楽天の創業者の三木谷浩史さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は三木谷さんは中学時代は問題児で不良でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
三木谷浩史(みきたに ひろし)
1965年3月11日生
身長181㎝
血液型はO型
兵庫県神戸市出身の実業家
楽天株式会社の創業者で代表取締役会長兼社長
以下では三木谷浩史さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
スポンサードリンク
三木谷浩史の学歴まとめ
出身大学:一橋大学 商学部
出身高校:兵庫県立明石高校
出身中学校:白陵中学校→明石市立朝霞台中学校
出身小学校:明石市立松が丘小学校
三木谷浩史の学歴~出身小学校(明石市立松が丘小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 明石市立松が丘小学校
三木谷浩史さんの出身小学校は、地元明石市内の公立校の明石市立松が丘小学校です。
家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。
父親の三木谷良一さんは神戸大学の教授でした。
ただし父親は放任主義で子供たちを育てています。
三木谷さんは父親の仕事の関係で、小学1年生だった7歳から9歳まではアメリカで過ごしていました。
アメリカで過ごした2年で何をするに対しても常に意味を考える癖ができたそうで、勉強もスポーツも自身が納得したことでなければやらなかったそうです。
また授業中はおとなしく座っていることができずに歩き回っていたことから、廊下によく立たされることもあったそうです。
三木谷さんは算数では公式に当てはめて問題を解くのではなく、解き方を自身で考えていたそうです。
小学生時代はほとんど勉強をしてこなかったことから、通信簿の成績は5段階でほとんどが2か3だったと言います。
また通信簿には「学習中の姿勢がやや悪い」や「服装をきちんとしている時が少ない」、「身の回りの整理整頓に気をつけさせてください」、「忘れ物が少し多い」などと書かれていたそうです。
自身の子供時代を一言で表すと「子供らしい子供」だったそうで、遊んでばかりいたようです。
スポンサードリンク
三木谷浩史の学歴~出身中学校(白陵中学校・明石市立朝霞台中学校)の詳細・問題児で不良だった!
出身中学校:岡山県 白陵中学校 偏差値65(難関)
※後に明石市立朝霞台中学校に転校
三木谷浩史さんが入学したのは、私立の共学校の白陵中学校です。
この中学校は1963年開校の私立中学校で、岡山県内でもトップレベルの難関中学校として知られています。
三木谷さんは兵庫県明石市出身ですが、中学受験で合格後にこの学校に越境入学しています。
当時のこの中学校には全寮制だったので、実家から通わずに寮生活を送っていました。
ところが当時のこの中学校はかなりのスパルタ教育だったことから、三木谷さんはノイローゼ状態になってしまっています。
また成績も後ろから2番目で、かなりの問題児でこの学校の教師たちをたびたび煩わせています。
そして学校生活にも耐えきれなくなって、中学2年生の6月に明石市立朝霞中学校(偏差値なし)に転校しています。
三木谷さんは前の中学校の経験の反動から、転校先の中学校ではまったく勉強をしませんでした。
また当時は不良とつるんでおり、父親の財布からお金を盗んでパチンコや競馬に熱中しています。
それらに加え三木谷さんは中学時代に喫煙していたことも告白しています。
すると見かねた父親がテニスを勧めると、テニスに熱中しはじめテニス部にも入部しています。
また不良グループも抜けています。
その後は真面目になって、生徒会長を務めました。
ただし勉強はあまり熱心におこなわなかったので、学校の成績は悪かったそうです。
スポンサードリンク
三木谷浩史の学歴~出身高校(明石高校)の詳細
出身高校:兵庫県 明石高校 普通科 偏差値53(普通)
三木谷浩史さんの出身高校は、県立の共学校の明石高校です。
この高校は1923年開校の中堅県立高校です。
また同校はスポーツが盛んで、硬式野球部やソフトボール部などが県内では強豪として知られています。
前記のように三木谷さんは中学時代の成績が悪く、進学校には通学していません。
高校時代もテニス部に在籍して、部活動に励んでいます。
高校時代はテニスのジュニア関西でベスト16という記録を残しており、当初はプロのテニスプレーヤーを目指しています。
そのため大学には進学しないつもりでした。
ところが高校2年生の時の大会で優勝できなかったことがきっかけで、プロのテニスプレーヤーになることは諦めています。
その際には大学に進学することを決意していますが、当時の三木谷さんはまったく勉強しておらず、校内の成績は350人中320番でした。
とは言えこの高校の先生から今から頑張れば国立大学にも行けると言われて、高校2年生の夏休みから猛勉強をはじめています。
すると高校3年生の頃には、国立大学の神戸大学を受験できるレベルまで成績も急上昇しています。
現役での受験は失敗していますが、1浪後に見事に一橋大学に合格しています。
【主な卒業生】
赤江珠緒(アナウンサー)
大松恵美(タレント)
スポンサードリンク
三木谷浩史の学歴~出身大学(一橋大学)の詳細
出身大学:一橋大学 商学部 偏差値68(超難関)
三木谷浩史さんの出身大学は、国立大の一橋大学です。
ただし現役ではなく、1年間の浪人生活を経てこの大学に進学をしています。
前記のように三木谷さんは進学校の出身ではありません。
しかし高校2年生の夏から猛勉強をはじめて、浪人の末に最難関国立大学の1つであるこの大学に合格しています。
また自由な校風に憧れてこの大学を選んだそうですが、商学部を選んだ理由について次のように話しています。
「商学部に行くか経済学部に行くかで迷ったのですが、『金融論』が商学部にあるという父からのインプットもあり、商学部を選びました。」
記事引用:一橋大学商学部
この大学では体育会硬式テニス部に在籍しており、部員が100人を越える中で大学3・4年生のときにキャプテンも務めています。
キャプテンを務めていた時に自身も一生懸命と部活に励んでおり、厳しかったことから「鬼のキャプテン」と呼ばれていたそうです。
キャプテンを務めたことで性格が変わったようで、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「この時期に、人間性が少し変わったかもしれません。リーダーシップの原点といえるかわかりませんが、たとえば長年続いていた新入生の球拾いをやめさせました。いくらボールを拾っても、テニスがうまくなりっこない。先輩・後輩に関係なく、各自で拾えばいいんです。そういうムダなことを改善していましたね。」
記事引用:nipponn-shacho.com
大学3年生のときには金融論の「花輪ゼミ」に進んでおり、ディスカッションや院生との交流が刺激的で楽しかったそうです。
なお三木谷さんは大学卒業後は日本興業銀行に入社しており、石原慎太郎さんの三男で政治家の石原宏高さんとは同期入社でした。
石原さんとは現在でも親友の仲です。
三木谷さんは当時のことについて次のように振り返っています。
「僕は88年に新卒で日本興業銀行に入ったんです。国立大だったからかもしれないけど、僕らの頃はみんな大企業志向で、起業なんてことはまったく頭になかった。」
記事引用:leaders-file.com
なお28歳だった1993年には、ハーバード大学の経営大学院に留学してMBAも取得しています。
30歳だった1995年に阪神・淡路大震災で敬愛していた叔父夫婦を亡くして起業を決意すると、その2年後には楽天市場を開設して大きな利益を上げています。
ちなみに楽天を立ち上げた際には、社員はわずか7名でした。
その後も順調に企業規模を拡大し、国内でも有数の資産家として知られています。
また慈善活動家としても知られており、東日本大震災の際には個人で10億円以上を寄附しています。
以上が三木谷浩史さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
前述のように学生時代は問題児でしたが、更生して難関大学に進学しています。
また実業家に転身後は次々と事業を成功させて、国内でもトップクラスの資産家になっています。
何かと話題の多い人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1988年に日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。
1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに企業を決意。
1996年にコンサルタント会社を設立し、そこで上げた6000万円の利益を元手として、1997年に株式会社エム・ディー・エム(楽天の前身)を設立。
同年5月に楽天市場を開設し、1999年に会社名を「楽天株式会社」に改名。
2002年にフォーブス誌の「若手富豪ランキング」6位になる(当時の資産は約3000億円)。
2003年にJリーグのヴィッセル神戸を買収し、2004年にプロ野球に参入。
2010年にフォーブス誌の「日本人富豪ランキング」6位となり、総資産は約4277億円と報じられた。
私生活では1991年に銀行の1年後輩の女性と結婚し、息子がいる。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。