お笑い芸人で映画監督の北野武さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。北野さんはどのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
北野武(きたの たけし)
1947年1月18日生
身長168㎝
血液型はO型
東京都出身のお笑いタレント、俳優、映画監督
本名は北野武、別名義はビートたけし
以下では北野武さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
北野武の学歴まとめ
出身大学:明治大学 工学部機械工学科(除籍)
出身高校:都立足立高校
出身中学校:足立区立足立第四中学校
出身小学校:足立区立梅島第一小学校
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北野武の学歴~出身小学校(足立区立梅島第一小学校)の詳細
出身小学校:東京都 足立区立梅島第一小学校
北野武さんの出身小学校は公立の足立区立梅島第一小学校です。
家族構成は両親と兄2人、姉の6人家族です(4人きょうだいの末っ子)。
2番目の兄は大学教授の北野大さんです。
末っ子だったことから祖母からはとても可愛がられたそうですが、母親からはとても厳しく育てられたため小学生の頃の学校の成績はとても良かったそうです。
中でも算数と図画工作が得意だったようです。
小学生の頃は硬式野球部に在籍していました。
小さい頃は悪いことばかりしていたそうです。
また北野さんの実家はペンキ屋だったこともあり、当時は親の仕事を子供が継ぐのが当たり前の時代でした。
しかし母親からは次のように言われていたそうです。
「ペンキ屋なんて、ついだってしょうがない。大学へ行けって、みんな大学行かされたんだ。」
記事引用:足立区
そのため近所からは「変わりもん」扱いを受けていたそうですが、兄がとても勉強ができたことから優秀とも言われていたそうです。
北野武の学歴~出身中学校(足立区立足立第四中学校)の詳細
出身中学校:東京都 足立区立足立第四中学校 偏差値なし
北野武さんの出身中学校は地元東京都足立区内の公立校の足立第四中学校です。
この中学は学区外でしたが教育熱心な母親が進学校を希望したことから、越境入学をしており、インタビューで次のように話しています。
「俺はホントは足立十中へ行く予定だったんだけど、四中のほうが進学校だって言われて、越境入学で四中へ行ってた。」
記事引用:足立区
(兄の北野大さんと)
中学時代は硬式野球部に在籍して部活動に励んでいました。
後にプロ野球・ロッテオリオンズのエースとして活躍する成田文雄さんが野球部にいました。
【主な卒業生】
田中好子(女優・元キャンディーズ)
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北野武の学歴~出身高校(都立足立高校)の詳細
出身高校:東京都 足立高校 難易度 中の上(現在の偏差値は46)
北野武さんの出身高校は、都立の共学校の足立高校です。
現在の同校は偏差値も46となっていますが、北野さんの時代は都立全盛期で進学校でした。
高校時代は軟式野球部に在籍していました。
前記のように中学までは硬式野球部に在籍していましたが、中学時代の同級生にプロ野球のロッテのエースとなる成田文男さんがいたことからレベルの違いを痛感して、高校では硬式野球を諦めて軟式野球部に入部しました。
また野球と並行してヨネクラジムでボクシングを習っていました。
北野さんは数学が得意だったことから、高校時代の全国模試の数学で1位を取ったことがあります。
このことからもし芸人になっていなかったら数学の研究者になりたかったそうです。
高校3年生の夏休みからは大学受験のために、1日12時間ほど猛勉強をしていたそうです。
【主な卒業生】
鴨下一郎(政治家)
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学歴~出身大学(明治大学)の詳細
出身大学:明治大学 工学部機械工学科(除籍) 偏差値58(現在・中の上)
※現在は理工学部
北野武さんは高校卒業後は明治大学に進学しています。
在籍した工学部の機械工学科の現在の偏差値は58程度ですが、北野さんの時代は現在よりもやや容易だったようです。
この大学の生田キャンパスに在籍していました。
北野さんは「高度経済成長の時代に文化系なんか行ったら大変なことになる」と言われたことから、機械科に進んだそうです。
大学2・3年の時には学園紛争が始まっていたことから、工学部には入れずに休校状態が続いていたそうです。
そのため大学生活にはあまり馴染めなかったようでアルバイトや趣味に明け暮れた日々を送っていたようです。
アルバイトはジャズ喫茶やクラブのボーイ、解体工などをおこなっていました。
そして大学2年生の時には実家を出て当てのないまま友人の家に居候していました。
また大学時代のことについて著書の「浅草迄」で次のように綴っています。
「大学の四年間、俺だけ学生運動とか前衛芸術とかジャズとかなにも分かりもしないで皆と屯(たむろ)して、将来はなにか新しい職業に就きたいと本を読んだり、舞台を見たり、マルクス・レーニンに凝ったり、国に反対したり…結局なににもなれなかった」
記事引用:浅草迄
大学3年生の時には106単位を取得していましたが、大学へ通う意欲がなくなってしまったことから以降は通学せずに、ジャズ喫茶に入り浸っています。
そしてその後に大学は除籍となっています。
ただし2004年に明治大学の知名度アップに貢献したことを理由に、「特別卒業認定証」を授与されています。
北野さんは25歳だった1972年夏から浅草のフランス座に芸人見習い兼エレベーターボーイとして在籍して、本格的にお笑い芸人を目指しています。
北野さんは漫才師になりたくてなったわけではなく「なってしまった」という感覚だったそうで、インタビューでは次のように話しています。
「もっといろんな仕事があって、何をやってもだめで、感覚としては社会の隅のほうに追いやられて、演芸場の舞台に立ってお笑いをやるようなことになっちゃったっていうのが昔の感覚なんだけど。」
そして26歳の時にビートきよしさんとともに、お笑いコンビ「ツービート」を結成しています。
すると1970年代後半の漫才ブームに乗って、人気コンビへと昇り詰めています。
さらに1981年から島田紳助さんや明石家さんまさんとともに「オレたちひょうきん族」に出演すると、その人気を決定的にしています。
その後は「スポーツ大将」や「元気が出るテレビ」、「平成教育委員会」などの出演番組が高視聴率を記録して、稀代のヒットメーカーとして知られることになります。
1989年には「その男凶暴につき」で映画監督としてもデビューを飾っています。
映画監督としては特に海外で高い評価をされています。
以上が北野武さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
お笑い芸人としては一世を風靡して、タモリさんや明石家さんまさんと並び「BIG3」と呼ばれるほどです。
また映画監督としても世界的に評価されています。
既に年齢は70代に入っていますが、未だに絶大な人気を誇っており今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1972年から浅草のフランス座で芸人見習いとして働きはじめる。
1973年にビートきよしとお笑いコンビ「ツービート」を結成。
コンビは1975年の「ライバル大爆笑!」でテレビ初出演。
1970年代後半の漫才ブームに乗ってブレイクし、1981年から「オレたちひょうきん族」の出演で人気が決定的になる。
同年からコンビでの活動が激減。
以降は「スポーツ大将」や「元気が出るテレビ」など冠番組が大ヒット。
1989年の「その男凶暴につき」で映画監督デビューして主演も務める。
以降も「HANA-BI」や「座頭市」、「アウトレイジ」などの作品を監督して、国際的にも高い評価を得る。
私生活では1983年に漫才師の松田幹子と結婚し、一男一女をもうけている。
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