「高須クリニック」院長の高須克弥さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は高須さんは小学校時代に旧地主階級ということで、壮絶なイジメに遭っていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
高須克弥(たかす かつや)
1945年1月22日生
身長170㎝
血液型はO型
愛知県一色町(現在は西尾市)出身の医師、実業家、タレント
高須クリニック院長
本名同じ
以下では高須克弥さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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高須克弥の学歴まとめ
出身大学院:昭和医科大学大学院 博士課程
出身大学:昭和医科大学 医学部
出身高校:東海高校
出身中学校:一色町立一色中学校
出身小学校:一色町立東部小学校
高須克弥の学歴~出身小学校(一色町立東部小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 一色町立東部小学校
※現在は西尾市立一色東部小学校
高須克弥さんの出身小学校は、地元一色町内の公立校の一色東部中学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族のようです。
生まれたのは戦時中の1945年1月で、防空壕の中で生まれています。
ちなみに高須家は男子に恵まれずに代々婿養子をとってきましたが、高須さんは高須家に100年ぶりに生まれた男子でした。
実家は江戸時代から続く医師の家系で大地主でもあったことから、非常に裕福な家庭に育っています。
また実家は戦後の農地改革で財産の大半を失っていますが、元地主階級だったことから高須さんは幼い頃から壮絶なイジメに遭っていたことをインタビューで話しています。
「僕の頭頂部にあるハゲは小1のとき石で殴られた痕です。授業中、まわりからいろんな物を投げつけられました。頻繁に通学カバンを奪われ捨てられました。椅子には画ビョウが仕掛けられていました。僕のあだ名“白豚”の落書きはいたるところで書かれていました」
記事引用:週刊女性PRIME
ただし高須さんは当時から女子にモテたことから「親衛隊」が守ってくれました。
「いつも地元のいじめっこにいじめられていたかっちゃん。登下校は親衛隊の女の子に守ってもらっていた。恩人のお嬢ちゃんたちは全員健在。いま恩返しの最中なう」
記事引用:デイリースポーツ
また先生たちは共産主義者であったことから、イジメを黙認していました。
「教師はシベリア抑留帰還者で旧地主階級の僕がいじめられるのを黙認していました。環境は最悪でしたが、父母と祖父は“アカ教師!”と教師を軽蔑していましたね」
記事引用:週刊女性PRIME
そのため祖母は教師を信じなかったことから、高須さんに師範学校出身の女性の家庭教師をつけています。
またイジメに関してはバットで立ち向かったことや祖母がいじめっ子に体罰を加えたことでなくなっています。
「父に“全て責任を取るからやってこい!”と言われ、僕はバットを持って死ぬ気で立ち向かったら“かっちゃんは死ぬ気で向かってくるヤバイやつ”というレッテルと引き換えに、いじめから逃れました。僕の母も幼少時いじめられ、今では考えられない方法ですが、祖母がいじめっ子を呼び出して体罰を加えてビビらせて、いじめを止めさせました」
記事引用:週刊女性PRIME
ちなみにこの経験で高須さんは「降参しなければ負けではない」との考えを持ったそうです。
なお父親は41歳の時に早世しており、以降は小児科医だった祖母に育てられています。
高須克弥の学歴~出身中学校(一色町立一色中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 一色町立一色中学校 偏差値なし
※現在は西尾市立一色中学校
高須克弥さんの出身中学校は、地元愛知県一色町内の公立校の一色中学校です。
田舎の学校だったこともあって、高須さんがこの中学校に在籍した頃は高校に進学する生徒は1割もいなかったとツイッターでつぶやいています。
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高須克弥の学歴~出身高校(東海高校)の詳細
出身高校:愛知県 東海高校 偏差値75(超難関・現在)
高須克弥さんの出身高校は、私立の男子校の東海高校です。
同校は愛知県内でも最難関の高校で、毎年のように東大や京大などの難関大学に合格者を出すことで知られています。
高須さんが在籍時には偏差値などの概念はありませんでしたが、進学校であったことは間違いありません。
またこの高校には一般受験で入学しており、かなりの学力を有していたはずです。
高校時代は部活動はおこなっていませんが、ボランティアクラブに在籍していました。
前記のように子供の頃にイジメられた経験があったことから、高須さんは困っている人の痛みを感じやすく、助けたいという思いにかられるそうです。
高校2年生の時に同校の医学部進学コースに進んでいますが、実は当時の夢は漫画家になることで、医師免許だけは取得しておこうと考えていました。
(高校時代)
また高須さんは高校時代は、女子にモテようと努力したことをインタビューで話しています。
「例えば石原裕次郎さんの歩き方を真似してみたり。ちょっと足を引きずってみるとか、背中を丸めてみたり。要するに映画スターの真似です。でもそういう小ざかしいことをすると可愛げがなくなる」
記事引用:日経woman
【主な卒業生】
海部俊樹(元内閣総理大臣)
林修(タレント)
三浦洋一(俳優)
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高須克弥の学歴~出身大学(昭和医科大学)の詳細
出身大学:昭和医科大学 医学部 偏差値68(難関・現在)
※現在は昭和大学医学部
高須克弥さんは高校卒業後は、私立の昭和医科大学に進学します。
現在は医師不足や社会の高齢化などで私大の医学部のレベルが急激に上昇していますが、高須さんが入学した時代は現在よりもかなりレベルが下でした。
高須さんは大学時代は体育会の空手部に所属して、部活動に励んでいます。
(高須さんは後列右端)
ちなみに高須さんは同期とともに熱心に練習をしたことから、この大学の空手部は関東の医科大学の中では最強だったそうです。
また「経験者の少ないスポーツなら一番を狙えるのでは?」と考えて、大学の理事長と交渉してアイスホッケー部を創立しています。
ちなみに当時のアイスホッケーの医大リーグには、慶応義塾大学と東京慈恵会医科大学、東京医科大学の3校しか加盟してなかったので、どこかに1勝すれば関東のベスト3になれたとのこと。
(高須さんは後列右から5人目)
当時のこの大学のアイスホッケー部には指導者はいませんでしたが、高須さんはリーダーシップを発揮して医大リーグで優勝を飾るほどになっています。
また安保闘争の真っ只中だったことから、高須さんもデモに動員されたことがあるとインタビューで述べています。
「大学に入学した当時も若者は左翼革命を夢見ている人がいっぱいいましたよ。当時は昭和医科大学の教授がみんな東京大学からやってくるから、それにかこつけて東大の学生もしきりにうちの大学にやって来るんだ。政治活動をやっている学生が「オルグ(勧誘活動)」をしにね。「デモに参加しろ」って言われて、デモに動員されていました」
記事引用:マイナビ学生の窓口
ただし高須さんは安保闘争や学生運動に興味はなく、当時交際していた奥さんとピクニック気分で参加しています。
また奥さんはハイヒールを履いて参加したのですが、機動隊ともみくちゃになった際に片方のハイヒールをなくしてしまいました。
ところがそのハイヒールは機動隊がずらりと並んだ前に落ちていたのですが、高須さんは機動隊員たちにペコペコしながら拾いに行ったエピソードを述べています。
その一方で大学時代は部活動などに打ち込んでいたことから、高須さんはあまり熱心に勉強しておらずたびたび授業をサボったり居眠りをしていたとのこと。
大学卒業後はこの大学の病院に整形外科医として勤務する傍ら、同大の大学院に進学して博士課程を修了し博士号も取得しています。
大学院時代は一転して勉強熱心になり、本来は4年生で仕上げる博士論文を1年生の時に完成させたほどでした。
そして高須さんは28歳だった1973年に、西ドイツのキール大学やイタリアのボローニャ大学、ローマ大学に研修留学しています。
キール大学で見た手術の光景に大きな衝撃を受けています。
「キール大学のユダヤ人教授が、自分の鼻を小さくする手術をするというので見学したのだ。面白そうだなと軽い好奇心で覗くと、そこには想像を絶する出来事が実践され、かつてない衝撃を受けた。「こんなの見たことない」。自分が認識していた医療というものの枠を大きく超えるその光景は、高須克弥の価値観をも根本から揺さぶったのだった。それをきっかけに、えらを削る、あごを短くする、歯のかみ合わせを整える、という手術にも立ち会った。そのたびに美容整形への想いは深まるばかりだった」
またドイツで学んだ形成外科の技術が日本で導入されていないことを知り、美容整形のジャンルも未開拓だったことから、1976年に美容外科の業界ならトップになれると考えて美容外科医に転身しています。
1977年には著書「危ない美容法」がベストセラーとなり、マスコミにもたびたび登場して知名度が大幅に上昇します。
以降も積極的なメディア戦略により、高須クリニックは国内でも有数の美容クリニックとなっています。
また2010年に前妻を亡くしていますが、2012年からは漫画家の西原理恵子さんと事実婚状態にあります。
また義理の娘の高須英津子さんのYOUTUBEチャンネルにも登場しています。
さらにツイッターなどで積極的に情報発信しており、たびたびその発言が大きな話題を呼んでいます。
以上が高須克弥さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
実業家としての才能にも優れて、高須クリニックを日本でも有数の美容整形クリニックへと育てあげました。
年収は50億円とも報じられたこともある反面、多方面に寄付活動などをしており、積極的に社会貢献もおこなっています。
既に年齢は70歳を超えているものの、年齢を感じさせない若々しさで精力的に活動をおこなっています。
今後も末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
大学の医局勤務を経て、1976年に名古屋市に高須クリニックを開設。
1977年に著書「危ない美容法」がベストセラーとなって、TV出演もはじめて知名度も上昇。
1983年から美容情報番組「美しくなりま専科」にレギュラー出演。
また包茎手術をTVや雑誌でマーケティングをおこなって、クリニックは大盛況となる。
その後は東京や横浜、大阪などにクリニックを開設し、5つのクリニックを運営。
多方面で多額の寄付活動をしていることで知られ、大相撲力士のタニマチを務めるほか、アイスホッケー女子日本代表にも援助をしている。
私生活では1969年に医師の女性と結婚し3人の息子をもうけたが、2010年に死別。
2012年から漫画家の西原理恵子と事実婚状態にある。
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