是枝裕和の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

映画監督の是枝裕和さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「誰も知らない」や「万引き家族」などの作品で知られる是枝さんですが、学生時代は勉強もスポーツもできる生徒でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

是枝裕和(これえだ ひろかず)

 

 

1962年6月6日生

身長非公表

血液型はO型

 

東京都練馬区出身の映画監督、脚本家

本名同じ

 

以下では是枝裕和さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

是枝裕和の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細

 

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出身大学:早稲田大学 第一文学部文芸学科 偏差値65(難関)

※現在は文学部

 

 

 

是枝裕和さんは高校卒業後は、名門私立大の早稲田大学に進学しています。

 

在籍したのは第一文学部です。

 

2016年に夜間部の第二文学部が廃止されたことに伴い、この学部は文学部になっています。

 

是枝さんは小説で食べていきたいと考えて文筆家になりたいと思うようになったことから、この大学の文学部に進学をしています。

 

しかし入学後は倉本聰さんや山田太一さん、向田邦子さんらのシナリオ集を読むようになり映画にハマっていきました。

 

このことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「もともとは小説を書こうと思っていて、文章を書いて金になったらいいなあと思って、大学もそういう学部を選んで行ったんですけど、入った年の春に映画にはまってしまいまして、もう『映画』だと思っちゃったんですよ。」

 

とは言え上下関係が苦手だったことから、サークルなどには入らずに1人で映画を観たり文章を書いて過ごしていました。

 

この大学のそばにはACTミニシアターという小さな劇場があり、年間1万円を払えばいつでも観ることができる映画館がありました。

 

是枝さんは大学の授業がつまらなかったことから、大学で過ごすよりも長い時間この

ミニシアターで映画を観ていたといいます。

 

またシナリオ集を購入するためにビルの夜警をしながら、空いた時間には宿直室で福武書店の赤ペン先生をするなどアルバイトを掛け持ちしていました。

 

是枝さんは就職活動の際には映画関係でご飯を食べていければ本望だと思ったため、テレビの制作会社を受けています。

 

このことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「僕は映画サークルで自主製作をしていたわけでもないですし、なかなか大学を出て映画の現場に近づく手立てがなくて、とりあえずはテレビだということでテレビの製作会社を選んだんです。」

 

そして大学卒業後は、制作会社テレビマンユニオンに入社をしました。

 

(AD時代)

 

是枝さんはテレビ局も受けていますが、落ちてしまったことを明かしています。

 

この会社では「しかし…福祉切り捨ての時代に」や「もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~」などドキュメンタリー番組を手がけています。

 

また是枝さんはもし映画監督になっていなければ、高校の国語の先生になっていたとインタビューで話していました。

 

33歳だった1995年に会社に在籍しながら映画「幻の光」で映画監督としてデビューしています。

 

そして1998年に監督した映画「ワンダフルライフ」が、インディペンデント系の映画ながら国際的にヒットして知名度が大幅に上昇しています。

 

 

以降も「誰も知らない」や「そして父になる」、「万引き家族」などを監督して、国内でも有数の人気監督になっています。

 

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

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是枝裕和の学歴~出身高校(都立武蔵高校)の詳細

 

出身高校:東京都 都立武蔵高校 偏差値67(難関)

※現在は都立武蔵高校・附属中学校

 

 

 

是枝裕和さんの出身高校は、都立の共学校の都立武蔵高校です。

 

この高校は1940年開校の都立高校で、古くから自由な校風で知られています。

 

また2008年から中高一貫校の都立武蔵高校・附属中学校に移行しています。

 

是枝さんは高校時代はバレーボール部に在籍をしており、部活動に打ち込んでいました。

 

バレーボール部でのポジションはセッターでした。

 

是枝さんはバレーボール部に入部をしたきっかけについて、インタビューで次のように話しています。

 

「バレーをやった理由は、当時、ミュンヘンオリンピック(72)で日本男子バレーが活躍していて、ミーハー感覚からでしたね。」

 

また高校時代には学級委員長を務めていました。

 

この頃から将来は作家になりたいという思いが芽生えはじめました。

 

【主な卒業生】

田中泯(ダンサー、俳優)

岩下志麻(女優・転校)

奥寺健(アナウンサー)

きったん(お笑い・根菜キャバレー)

 

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是枝裕和の学歴~出身中学校(清瀬市立清瀬第三中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 清瀬市立清瀬第三中学校 偏差値なし

 

 

 

是枝裕和さんの出身中学校は、清瀬市内の公立校・清瀬市立清瀬第三中学校です。

 

中学時代もバレーボール部に在籍する傍ら、学級委員長を務めています。

 

中学生の頃は福永武彦さんの全集を持っている同級生がおり、その彼からは大きな影響を受けたと語っていました。

 

【主な卒業生】

堀北真希(女優)

 

是枝裕和の学歴~出身小学校(練馬区立北町小学校・清瀬市立第五小学校)の詳細

 

 

出身小学校:東京都 練馬区立北町小学校

 

 

 

是枝裕和さんが入学したのは、練馬区内の公立校・練馬区立北町小学校です。

 

家族構成は両親と姉2人の5人家族です。

 

 

練馬区で生まれており、9歳の時に清瀬市に引っ越しをしています。

 

そのため清瀬市内の公立小学校に転校していますが、転校先の小学校は清瀬市立第五小学校が有力です(現在は清瀬市立清明小学校)。

 

是枝さんは小学校に入学をするときにはすでに父親との仲はよくなかったそうです。

 

ちなみに父親はギャンブル好きで職も転々としていたことから、母親がパートで働いて家計を支えていました。

 

是枝さんによれば父親はいつまでも反抗期のような人だったことから、母親のためにも自身は真面目に生きていこうと子供ながらに思ったことを明かしています。

 

小学生時代も学級委員を務める優等生で、スポーツも万能だったといいます。

 

小学校高学年の頃に図書室の先生が若くてきれいだったことから、好きになっています。

 

是枝さんは先生に会うために図書館に通うようになり、この頃から読書を好きになったことを明かしています。

 

以上が是枝裕和さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

映画監督としてデビュー後は順調にキャリアを重ねて、次々とヒット作を世に送り出しています。

 

 

また海外からの評価が高い映画監督としても知られています。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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