波田陽区の学歴|出身は熊本学園大学・豊浦高校!中学校の偏差値|バドミントンが凄かった

 

「ギター侍」で一世を風靡した波田陽区さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は波田さんは中学時代にバドミントンで全国大会に出場したほどでした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

波田陽区(はた ようく)

 

 

1975年6月5日生

身長164㎝

血液型はO型

 

山口県下関市出身のお笑い芸人

本名は大川晃(おおかわ あきら)

 

以下では波田陽区さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

波田陽区の学歴まとめ

 

出身大学:熊本学園大学 商学部経営学科

出身高校:山口県立豊浦高校

出身中学校:下関市立垢田中学校

出身小学校:下関市立川中西小学校

 

波田陽区の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:山口県 下関市立川中西小学校

 

 

 

波田陽区さんの出身小学校は、地元下関市内の公立校の川中西小学校です。

 

家族構成は両親と2人の兄の5人家族です。

 

波田さんは小学校時代から明るく、クラスメイトを笑わせていたことから女子にも人気がありました。

 

またスポーツが万能で足も速かったことから、運動会でも活躍しています。

 

加えて小学校時代から勉強もできました。

 

小学校6年生の時に児童会長に立候補していますが、親戚の児童に敗れて落選しています。

 

波田陽区の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:山口県 下関市立垢田中学校 偏差値なし

 

 

 

波田陽区さんの出身中学校は、地元下関市内の公立校の垢田(あかだ)中学校です。

 

波田さんはバドミントンが得意な芸能人としても知られており、中学時代は中国大会ではなんと優勝を果たしています。

 

 

バドミントンダブルスで全国大会ベスト16までいくほどの腕前だったようです。

 

この頃のトレーニングはアスリート並だったようで、部活が終わった後も毎晩夜の10時まで練習に励んでいました。

 

中国大会優勝後にはヨネックスからシューズやラケットが提供されるほど強かったといいます。

 

しかしなぜかバドミントンは中学校時代にやめてしまい、高校では陸上部に在籍しています。

 

なお高校受験の際には第一志望の公立の進学校には合格できずに、補欠で前記の高校に進学しています。

 

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波田陽区の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:山口県 豊浦高校 偏差値58(中の上)

 

 

 

波田陽区さんの出身高校は、県立の男子校(当時)の豊浦高校です。

 

この高校は1792年開校の長府藩の藩校・敬業館を源にしている伝統校です。

 

波田さんは高校時代は陸上部へと入部しています。

 

また高校時代には大ファンであったダウンタウンの番組を録画しては擦り切れるほど何度も見ていたといいます。

 

その後、学校の文化祭では友達と一緒にショートコントに挑戦します。

 

結果は驚くほど盛り上がったそうで、この頃に芸人になることを目指す決意をします。芸人になるべく、高校卒業後はすぐに上京するつもりだったそうですが、両親がそれに猛反対してきたそうです。

 

父親からは『お前はお笑いに向いていない。裏方をやれ』と言われてしまったそうです。

 

お笑い芸人への想いは忘れることができなかったそうですが、上京することはなく両親の言う通り大学へと進学します。

 

【主な卒業生】

乃木希典(陸軍大将)

細川俊之(俳優)

 

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波田陽区の学歴~出身大学の詳細

 

出身大学:熊本学園大学  商学部経営学科 偏差値35(かなり容易)

 

 

 

波田陽区さんは高校卒業後は、熊本学園大学に進学しています。

 

この大学は熊本市中央区にある私立大学ですが、波田さんが在籍した商学部経営学科は2018年に募集停止となっています。

 

波田さんは大学時代は女の子がモテたいという理由で10回払いで購入したギターで練習をはじめ、熊本駅前ではストリートライブを行っていたそうです。

 

しかし、女性どころか男性からも立ち止まってもらえなかったそうです。

 

また大学在学中「『テンポイント』というお笑いコンビを組んでおり、芸人兼ミュージシャンとして活動していた時期があります。

 

この頃に現在の奥様と出会い交際をしていました。

 

当時の波田さんは月に6000円程度で生活していたこともあったそうで、デートはいつもお金のかからない公園や家の近くの池だったそうです。

 

これにも文句を言わなかった奥様と12年間という長い期間遠距離恋愛をし、めでたく結婚をされています。

 

波田さんは大学を卒業した1998年に上京して、お笑い芸人としてデビューしています。

 

上京し芸人をはじめた当初は「波田ニューヨーク」の芸名で活動し、4年間ほど自己満足なネタばかりをやっていたことで人気は出ませんでした。

 

その後、もう新しくはないという理由で芸名のニューを取り、ヨークの部分を陽区に変更し出来上がったのが「波田陽区』」いう芸名だそうです。

 

コンビニのファミリーマートでは6年間アルバイトをしていたため、最終的には副店長を任されていたそうです。

 

お昼にお笑いの仕事が入ってもいいようにとシフトは常に夜勤だったそうです。

 

お笑いの仕事終わりに飲みに行っていたこともあり、酔っ払いながら仕事をしたこともあったといいます。

 

そのため、お釣りの間違えや仕事へ支障をきたすことも度々あったようです。

 

この頃、芸人の街という理由で中野の5畳一間の部屋で暮らしていました。

 

また自身が出演する中野のライブハウスのチケットを手売りし、代々木公園では路上でネタを披露していました。

 

後にこの頃は本当に大変で厳しい生活だったとインタビューで話しています。

 

そして29歳だった2004年にバラエティ番組「エンタの神様」に出演すると、「ギター侍」のネタで大ブレイクをしています。

 

 

忙しい時で1日4~5本ものテレビ番組に出演しており、当時の最高月収は驚きの2000万円だったことを明らかにしています。

 

しかしギター侍として注目を浴びると、その毒舌なスタイルが災いしファンから苦情や脅迫まがいなことをされた経験があります。

 

さらに資生堂が提供していた番組「おしゃれカンケイ」を持ち前の毒舌で斬ったところ、これに不快感を示した資生堂がエンタの神様のスポンサーを降板してしまうことになります。

 

なんと年間にして6億もの損失が出てしまい、これが原因で出演のオファーがなくなってしまいます。

 

 

とは言え現在でも細々ではありますがバラエティ番組に出演しており、地方営業などでは相変わらずの人気を誇っているそうです。

 

以上が波田陽区さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

全盛期の人気はすさまじく、テレビで見ない日はないほどでした。

 

全盛期は短かったものの、現在は地方の営業などで頑張っています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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