山中伸弥の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|スポーツに打ち込んでいた

 

ノーベル賞受賞者でコメンテーターとしてもお馴染みの山中伸弥さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は山中さんは学生時代はラグビーなどのスポーツやバンドなどに打ち込んでいました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

山中伸弥(やまなか しんや)

 

 

1962年9月4日生

身長非公表

血液型はB型

 

大阪府枚岡市(現在は東大阪市)出身の医学者

 

以下では山中伸弥さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

山中伸弥教授の学歴~出身大学・大学院の詳細

 

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出身大学:神戸大学 医学部医学科 偏差値68(超難関)

 

 

 

山中伸弥さんは高校卒業後は、国立の神戸大学に進学しています。

 

進学したのは医学部医学科でかなりの学力を有していました。

 

(大学時代)

 

医学部ということで勉強ばかりしているように思われがちですが、実は山中さんは大学では柔道部に在籍していました。

 

当初は大学でラグビーをしようと思っていましたが、大学入学時に柔道部員に取り囲まれて「自動的に柔道部に入部した」とインタビューで話しています。

 

ただし大学2年生の時にケガをしたことから、柔道部は退部しています。

 

その後にケガが完治すると大学3年生からはラグビー部に入部しています。

 

(右が大学時代の山中さん)

 

医学部は6年制なので、その後3年間はラグビーに打ち込んでいました。

 

山中さんは当時について次のようにインタビューで振り返っています。

 

「(ポジションは)4番(ロック)です。私が4番をやるくらいだったから、そんなに強いチームではなかったですね。元柔道部だったので「ラグビー部格闘技班」と呼ばれていて…いまだに当時バックスだった後輩からもらう年賀状に「僕は山中先生にパスをした覚えはありません。また、パスをもらった覚えもありません」と(笑)。そういうプレーヤーでした」

 

(ラグビー部時代・左から3人目)

 

このように山中さんは学生時代は決して勉強だけに打ち込んでいたのではなく、スポーツにも取り組んでおり文武両道型の学生でした。

 

山中さんは神戸大学卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務をはじめます。

 

その後に仕事があまりにも単調だったため、わずか3年で病院を退職して、現場の医師はやめています。

 

そして研究者を目指して1989年に大阪市立大学大学院に入学しています。

 

 

その際の面接試験で『自分は研究がしたいんです!通してください!』と面接官に向かって叫んだというエピソードがあります。

 

見事合格することになりますが、後日その面接官から言われた言葉は『もし、あの時叫んでいなかったら君は落ちていた』だったのだとか。

 

その後にiPS細胞の研究に着手して、2012年に「ノーベル生理学・医学賞」を受賞しています。

 

 

以降は研究者のみならず、コメンテーターとしてもマスコミにたびたび出演しています。

 

 

そのソフトな口調でありながら鋭い切り口のコメントは非常に好評です。

 

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山中伸弥教授の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:大阪教育大学教育学部附属高校天王寺校舎 偏差値73(超難関)

※現在は大阪教育大学附属高校天王寺校舎

 

 

 

山中伸弥さんの出身高校は、大阪教育大学教育学部附属高校天王寺校舎です。

 

この高校は1956年開校の国立の共学校ですが、当時から大阪府内でもトップレベルの高校として知られています。

 

山中さんは高校時代は柔道部に在籍しており、二段・黒帯を取得するほどの腕前です。

 

(2列目右から2人目)

 

当時の同級生には政治家で現自由民主党 世耕弘成氏がおり、二人の自宅が近かったのもあり中学高校6年間を親友として過ごし同じ電車で学校へ通学していました。

 

 

ちなみに世耕さんも後に柔道部へ入部し、山中伸弥さんと共に切磋琢磨し合う日々を過ごしていたようです。

 

また高校時代に授業でラグビーがあったことから、当時からラグビーの虜になったとインタビューで話しています。

 

「ラグビーとの出会いは高校の体育の授業です。私が通っていたのは大阪教育大学の付属高校だったのですが、冬になると、とてもラグビーが好きな先生がラグビーの指導だけに学校へ来てくれて非常に熱い指導をしてくれました。それでラグビーの虜になりました」

 

さらに山中さんは高校時代に友人らと共にかぐや姫のコピーバンド『枯山水』を結成し、ボーカルとギターを担当していました。

 

バンドは毎年学園祭の舞台に出て、演奏を披露していました。

 

 

このように山中さんは当時から勉強だけではなく、様々なことに興味を持って取り組んでいます。

 

なお医学部を目指したのは高校の頃からと語っています。

 

父親から医師になることをすすめられたものの、当初は将来に不安があり相当悩んでいたそうです。

 

その後、日本最大規模の病院・医療事業グループを築いたことでも知られる徳田虎雄氏の著書「生命だけは平等だ」読んだことで徳田氏の考え方や生き方に感銘を受けて、本格的に医師への道を志すことになります。

 

 

【主な卒業生】

上西小百合(元政治家)

エハラマサヒロ(お笑い芸人)

辰巳拓郎(俳優)

宇治原規史(お笑い・ロザン)

菅広文(お笑い・ロザン)

 

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山中伸弥教授の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:大阪教育大学附属天王寺中学校 偏差値65(難関)

 

 

 

山中伸弥さんの出身中学校は、国立の共学校の大阪教育大学附属天王寺中学校です。

 

この中学校は公立校ですが国立中学校なので入学試験があり、府内でも有数の難関中学校としてしられています。

 

また出身高校の系列校なので、高校へは内部進学で進んでいます。

 

山中さんは中学時代も柔道部に在籍しています。

 

中高一貫校で学生生活を過ごしていた山中さんは、当時の同級生からしてみると『スーパーマン』のような存在だったといいます。

 

中学3年生の頃には先ほども紹介した世耕さんが生徒会長、山中さんが副会長を務めていました。

 

2人はとにかく情熱的に相手の心に刺さるような、熱のこもった話し方をすることができ穏やかな雰囲気とは真逆の力強さは持っていると同級生から一線を博していたようです。

 

柔道に生徒会副会長との両立で夜遅くまで打ち込んでいたこともあり、帰宅はいつも遅い時間だったようです。

 

しかし、成績は常にクラスでトップクラス。

 

その上周りから見ても勉強を必死でやっている様子は伺えなかったのだとか。

 

ものすごい集中力と効率の良さが後のノーベル賞受賞につながったのかもしれません。

 

山中伸弥教授の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:奈良県 奈良市立青和小学校

 

 

 

家族構成は両親と姉の4人家族です。

 

実家はミシンの部品を作る町工場を営んでおり、普通の家庭に育っています。

 

また両親ともに工場で働いていたことから忙しく、子供の頃からほったらかしで育ったとインタビューで話しています。

 

小学校は当初は、東大阪市立枚岡東小学校に通っていました。

 

小学4年生の頃に奈良県北西部に位置する奈良市学園前に引越ししたことで、奈良市立青和小学校へ通うことになります。

 

小さい頃から神童のようなエピソードはなく、目立ち始めたのは小学6年生の頃だったとか。

 

その頃から突然、成績が上がりはじめ算数のテストでは100点ばかりを取り一目置かれる存在になります。

 

その理由は中学受験のための塾通いにあったと言います。

 

実は難関校へ進学するための個人塾へ通っていた山中さん。

 

先生は竹刀を持って叩くような絵に描いたようなスパルタな塾でした。

 

週4日通いで日によっては夜遅くまで勉強していたため帰りの電車に間に合うように走っていたという小学生時代を送っていたのです。

 

その頃から周りとは違うレベルで努力と才能を発揮していたことが分かります。

 

以上が山中伸弥さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

周知の通りノーベル賞を受賞しているインテリですが、決して勉強ばかりではなくスポーツなどにも打ち込んでいた学生時代でした。

 

 

このところはマスコミに出演する機会も増えています。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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