「ミツコ」のネタで大ブレイクしたお笑いコンビ「響」の長友光弘さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は長友さんは中学時代は陸上部で県大会で上位入賞するほどの実力でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
長友光弘(ながとも みつひろ)
1978年2月10日生
身長163㎝、体重130㎏
血液型はO型
宮崎県宮崎市出身のお笑い芸人
お笑いコンビ「響」のボケ担当
本名同じ
以下では「響」長友光弘さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
長友光弘の学歴~出身高校・大学の詳細・ラーメン店を経営していた
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出身高校:宮崎県 日章学園高校建設科 偏差値39(かなり容易)
※現在は建設科は廃止
「響」長友光弘さんの出身高校は、私立の共学校の日章学園高校です。
この高校は1950年開校の私立高校で、サッカー部や硬式野球部、ボクシング部などが県内では強豪として知られています。
また同校は普通科(偏差値42)のほか、パティシエ科(偏差値42)や自動車科(偏差値39)、調理科(偏差値39)、福祉科(偏差値41)などの様々な専門学科を設置しています。
なお長友さんが在籍した建築科は2016年に廃止されています。
長友さんは高校時代は帰宅部でした。
また当時はヤンキーと仲良くなったことから、高校3年間はその威光でバラ色だったそうです。
高校2年生の時にはダイエットに挑戦して、1か月間で98㎏から80㎏に体重を落としていますが後にリバウンドしてしまっています。
なお長友さんは当時からお笑いが大好きだったことから、高校時代にお笑い芸人になることを決意しています。
【主な卒業生】
香妻琴乃(プロゴルファー)
坂元健児(俳優)
そして長友光弘さんは高校卒業後は大学に進学せずに、建築会社に就職しています。
就職したのはお笑い芸人になるための資金を稼ぐためで、サラリーマン時代は高速道路の橋などの建設に関わっていました。
約1年間のサラリーマン生活の後に、19歳だった1997年に上京して本格的にお笑い芸人を志しています。
上京後はスーパーマーケットのレジやコンサートのチラシ配り、ラジオ番組の構成作家などのアルバイトをしています。
なお長友さんはNSCなどのお笑い芸人養成所には通学していません。
2000年に麻雀仲間だった小林優介さんとお笑いコンビ「響」を結成しています。
31歳だった2009年に「お笑いレッドカーペット」に出演して、「ミツコ」のネタを披露するとコンビは大ブレイクしています。
長友さんはバラエティ番組に出演した際にはピーク時の年収は2000万円で、それが4年間続いたことを明らかにしています。
ちなみにブレイク前の2008年のお笑いでの年収はわずか80万円でした。
その後はお笑い芸人として活動する傍ら、2014年から地元の宮崎市でラーメンチェーン「暖暮」のフランチャイズ店を経営しています。
経営者としてはなかなかのヤリ手だとか。
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長友光弘の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:宮崎県 宮崎市立大淀中学校 偏差値なし
「響」長友光弘さんの出身中学校は、地元宮崎市内の公立校の大淀中学校です。
長友さんは中学時代は陸上部に在籍していました。
当時は痩せており中学1年生の時には100m走で宮崎県内で4位になるなど、陸上部のエースのような存在でした。
そのためその頃は女子にも非常にモテており、バレンタインデーのチョコレートはダンボールに入れるほどもらったそうです。
ところが中学2年生の時にヘルニアを患ったことが原因で、部活動は長期離脱後に退部してしまっています。
さらに長友さんはこの頃から太りはじめて、中学校の2年間でなんと体重が50㎏も増加しています。
とは言えもともとスポーツが得意で足も速いので、テレビ番組「逃走中」などでは動けるデブとして活躍しています。
なお中学時代はプロ野球・読売ジャイアンツの宮崎キャンプを毎日見学したことで顔を覚えられて、選手専用のバスに乗せてもらったこともあるそうです。
【主な卒業生】
日高竜太(BALLYSTIK BOYZ)
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長友光弘の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:宮崎県 宮崎市立恒久小学校
「響」長友光弘さんの出身小学校は、地元宮崎市内の公立校の恒久(つねひさ)小学校です。
家族構成は両親と2歳年上の兄の4人家族です。
意外にも幼い頃は極度の人見知りでした。
長友さんは小学校3年生の時に、ザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合!」を見てお笑い芸人に憧れています。
当時から志村けんさんの大ファンで、芸人になった後も尊敬していました。
以上が「響」長友光弘さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
「ミツコ」でブレイクした際には、数々のバラエティ番組に連日のように起用されるほどの人気ぶりでした。
しかしその後はメディアへの出演が激減しています。
とは言えその傍らでラーメン店を経営しておよそ6000万円の年商を上げるなど、実業家としての才能も発揮しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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