、愛称は「さこ」「さっこん」
以下では大迫勇也さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
経歴/プロフィールの詳細
2009年に鹿島アントラーズに入団し、開幕戦でいきなりデビュー。
2年目からレギュラーに定着し、2013年にはJリーグ・ベストイレブンに選出された。
同年に日本代表として初選出。
2014年にドイツ2部のミュンヘンに移籍。
同年6月にドイツ1部に復帰するFCケルンに移籍。
2017年には主力選手として、チームのヨーロッパリーグ選手権への出場に貢献。
日本代表として、ワールドカップ・ブラジル大会に出場した。
大迫勇也の学歴~出身小学校(加世田市立万世小学校)の詳細
出身小学校:鹿児島県 加世田市立万世小学校
※現在は南さつま市立万世小学校
大迫勇也さんの出身小学校は、地元加世田市内の公立校・加世田市立万世小学校です。
家族構成は両親と兄、妹の5人家族です(3人きょうだいの真ん中)。
大迫さんは3歳の頃からサッカーをはじめており、インタビューでは次のように振り返っています。
「3つ上の兄がサッカーをしていたので、僕が3歳の頃から近所の人たちとボールを蹴っていました。やわらかいボールで野球をしたことはあったけどそれは遊び程度で、やっぱりサッカーが面白かった。小学3年から兄と同じチーム(万世SSS)に入りました」
大迫さんは当時から負けず嫌いな性格で「兄には負けたくない」という気持ちが常にありました。
そのため同級生に勝っても嬉しいとは思えずに、上級生に勝ってはじめて嬉しいと感じたことを明かしています。
また当時のことについてインタビューでは次のように話していました。
「兄には1対1で負けてばかりでしたけど、負けても何度もぶつかっていくしかなかった。そういう環境はよかったですよね。練習は週に3回。弱小チームだったので厳しい練習はなくて、とにかくゲームをするのが楽しかった。それ以外の時間も兄とサッカーをしていました」
大迫さんは小学校時代のポジションはトップ下でしたがドリブルで突破していき、ゴールまですべて自分でやっている感じだったと当時を振り返っています。
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大迫勇也の学歴~出身中学校(鹿児島育英館中学校)の詳細
出身中学校:鹿児島県 鹿児島育英館中学校 体育コース 偏差値46(やや容易)
大迫勇也さんの出身中学校は、私立の共学校の鹿児島育英館中学校です。
この中学校は1982年開校の私立中学校で、体育コースを設置しているのでスポーツが盛んです。
特にサッカー部は全国大会の常連です。
大迫さんはこの中学校には特待生で入学をしており、進学した理由については次のように話しています。
「先輩がいると試合に出られないこともあるじゃないですか。地元の中学にいくか、育英館中にいくかの二択で、試合に出られることが決め手でした。体育科の特待生で、自分たちのクラスはサッカー部が15人。人見知りなので友達ができるまで時間がかかりました」
後述するように小学生の頃のポジションはトップ下でしたが、監督に言われて中学時代はフォワードに転身しました。
中学時代の練習はかなりきつかったと話しており、インタビューでは次のように振り返っています。
「中学3年間は厳しくて、毎日死に物狂いでした。監督がすごく厳しくて、毎日泣かされそうになるくらい厳しく接してくれたので(笑)。メンタル的にすごく鍛えられましたね」
中学2年生の頃から大迫さんは頭角を現し、県内でも名の知れた選手になっていきました。
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大迫勇也の学歴~出身高校(鹿児島城西高校)・大学の詳細
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出身高校:鹿児島県 鹿児島城西高校 体育科 偏差値38(かなり容易)
※現在は進学体育コース
大迫勇也さんの出身校高校、私立の共学校の鹿児島城西高校です。
この高校は1927年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
特にサッカー部が全国的な強豪で、多くのJリーガーを輩出しています。
またこの高校は以下の9つのコースを設置していますが、大迫さんは体育科(現在は進学体育コース)に在籍していました。
普通:偏差値38
トータルエステティック:偏差値38
ビジネス情報:偏差値38
ファッションデザイン:偏差値38
ヘアーデザイン:偏差値38
ホテル観光:偏差値38
社会福祉:偏差値38
進学体育:偏差値38
調理:偏差値38
大迫さんはこの高校のサッカー部に在籍して、競技に打ち込んでいました。
鹿児島城西高校に入学前の春休みにはすでにこの高校の遠征に参加をしており、大学生相手に対戦した際にはゴールを決めてさらにアシストも記録をして勝利に貢献しています。
この高校の小久保悟監督は当時のことについて次のように語っています。
「中学校を卒業したばかりの子が、大学生を相手に2得点に絡んだのです。しかも、たった15分間で。その実力は把握していましたが、ここまでやれるのかと、本当に驚きましたね」
この高校では1年生の時からレギュラーとして活動をしていました。
さらに入学と同時にU-16日本代表選手にも選出されました。
大迫さんは中学・高校時代はバス通学で1時間かけて学校に通っていました。
この1時間が大迫さんにとっては必要な時間だったそうで、インタビューでは次のように話しています。
「一人だから、ずっとサッカーのことを考えられる。友達といたら考えないでしょう? だから良かったんだと思います。今振り返ると、その時間は僕にとってとても大きなものだった。あの頃、考えるクセがつきました」
バスの中では頭の中でプレイシーンを思い浮かべて趣味レーションを繰り返していました。
そして自宅に帰ると答え合わせをするかのように祖父が撮影してくれていた試合の映像をチェックしていました。
大迫さんは高校時代もサッカー選手として大きく成長をしており、高校3年生の時にはチームの県大会3冠に大きく貢献すると共に、全国高校サッカー選手権でも1大会最多得点記録(10点)を更新しました。
また自身の学生時代について次のように振り返っています。
「僕は鹿児島出身なので、学生時代は街に遊びに行くような機会もなかったですし、毎日サッカーをして、一日中ジャージでいましたね。小中高はほぼジャージで過ごしていました(笑)」
【主な卒業生】
西田あい(歌手)
なお高校卒業後は大学などには進学しておらず、鹿島アントラーズに入団しています。
高校時代の活躍のためJリーグの6つのクラブの争奪戦になりましたが、鹿島アントラーズを選んでいます。
選手層の厚いアントラーズでもクラブ史上2人目となる、高卒新人選手の開幕戦出場を記録。
入団2年目の2010年にはレギュラーに定着しています。
2014年にはTSV1860ミュンヘンに移籍して、以降は長らく海外でプレーすることになります。
また意外にも日本代表にはじめて召集されたのも24歳だったこの年です。
とは言え以降は日本代表でも長らく主力選手として活躍しています。
2021年8月にヴィッセル神戸に移籍しています。
久しぶりの国内のプレーにも期待ですね。
以上が大迫勇也さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
プロ入り後は順調にキャリアを重ねて、ワールドワイドに活躍していきました。
現在では日本代表でも主力として活躍しており、さらなる大きな飛躍にも期待が膨らみます。
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