前田裕二の学歴と経歴|出身は早稲田大学・深川高校!中学校の偏差値と壮絶な生い立ち

 

SHOWROOMなどの数々の事業を成功させ敏腕実業家として知られる前田裕二さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。その壮絶な生い立ちや超人的な学生生活など、学生時代のエピソードや情報も併せてご紹介いたします

 

前田裕二(まえだ ゆうじ)

 

 

1987623日生

身長非公表

血液型はA型

 

東京都出身の実業家

本名同じ

 

以下では前田裕二さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

前田裕二の学歴まとめ

 

身大学:早稲田大学 政治経済学部

出身高校:都立深川高校

出身中学校:葛飾市立双葉中学校

出身小学校:北区立滝野川第七小学校

 

前田裕二の学歴~出身小学校(北区立滝野川第七小学校)詳細と壮絶な生い立ち

 

出身小学校:東京都 北区立滝野川第七小学校

※現在は北区立田端小学校

 

 

 

前田裕二さんが入学した小学校は、東京都北区内の公立校の滝野川第七小学校です。

 

「アナザースカイⅡ」に出演した際に、この小学校の出身者であることが判明しました。

 

なおこの小学校は2014年に滝野川第一小学校と統合されて、現在は北区立田端小学校になっています。

 

家族構成は両親と10歳年上の兄の4人家族です。

 

ただし3歳の時に父親を亡くしており、物心ついた頃から父親はいませんでした。

 

以降は兄とともに母子家庭に育っています。

 

インターネット上には母親の職業は歌手だったとの情報もありますが真偽は定かではありません。

 

ただし前田さんは子供の頃に母親とよくカラオケに行っていました。

 

母親は優しくて非常に愛情深かったとも語っています。

 

ところが8歳の時(小学校2年生の夏)に実母も亡くしてしまっています。

 

当時を振り返って前田さんは「生きるモチベーションを完全に失ってしまい、絶望していました」とインタビューで話しています。

 

母親の死因については交通事故とする情報もありましたが、真偽は明らかではありません。

 

そのため1年弱の間は定住する場所がなく友達の家を転々して、ホームレスのような放浪していました。

 

また滝野川第七小学校に通学したのはその時まででした。

 

小学校2年生の時はまるまる一年間学校に通学しておらず、今でも小学校2年生で習うはずの九九が苦手と語っています。

 

その頃は警察署で寝泊まりしたこともあったそうです。

 

その後に10歳上の兄とともに親戚に引き取られていますが、グレてしまい「ヒネくれた幼少期を過ごしていた」と語っています。

 

他のインタビューでも小学校5年生くらいまでは学校にあまり行っていなかったと述べており、その頃までは不真面目だったようです。

 

しかし医者になりたかった兄がお金を稼ぐために高校卒業後に就職したことや警察沙汰を起こした際に兄が涙したことなどで前田さんは立ち直っています。

 

なお現在でも前田さんはたったひとりの肉親である兄を尊敬しており、「家族は何よりも勝る」という考え方の持ち主です。

 

それらに加えて小学校時代に先生に褒められたことも立ち直るきっかけになったそうです。

 

「はっきりと覚えているのですが、先生に褒めてもらえたことです。授業で担任の先生が言ったことをまとめて色付けし、シールまで貼っていたら、そのノートを見た先生がすごく褒めてくれました。それが本当に嬉しくて」

記事引用:東京カレンダー

 

そのため以降は真面目に勉強にも取り組むようになっていますが、有名進学塾に通学する女子にはどうしても勉強では勝てませんでした。

 

そのためその頃から授業中にメモをとるようになっています。

 

なお「メモ魔」として知られている前田さんですが、小学校時代からノートは板書をただ書き写すだけではなく、気づいたことを加筆したりシールや色分けなどもおこなっていたそうです。

 

(現在のメモ帳)

 

加えて親戚の家で同居していた11歳上の従兄弟が音楽好きで、ギターも与えてくれました。

 

前田さんは10歳で近所の駄菓子屋でアルバイトをさせてくれと頼みましたが、断られています。

 

以降はお金を稼ぐ手段を色々と試して、11歳で路上でのギターの弾き語りを開始しお金稼ぎをはじめています。

 

当初は月に300円ほどの稼ぎにしかなりませんでしたが、コツを掴むと弾き語りだけで月15万円も稼ぐことができるようになっています。

 

ちなみに最初は地元の江戸川区や足立区で弾き語りをはじめていますが稼ぎにならなかったことから、富裕層の多い港区の白金まで行くと稼ぐことができたそうです。

 

また前田さんは子供の頃にこのような体験をしたことはラッキーだったとも述べています。

 

「子どもの頃にその経験ができたのは、本当にラッキーでしたね。お客さんの反応を目の当たりにし、「人に喜んでもらう。そうするとお金が生まれるんだな」と気づきました」

記事引用:東京カレンダー

 

このような壮絶な経験をしていますが、自身の生い立ちについては前田さんはインタビューで次のように話しています。

 

「僕は8歳で両親を亡くし、いわゆる「普通」とは違う家庭環境で育ちました。経済的にも恵まれていたとは言えません。そのために自分は不幸だと考え、物事に前向きに取り組めない時期もあったのですが、年の離れた兄が深い愛情で僕を守ってくれ、逆境をバネにできるようになりました。だから、どんな境遇に置かれた人であっても、努力すればきちんと報われる世界をつくりたい。「与えられた運命に打ち克つことはできるんだよ」と言いたいという気持ちが人一倍強くあるんです」

記事引用:就職ジャーナル

 

前田裕二の学歴~出身中学校(葛飾区立双葉中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 葛飾区立双葉中学校 偏差値なし

 

 

 

前田裕二さんの出身中学校は、東京都葛飾区内の公立校の双葉中学校です。

 

後述するように前田さんは子供の頃に実の両親を亡くしており、中学時代も葛飾区内の親戚の家にお世話になっております。

 

中学時代もバスケットボール部に在籍しており、部活動に励んでいました。

 

小学校高学年の頃から路上での弾き語りでお金を稼いでいますが、弾き語りは中学2年生の頃までおこなっていました。

 

前田さんもインスタグラムで昔弾き語りをおこなっていたことを明らかにしています。

 

中学3年生になるととび職のアルバイトを開始しています。

 

そのため当初は高校に進学しないで職人になることを検討していますが、親戚に高校に進学することを勧められたことから高校に進学しています。

 

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前田裕二の学歴~出身高校(都立深川高校)の詳細

 

出身高校:東京都 深川高校 外国語コース 偏差値57(中の上)

 

 

 

前田裕二さんの出身高校は、都立の共学校の深川高校です。

 

この高校は1924年開校の都立高校で、普通科内に英語教育を重点的におこなう外国語コースを2学級設置しています。

 

前田さんは金銭的に余裕がなかったので、年間の学費が30万円ほどですむ都立校を選んで進学しています。

 

またこの高校の外国語コースのカリキュラムが魅力的だったことから、この高校を選んだとインタビューで話しています。

 

そのため同校の外国語コースに在籍していました。

 

前記のように前田さんは小学校時代に両親を亡くしており親戚の手で育てられたことから当初は高校へ進学するつもりはありませんでしたが、親戚の勧めで進学しています。

 

高校時代は親戚の家に住んでそこから通学しています。

 

高校ではバスケットボール部に所属して部活動に励んでいます。

 

また金銭的にも不安があったことから前田さんは高校時代は常にアルバイトをしています。

 

高校の部活動が終わってからファミレスで働いて、2、3時間仮眠をとった後に新聞配達のアルバイトをして、再び部活の朝練に参加するという普通の高校生には考えられない生活を送っています。

 

ただし練習のし過ぎで高校2年生の時に膝を故障したことから、バスケットボール部は退部していることをインタビューで話しています。

 

バスケットボール部をやめた後は英語のディベートに取り組みますが、そこでもすぐに頭角を現して高校の代表になっています。

 

高校時代は不遇であったことから反骨心を見せて、留学経験もないのに英語のディベート大会に出場し、帰国子女たちを尻目に優勝した経験もあります。

 

「留学したくてもいろいろな事情から僕はできなかったので、そのぶん熱意が高まったんだと思います。商社勤めの家に生まれた子は、親の仕事の都合で海外に行って、自然と英語を身につけることもできるかもしれない。一方、僕は、そもそも海外に渡ることさえできない。だから、本人の努力ではなく、生まれた場所や環境で身につけられるスキルが決まるのは許せないという思いがすごくあって」

記事引用:東京カレンダー

 

これらに加え前田さんは中学時代から高校時代にかけてはバンドを組んでおり、ドラムスを担当してライブハウスで演奏もしています。

 

さらに高校時代には好きな作家の作品を読み込んだともインタビューで語っています。

 

ちなみに当時のお気に入りは星新一さんのショートショートでした。

 

前田さんは生い立ちも壮絶ですが、超人的なモチベーションで高校時代を駆け抜けています。

 

当時を振り返って「当時は本当に体力があった。今じゃあんな生活はできない」とも語っています。

 

ちなみに前田さんは中学・高校時代に担任の先生やクラスメイトをひたすら分析して、「こいつ、こういうヤツだな」と批評する嫌な奴だったとインタビューで話しています。

 

加えて高校時代は経済的な余裕がなかったことから学習塾や予備校などに通うことなく、大学入試を迎えています。

 

ちなみに第一志望を早稲田大学・政治経済学部に定めたのは高校2年生の冬です。

 

経済的な事情に鑑みれば浪人はできず、受験科目が5科目の国立大学は受験期間が足りないので最初から諦めていました。

 

そのため有名私立大学にターゲットを絞ったところ、予備校の偏差値一覧表の一番上に早稲田大学政治経済学部があったので「どうせなら一番上」ということでこの大学・学部を受けることにしています。

 

ただし当初は学力が足りずに、合格圏はほど遠かったとのこと。

 

そのため前田さんは古本屋で赤本を15年間分購入して、徹底的に過去問を解く戦略を思いつきました。

 

するとどんな問題の比重が大きく、どのようなレベルが求められているのかという傾向がわかったそうです。

 

また「1日に英単語をこれだけ覚える」といった小さな目標を設定して、モチベーションの維持にも務めました。

 

このような学習方法で成績を徐々に上昇させて、正しい方法でやればやるだけ必ず成果が出ることがわかったとインタビューで話しています。

 

ちなみに前田さんにとって大学受験は「ゲーム感覚」だったそうです。

 

とは言え後記のように早稲田大学政治経済学部を含めて、受験した大学にはすべて合格しています。

 

【主な卒業生】

五月みどり(女優)

三遊亭楽太郎(円楽・落語家)

 

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前田裕二の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細

 

出身大学:早稲田大学 政治経済学部 偏差値68(難関)

 

 

 

前田裕二さんは高校卒業後は、私立の名門大学の早稲田大学に進学しています。

 

同大の看板学部の政治経済学部に一般受験で現役合格しているので、かなりの学力を有していたことは間違いないはずです。

 

前田さんはこの大学に進学したのは、10歳年上の兄を喜ばせたかったからとインタビューで話しています。

 

「明確に良い大学に行きたい理由があった。それは、兄を喜ばせたかったからです。兄は僕のちょうど10歳年上」

記事引用:東京カレンダー

 

お兄さんは昔は医者を志望しており大学に行きたくとも働いて家にお金を入れなければならなかったことから、兄の代わりに一流大学に行きたかったそうです。

 

(前田裕二の兄)

 

大学に合格した際にはお兄さんも喜んでくれたそうです。

 

ちなみに前田さんは高校時代に「受験したところは全部合格します」と先生に宣言しており、その宣言通りこの大学を含めてすべての大学に合格しています。

 

ただし受験勉強中に母親(実母ではない・育ての親)を亡くしています。

 

また大学時代は学業にもしっかり打ち込んでおり、成績優秀で返却不要の奨学金も受給しています。

 

大学では政治経済学部に在籍していましたが、法学部の授業も多く履修しており法律の勉強もかなりおこなっています。

 

その他にも英語でおこなわれる授業なども履修していました。

 

とは言え前田さんは経済的に恵まれていなかったことから、学費や生活費を稼ぐためにアルバイトにも励んでいます。

 

大学時代は塾講師のアルバイトをしており、生徒それぞれの性格に合わせて指導法を変えて、受け持った生徒全員の成績を上げることができたとインタビューで話しています。

 

また他にも大学時代は100以上のアルバイトを経験したと語っています。

 

特に英会話教室でのアルバイトは印象に残っており、講師として働いたほか、休憩時間に外国人講師と会話して自身の英語のスキルを高めていったそうです。

 

当時から海外で働きたいという願望があったため、このアルバイトは一石二鳥だったようですね。

 

加えて大学2年生の頃には投資関連の会社で働いたことがあることをインタビューで話しています。

 

「大学2年生くらいからは、個人のファイナンシャル・プランニングを手伝ったり、株式投資を教えたりする会社でも働きました。予算をもらって、増やしたぶんはリターンとしてもらう、ということもありました」

記事引用:東京カレンダー

 

その他にも社労士事務所でアルバイトをして、外資金融を学んだそうです。

 

大学時代もビジュアル系のロックバンドで音楽活動をしていますが、この時期に音楽業界を努力が報われる業界にしたいと思い立ち、ビジネスマンになることを決意しています。

 

後にSHOWROOMを立ち上げて成功を収めていますが、この構想は大学時代からあったようですね。

 

なお前田さんは「21歳で国籍を取得した」という衝撃の発言もしています。

 

諸般の都合で出生時に出生届を出しておらず、それを知ったのが21歳の時でした。

 

国籍を取得した際にはもっと不幸な人たちを目の当たりにするためにインドに行っています。

 

その際には寝台列車の中で下半身のない物乞いの少年の生きるエネルギー感動して、持っていたすべての現金3、4万円を渡したエピソードも残されています。

 

この時は「自分の環境なんて彼らに比べれば幸せ過ぎる」と感じたそうです。

 

ちなみに前田さんは当初は就職するつもりはなく、大学の友人と2人で起業するつもりでした。

 

ところがその友人が「やっぱり国家公務員になる」と言い出したので、その際の起業の話は流れてしまっています。

 

そのためいったんは就職することを決意しています。

 

また就職活動の際には40冊もの自己分析ノートを作っており、面接やディスカッションの練習は1000回もおこなったとインタビューで述べています。

 

大学卒業後は外資系の投資銀行に就職していますが、そこでも努力を重ねて、ハーバード大学出身のエリートに負けない業績を残しました。

 

 

一般の人たちの1日分の仕事を午前中に終わらせて、その後は株のチェックなど人の2倍ほど働いたそうです。

 

ちなみに当時勤務していた会社は外資系投資銀行のUBS証券株式会社です。

 

ところがこの会社に勤務中に前田さんに音楽を教えてくれた11歳年上の従兄弟が亡くなったことから、「いつ死ぬかわからないこの世界で、この仕事を続けていいんだろうか」という疑問を感じるようになったそうです。

 

そして就職活動の最終面接で縁を持ったDeNAの南場智子さんに5年越しのラブコールを受けて、25歳だった2013年に同社に転職しています。

 

同社では自ら企画立案したライブトリミングサービスの「SHOWROOM」を事業として軌道に乗せると、合弁会社を設立してSEOに就任しています。

 

 

ちなみにSHOWROOMは乃木坂46や欅坂46などとタイアップして、2017年上半期の動画配信アプリランキングで国内収益1位となっています。

 

 

なお2021年にはYOUTUBEに個人チャンネルを開設しています。

 

 

今後もまだまだ伸びていきそうな勢いです。

 

以上が前田裕二さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

このような境遇にありながらもどこまでも前向きで、現在も精力的にビジネスに取り組んでいます。

 

 

また2018年に女優の石原さとみさんとの交際が報道されると、大きな話題となっています。

 

 

石原さとみの学歴|出身高校中学校や大学の偏差値と高校時代

 

その経営手腕は各方面から注目されており、今後の活躍にも期待が高まっています。

 

南場智子の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|父親に絶対服従だった!

 

経歴/プロフィールの詳細

 
2010年にUBS証券に入社。 

2011年にUBS証券LLCに移ってニューヨーク支社に勤務。 

北米の機関投資家に対する株式セールスやアドバイザリー業務に従事し、数千億円から兆円の資金を運用する投資ファンドにアドバイザリーをおこなう。 

就職活動時代から面識のあった株式会社DeNAの南場智子に誘われて、2013年に同社に入社。 

同年にライブストリーミングサービス「SHOWROOM」を立ち上げる。 

2015年に株式会社SHOWROOMを設立し、ソニー・ミュージックエンターテインメントから出資を受けて合弁会社化した。 

 

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