橋下徹の学歴と経歴|出身は早稲田大学・北野高校!中学校の偏差値と学生時代や若い頃のかっこいい画像

 

かつては政治家として「維新旋風」を巻き起こし現在はタレントとして活躍する橋下徹さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。部活動に打ち込んだ高校時代や素行不良だった中学校時代など、学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

橋下徹(はしもと とおる)

 

 

1969629日生

身長173

血液型はO型

 

大阪府出身のタレント、弁護士、政治家

元大阪府知事、大阪市長

本名同じ

 

以下では橋下徹さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

橋下徹の学歴まとめ

 

出身大学:早稲田大学 政治経済学部経済学科

出身高校:大阪府立北野高校

出身中学校:大阪市立中島中学校

出身小学校:渋谷区立中幡小学校→吹田市内の公立校→大阪市立啓発小学校

 

橋下徹の学歴~出身小学校(大阪市立啓発小学校)の詳細

 

出身小学校:大阪府 大阪市立啓発小学校

 

 

 

橋下徹さんの出身小学校は、大阪市内の公立校の啓発小学校です。

 

当初は東京の渋谷区立中幡小学校に入学していますが、小学校5年生の時に大阪府吹田市に移住し、吹田市内の小学校に転校。

 

その翌年には大阪市東淀川区に移り住んで、この小学校に編入して卒業しています。

 

家族構成は両親と妹の4人家族ですが、父親は暴力団組員で橋下さんが物心つく前に自殺しています。

 

橋下さんは父親についてはほとんど語ることがありませんが、雑誌のインタビューで次のように話したことがあります。

 

「父親の思い出はひとつだけ。2、3歳のとき、食事中にはしを投げたら、背負い投げされてぼこぼこにされたんです」

記事引用:カクヨム

 

その後は母親が苦労してきょうだいを育てていますが、経済的に恵まれていない幼少期を過ごしています。

 

また母親については「おかんは昼も夜も働きづめで自分と妹を育ててくれた」「母子家庭の厳しさは、この私自身がよくわかっています」などと感謝を述べています。

 

加えて子供の頃は母親から「妹をいじめるな」「目上の人を敬え」「人を傷つけるな」の「3つの約束」を交わしています。

 

 

また橋下さんは小学校時代から運動神経がよく、当時は少年野球チームに入っていました。

 

大阪の小学校に転校後は毎日のようにケンカを売られていますが、橋下さん自身も勝気な性格で当時は体も大きかったことから、ケンカには負けなかったと言われています。

 

ただし以降は不良仲間と付き合うようになって、タバコを吸ったり万引きをしたりしています。

 

また当時は母子家庭だったことから生活が厳しく、吹田市内から大阪市に転居した際も家賃が払えなくなったことからでした。

 

当時は家賃が8000円ほどの安アパートに一家で暮らしています。

 

 

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橋下徹の学歴~出身中学校(大阪市立中島中学校)の詳細

 

出身中学校:大阪府 大阪市立中島中学校 偏差値なし

 

 

 

橋下徹さんの出身中学校は、大阪市内の公立校の中島中学校です。

 

当時のこの中学校は大阪でも一、二を争うほどの荒れた学校で、不良たちがたくさんいました。

 

橋下さんは中学時代もラグビー部に在籍して、キャプテンを務めるほどでした。

 

 

中学校時代はチームは弱小でしたが、橋下さんは大阪選抜に選ばれたほどでした。

 

また橋下さんは中学時代に自転車を盗んだ容疑で警察に補導されていますが、このことをたびたび週刊誌などでも告白しています。

 

「警察で、友達のことをしゃべらなかったら『しゃべれ!』って名簿みたいなんで背中たたかれて、これが警察かと。警察は暴力は絶対しないなんて言ってますけど、殴って吐かしてんだろうっていうのは、身にしみて体験したんです」

 

この際に仲間について一切口を割ることがなかったことから、橋下さんは当時の悪仲間からは一目置かれることになります。

 

加えて中学時代も学校の成績が悪く、模試の偏差値も44だったとインタビューで話しています。

 

そのため当時の担任の先生からはもっとレベルの低い高校への進学を勧められていますが、橋下さんは「僕だって、本当はみんなと同じ高校に行きたい。でも僕はどうしても勉強したい。勉強ができる環境にいかなあかんねん」とこれを拒絶しています。

 

そのため高校受験の際にはかなりの猛勉強をしてわずか2か月間で模試の偏差値を20以上上げて、大阪でも最難関校のひとつである北野高校に合格しています。

 

 

ちなみに橋下さんは後日講演会で母校を訪れた際には真っ赤なポルシェで乗り付けて、「努力すれば誰だって這い上がれるんです」と生徒たちに語りかけています。

 

なお前記のように母子家庭に育ったことから小学校時代まではかなり経済的に厳しい生活を強いられていますが、中学校1年生の時に母親が再婚したことから以降は生活が安定しています。

 

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橋下徹の学歴~出身高校(大阪府立北野高校)の詳細

 

出身高校:大阪府 北野高校 偏差値75(超難関)

 

 

 

橋下徹さんの出身高校は、県立の共学校の北野高校です。

 

この高校は1883年開校の大阪府内でも有数の伝統校です。

 

また同校は大阪でもトップクラスの最難関校で、東大や京大などにも毎年のように合格者を出しています。

 

橋下さんはこの高校には一般受験で進学しており、高い学力を有していました。

 

橋下さんは高校時代はラグビー部の主力選手として活躍し、高校日本代表候補にもなったほどの実力でした。

 

 

高校3年生の時には母校を47年ぶりに全国大会に導いています。

 

全国大会でも1、2回戦を勝ち抜いていますが、3回戦の伏見工業高校戦の前に橋本さんはマスコミのインタビューで「3トライを決める」と宣言しています。

 

しかし対戦相手の伏見工業高校は当時の超強豪校であり、橋下さんのビッグマウスにメンバーが激怒。

 

そのため3回戦では伏見工業高校のメンバーたちから強烈なタックルを浴びて、チームも敗れています。

 

ちなみにこの時の試合は12-16の接戦で、橋下さんも「ラグビーをやって、マイナスのことなんて一つもなかった」とインタビューで語っています。

 

また高校生クイズ選手権にも出場していますが、大阪府の予選で敗退しています。

 

しかしあまり真面目に学業には取り組んでおらず、高校時代の成績は非常に悪かったとインタビューで語っています。

 

(高校時代)

 

また橋下さんは高校時代はバンドを組んでおりドラムを担当して、学園祭や文化祭で演奏をするなどアクティブな高校生活を送っています。

 

 

加えて中学時代までは素行不良の面もありましたが、高校以降はそのような面は陰を潜めています。

 

ちなみに高校時代のあだ名は「ハシゲ」でした。

 

また前記の典子さんとは高校の同級生でしたが高校時代は交際をしておらず、高校卒業後から付き合いはじめています。

 

【主な卒業生】

久彌(俳優)

阿部純子(女優)

手塚治虫(漫画家)

 

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橋下徹の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細

 

出身大学:早稲田大学 政治経済学部経済学科 偏差値68(難関)

 

 

 

橋下徹さんは高校卒業後は、早稲田大学へ進学しています。

 

看板学部の政治経済学部に入学しますが、一年間の浪人生活を経ています。

 

浪人時代はあまり真面目に受験勉強をしなかったそうです。

 

大学時代の同じ学部の同期生にはアナウンサーの羽鳥慎一さんがいましたが、在学中はお互いに面識はありませんでした。

 

 

また橋下さんは高校の同級生だった典子さんと結婚していますが、大学進学のために上京する際には典子さんは在籍していた神戸大学に籍を残したまま一緒に上京し、6畳ひと間の風呂、トイレなしのアパートで同棲生活をはじめています。

 

(典子さん)

 

大学2年生の時に学生ビジネスではじめた革ジャンの卸業で250万円もの不渡り手形を掴まされていますが、独学で商法を勉強して訴訟を提訴しています。

 

ただしこのビジネスは傷物の革ジャンにロウを塗って新品に見せかけて1着当たり7~8万円の利益を得ていたもので、まっとうな商売ではありませんでした。

 

このあたりには橋下さんにも非があったようですが、若気の至りと言ったところでしょうか。

 

またこの際に本気で法律を勉強することになるのですが、このあたりについてはインタビューで次のように話しています。

 

「それで、どうすべきか対処の方法を調べていくうちに興味が出てきて。まあ高校時代も、校則とか、法の雑学本とか、そういうものを細かく見てた。自由でいたかったから、そのための規則はどうなっているんだ?と」

 

このことがきっかけに弁護士を目指すと、当時は非常に難関だった司法試験に25歳の若さで一発合格しています。

 

 

司法試験の勉強中は典子さんがアルバイトをして、橋下さんを支えていました。

 

なお橋下さんは大学は1年間の留年を含めて5年間で卒業しています。

 

また司法試験に合格した翌年に、橋下さんは典子さんと結婚しています。

 

当初は典子さんの両親には結婚を反対されましたが、司法試験に合格したこともあって最終的には了承を得ています。

 

司法修習生を経て弁護士として活動しはじめますが、わずか1年あまりで自分の事務所を構えるまでに至ります。

 

その後はタレントとしてテレビ出演しはじめると、歯に衣着せぬ弁舌で人気者になります。

 

 

当時の橋下さんの年収は3億円とも言われて、大阪近郊の高級マンションの最上階に転居しています。

 

そして39歳だった2008年に政治家に転身後は一時は維新旋風を巻き起こして、将来の総理大臣候補とも称されました。

 

 

しかし2015年に政治家を引退して、弁護士やタレントとしての活動を再開しています。

 

2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

 

こちらでは様々な情報を発信して好評を博しています。

 

以上が橋下徹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

政治家時代は「維新ブーム」を巻き起こすなど、常に注目を集める存在でした。

 

ƒ‹

 

現在は政治家を引退していますが、その言動は事あるごとに話題になっており、未だに強い影響力を持っています。

 

 

何かと話題の多い人物だけに、今後の活動にも注目です。

 

橋下徹の経歴

 

1969年(0歳):東京都渋谷区で生まれる(大阪府大阪市育ち)

1976年(7歳):大阪市立啓発小学校に入学

1982年(13歳):大阪市立啓発小学校を卒業

1982年(13歳):大阪市立中島中学校に入学

1985年(16歳):大阪市立中島中学校を卒業

1985年(16歳):大阪府立北野高校・普通科に入学

1987年(18歳):高校ラグビー全国大会に出場

1988年(19歳):大阪府立北野高校・普通科を卒業

1989年(20歳):早稲田大学・政治経済学部経済学科に入学

1993年(24歳):早稲田大学・政治経済学部経済学科を卒業

1994年(25歳):司法試験に合格

2003年(34歳):「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演

2007年(38歳):大阪府知事選挙に初当選

2010年(41歳):大阪維新の会を結党

2011年(42歳):大阪市長選挙に初当選

2015年(46歳):政界を引退

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

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