井筒和幸監督の学歴と経歴|出身は奈良高校!大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

映画監督の井筒和幸さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。コメンテーターとしても高い人気を誇る井筒さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

井筒和幸(いづつ かずゆき)

 

 

1952年12月13日生

身長172㎝

血液型はA型

 

奈良県大和郡山市出身の映画監督

本名同じ

 

以下では井筒和幸さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

井筒和幸の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:奈良県立奈良高校

出身中学校:大和郡山市立郡山南中学校

出身小学校:不明

 

井筒和幸の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

井筒和幸さんの出身小学校は、地元大和郡山市内の公立校のようですが校名などの詳細は不明です。

 

ただし出身中学校の校区からすれば、以下の3校のいずれかの可能性が高そうです。

 

大和郡山市立筒井小学校

大和郡山市立昭和小学校

大和郡山市立片桐小学校

 

井筒さんは小学生の頃に父親の影響で映画の面白さを知って、映画の魅力に取り憑かれています。

 

小学5年生のときにはじめて映画を観ており、その作品は「陸軍残虐物語」でした。

 

井筒さんは映画館にもよく行っており、当時は実写映画ばかりで戦争映画など衝撃的な内容の作品が多かったとのことです。

 

井筒さんは映画「バルジ大作戦」を観たことがきっかけで、将来は映画を撮る側になろうと思ったといいます。

 

また井筒さんは小学生の頃から白髪があったため、当時のあだ名は「ジジイ」でした。

 

なお当時から成績優秀で、学校の成績はトップクラスでした。

 

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井筒和幸の学歴~出身中学校(大和郡山市立郡山南中学校)の詳細

 

出身中学校:奈良県 大和郡山市立郡山南中学校 偏差値なし

 

 

 

井筒和幸さんの出身中学校は、地元奈良県大和郡山市内の公立校の郡山南中学校です。

 

中学時代はバスケットボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

井筒さんは当時から勉強が得意で、当初は自宅の近所にある奈良県立郡山高校(偏差値68)に進学するつもりでした。

 

中学3年生の時に親しかった演劇部の顧問の先生から、より難関な奈良高校に進学するように勧められています。

 

そして中学3年生の2学期から猛勉強してこの高校に合格しています。

 

なお当時は深夜番組の「11PM」を観ていました。

 

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井筒和幸の学歴~出身高校(奈良県立奈良高校)・大学の詳細

 

出身高校:奈良県 奈良高校 偏差値72(超難関)

 

 

 

井筒和幸さんの出身高校は、県立の共学校の奈良高校です。

 

この高校は1924年開校の県立校で、古くから県内ではトップレベルの進学校として知られています。

 

井筒さんはこの高校に一般受験で入学しており、高い学力を有していました。

 

高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

その一方で高校時代はビルの解体などのアルバイトに励んでいました。

 

高校1年生の時に映画「猿の惑星」を観て、アメリカ映画の魅力にハマっています。

 

そしてデニス・ホッパーさんが監督・主演を務めた映画「イージー・ライダー」に衝撃を受けています。

 

その他にも井筒さんはアメリカのホームドラマなども観ていました。

 

井筒さんは当時はいろいろな文化が新しく入ってきた世代で、カルチャーショックを受けたと振り返っていました。

 

そして勉強はせずに、映画漬けの日々を過ごしていました。

 

井筒さんは見よう見まねで映画を制作するようになり、ゲリラ上映したこともありました。

 

この頃に制作をした映画は、若者の苦悩を描いた作品など訳の分からないものだったとインタビューで話しています。

 

加えて高校3年生の時に寺山修司さんが主宰していた劇団天井桟敷に入団しようと思って、家出をして上京しいています。

 

しかし翌日に父親と担任の先生に連れ戻されています。

 

また同級生は大学に進学をしていましたが、井筒さんは進路が決まっていませんでした。

 

そのため井筒さんは高校卒業後は大学には進学しておらず、映画の世界に進まなかった上に就職もしませんでした。

 

【主な卒業生】

加藤雅也(俳優)

哲夫(お笑い・笑い飯)

安田真奈(映画監督)

 

このような進学校を卒業しながらも大学などに進学しなかったのは当時も稀でした。

 

当時の井筒さんは「一生遊んで暮らせる方法はないのだろうか」とずっと考えており、この頃の井筒さんのテーマは「遊んで暮らす」ことだったとのことです。

 

そこで物書きであれば万年筆1本で仕事ができるため、物書きの道に進もうとしましたがすぐに書けるわけでもなくミニコミ誌で書かせてもらう程度だったようです。

 

23歳だった1975年に、ピンク映画「行く行く マイトガイ 性春の悶々」で映画監督してデビューしています。

 

1981年に監督した映画「ガキ帝国」で注目を集めています。

 

 

2005年に監督した映画「パッチギ!」がヒットして、人気を不動のものにします。

 

 

またタレントやコメンテーターとして数々のテレビ番組に出演しています。

 

2021年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が井筒和幸さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

映画監督としては「岸和田少年愚連隊」や「パッチギ!」、「ヒーローショー」など数々のヒット作を手掛けています。

 

また歯にもの着せぬ物言いが評判で、数々のテレビ番組にコメンテーターとして出演しています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。

 

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