アニメ映画監督の細田守さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は細田さんは学生時代は宮崎駿さんのスタジオジブリに入社することを目指していました。学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
細田守(ほそだ まもる)
1967年9月19日生
身長非公表
血液型非公表
富山県上市町出身の映画監督
本名同じ
以下では細田守さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
細田守の学歴~出身小学校(上市町立宮川小学校)の詳細
出身小学校:富山県 上市町立宮川小学校
細田守さんの出身小学校は、地元上市町内の公立校の宮川小学校です。
家族構成は両親と3人家族です(ひとりっ子)。
細田さんは子どもの頃に祖母の家に預けられたことがあり、すっかり「お婆ちゃんっ子」になってしまったようで、この体験が「サマーウォーズ」に反映しているとインタビューで話しています。
細田さんは子供の頃は運動神経があまりよくなかったそうで、小学生になるまで自転車に乗ることができなかったそうです。
また吃音のため小学生時代はクラスメイトとコミュニケーションを取ることが苦手だったようで、なかなかクラスになじむことができませんでした。
そのため小学2年生までは特別支援学級に通っていました。
そんな時に宮崎駿の映画「ルパン三世 カリオストロの城」を観て、アニメのディレクターを目指すようになったそうです。
小学校の卒業文集には将来の夢について、「宮崎駿監督のようなアニメ監督になりたい」と書いています。
細田守の学歴~出身中学校(上市町立上市中学校)の詳細
出身中学校:富山県 上市町立上市中学校 偏差値なし
細田守さんの出身中学校は、地元富山県上市町内の公立校の上市町立上市中学校です。
細田さんはかなりのゲーム好きだったそうで、次のように話しています。
「中1のときぐらいかな?友達の家でマイコンで遊んだりしていましたね。高校ぐらいの時に従兄弟の家で朝までファミコンをやっていたりとか。『ファミスタ』とかね。もちろん『ドラクエ』なんかもプレイしました。」
中学3年生の時に飛行機での戦闘を描いた1分間アニメーションを手掛けています。
ちなみに製作方法はアニメ雑誌の「アニメージュ」などを参考にしていました。
またこの作品は学内で上映されています。
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細田守の学歴~出身高校(富山県立富山南高校)の詳細
出身高校:富山県 富山南高校 偏差値60(やや難関)
細田守さんの出身高校は、県立の共学校の富山南高校です。
この高校は1974年開校の県立高校です。
細田さんはアニメーター志望だったことから高校1年生のときに、アニメ映画「少年ケニア」のアニメーター公募して合格しています。
しかし学校の試験があったため上京できずに断念しています。
ちなみにこの映画の監督は大林宣彦さんで、細田さんは高校生ながら才能を見いだされています。
なお細田さんは高校時代の自身の家族の在り方について、インタビューで次のように振り返っています。
「高校生の頃は、確かにお盆に田舎で親戚が集まって、形の合わないテーブルをあわせてワイワイご飯食べてましたね。それが夏の大きなイベントでしたし、楽しかったという思いはあります。」
【主な卒業生】
瀬尾智美(声優)
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細田守の学歴~出身大学(金沢美術工芸大学)の詳細・スタジオジブリを目指していた
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出身大学:金沢美術工芸大学 工芸学部美術科油絵専攻 偏差値51(難関)
細田守さんは高校卒業後は、公立大学の金沢美術工芸大学に進学しています。
この大学は美術系の人気大学で、東京芸術大学などと並んで「国公立五芸大学」のひとつです。
また東京芸術大学には及びませんが、京都市立芸術大学や愛知県立芸術大学などと並んでそれに次ぐ難関芸術大学として知られています。
細田さんは大学時代は映画サークルに在籍して、実写映画の製作をしました。
大学時代に製作した実写映画はおよそ50本に及んでいます。
また細田さんは大学時代に学園祭の実行委員も務めており、映画監督の大林宣彦さんのピアノリサイタルを企画しましたが実現しませんでした。
加えて細田さんは学生時代は筒井康隆さんの作品に大きく影響を受けているそうで、インタビューでは次のように話しています。
「筒井先生の作品は小学生の頃から読み始め、学生時代を通し、今も読み返しています。筒井先生の作品はどれも先進的で、実験的なものばかり。筒井先生の作品を読み続けてきたから、今の僕がいるんじゃないかと思いますね(笑)。」
細田さんは大学を卒業後は宮崎駿のアニメ制作会社「スタジオジブリ」の研修生採用試験を受けており、一次試験では150枚以上の課題を提出しています。
この時に宮崎駿さんから細田さんに手紙が届いてあり、そこには次のように書かれていました。
「君のような人間を(ジブリ)に入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」
そこで細田さんは雑用でも良いのでスタジオジブリに入れてくださいという電話をしたところ、「今回の試験で宮崎さんが手紙を出したのは、全受験者中2人しかいない。その一人が君でこれは光栄なことだから、大人しく諦めなさい」と言われたそうです。
そして細田さんは1991年に、東映アニメーションに入社しています。
1997年にはテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第4シリーズで演出家としてデビューを果たしました。
そして32歳だった1999年に、「劇場版デジモンアドベンチャー」ではじめて監督に起用されています。
また2000年にはスタジオジブリに出向して、「ハウルの動く城」で宮崎さんとのコラボが実現しています。
ただし製作中に母親が脳梗塞で倒れたことから、途中で監督は宮崎さんに交代しています。
2009年に監督した「サマーウォーズ」が大ヒットしています。
以降も「おおかみこどもの雨と雪」や「バケモノの子」、「竜とそばかすの姫」などの話題作のアニメ映画の監督に起用されています。
監督作品は海外でも高く評価されており、カンヌ映画祭でも上映されています。
(上白石萌歌とカンヌで)
また本場のアカデミー賞にもノミネートされたことがあります。
以上が細田守さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
32歳の時に監督デビューしていますが、その後はヒット作を連発してヒットメーカーとして知られています。
また日本国内ばかりではなく海外でも高く評価されており、アカデミー賞にもノミネートされたことがあります。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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