今田耕司の学歴と経歴|出身は日生学園第一高校!大学や中学校の偏差値|刑務所のような学校だった

 

 人気お笑いタレントの今田耕司さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は今田さんは刑務所のような高校に通学していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像も併せてご紹介いたします

 

今田耕司(いまだ こうじ)

 

 

1966313日生

身長174

血液型はA型

 

大阪府大阪市出身のお笑いタレント

本名同じ、愛称は「今ちゃん」

 

以下では今田耕司さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

今田耕司の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:日生学園第一高校(中退)→清風高校 定時制課程

出身中学校:大阪市立夕陽丘中学校

出身小学校:大阪市立生魂小学校

 

今田耕司の学歴~出身小学校(大阪市立生魂小学校)の詳細

 

出身小学校:大阪府 大阪市立生魂小学校

 

 

 

今田耕司さんの出身小学校は、大阪市内の公立校の生魂(いくたま)小学校です。

 

今田さんは出身小学校も明らかにしていませんが、インターネット上やツイッターには複数の在籍情報もあります。

 

家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。

 

 

実家は日蓮宗のお寺「道善寺」ですが、ラブホテル街のど真ん中にありました。

 

 

また父親は住職専業ではなく、会社員と住職を兼業していました。

 

親のしつけは非常に厳しく、お寺のお堂に閉じ込められたこともありました。

 

母親にはたびたび勉強するように言われていますが、こっそり漫画を読んだりしています。

 

子供の頃の今田さんは落ち着きがなく、通信簿にも注意緩慢と記載されたこともありました。

 

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今田耕司の学歴~出身中学校(大阪市立夕陽丘中学校)の詳細

 

出身中学校:大阪府 大阪市立夕陽丘中学校 偏差値なし

 

 

 

今田耕司さんの出身中学校は、大阪市内の公立校の夕陽丘(ゆうひがおか)中学校です。

 

今田さんは出身中学校を明らかにしていませんが、インターネット上やツイッターには複数の在籍情報があります。

 

中学時代は柔道部に所属するスポーツ少年でした。

 

また当時の今田さんは漫画家を夢見ており、4コママンガなども書いていました。

 

さらに中学時代には友達3人と独立して生きていこうと考えて家出して大阪から島根まで行っています。

 

その際には海岸で寝泊まりしていましたが、警察に補導され数日間で連れ戻されて自宅謹慎となったエピソードも残っています。

 

なお今田さんは当時から勉強はあまり得意ではありませんでした。

 

かと言って目立った素行不良もなかったのですが、前記の日生第一高校には中学3年生の時の担任の先生が親に勧めたため進学しています。

 

なお当時の今田さんはこの先生とは折り合いが悪く、「ロクな大人にならない」とたびたび言われていました。

 

またNSCに入学した際には、この先生への復讐だと答えています。

 

「一人だけ『教師への復讐です』っていうた人がおったんです。『教師に、お前はもうどうしようもない人間やって言われたから、お笑い芸人になって復讐するんです』って。それが今田耕司さんやったんですよ」

記事引用:日刊スポーツ

 

どうやら中学時代は恩師に恵まれなかったようです。

 

【主な卒業生】

MINMI(シンガーソングライター)

サナ(TWICE)

 

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今田耕司の学歴~出身高校(日生学園第一高校・清風高校)・大学の詳細

 

出身高校:三重県 日生学園第一高校(中退) 偏差値40(容易)

※後に清風高校定時制に編入して卒業

 

 

 

今田耕司さんの出身高校は、私立の共学校の日生学園第一高校です。

 

現在は男女共学の桜丘高校となっていますが、当時の同校は全寮制のスパルタ教育で知られていました。

 

また当時の高校は中学時代に素行不良などがあった問題児たちが全国から集まっていることでも知られています。

 

 

今田さんは特に問題児ではありませんでしたが、中学時代の担任の先生がなぜか親にこの高校の進学を勧めたことから入学しています。

 

毎朝4時半に起床し、2キロのマラソンをしなければならず、放課後も10キロのマラソンが日課になっていました。

 

また便器を素手で洗ったり、校外への外出は月一度の帰宅以外は禁止、甘いものやお菓子は禁止で外から戻ってきたら身体検査が義務付けられているなど、かなりのスパルタぶりでした。

 

その他にもこの高校には次のようなルールがあり、まるで刑務所のようだったと述べる卒業生がいるほどです。

 

授業中は机の脚の床に近い所をぐるっと回して付いているパイプに足を乗せたりそこより外に足を出してはいけない
授業の休み時間はトイレに行く以外で席を離れてはいけない
私語も禁止

学校の歌が10曲あり(校歌、応援歌、寮歌、等)入学して3日で暗記させられる
ほとんどの歌を歌う場合、腕を振りながら大声で歌う
返事は基本大声、この返事と歌で入学して3日くらいで大抵の人間は声が枯れ声が潰れる

食事中、下級生は先輩のお茶が無くなれば注ぎ、先輩が食べ終えたら箸立てを差し出したり、先輩のお代わりを取りに行く
男子生徒の髪は五厘。散髪後に流すが真冬でも水

生徒は現金の所持が禁止させられていたので文房具等買う場合は購買部を利用するのですがその際購買帳に必要な物を書き、朝担任に提出。担任がそれを見てOKと判断した品のみ買える
飲めるのは水道水、熱いお茶、間食の時の牛乳のみ

雨具の使用は禁止

熱が出ても38℃以上でなければ休めない

教師による体罰は日常茶飯事

 

今田さんは当時のことをインタビューで次のように話しています。

 

「校長先生の話を聞く時に、物凄い数の生徒がいるんですけど、校長先生の目線からサッとそらしたら、校長先生が壇上から指を指すんです。その目をそらした生徒を。そうしたら、両脇から先生がやってきて…ペチペチペチって」

 

また寮内での上下関係も厳しく、消灯後に先輩にトイレに呼び出されて、指導名目で殴られたことがあることも明らかにしています。

 

「就寝後、先輩にトイレに呼んでいただいて、ご指導いただいた。腹への重い蹴りなど種類も多かった」

 

YOUTUBEに系列校の日生第二高校の当時の動画がありました

 

 

 

さらにお菓子は厳禁で甘いものは貴重品だったため、枕に隠して持ち込んだそうです。

 

「外からお菓子とか持ち込めないんですけど、工夫して持ち込まなダメなんで。僕がやったのは、生活用品は親から送ってもらえたりするんで、手紙の中で、『マクラの中に砂糖の袋を綿の中に入れて送ってくれ』って。僕の場合は、いちごミルクのアメが凄い貴重品なんで、いちごミルクをマクラの中に仕込んだりして。普段お世話になってた人に、いちごミルクを持ち込むことに成功しましたってことで、配ったりしましたね」

 

また月1回の親との面会日には親と一緒にいる時間が設けられていたことからこっそりケーキを差し入れてもらい、山の中で手づかみで食べたエピソードも残っています。

 

「月に一回、面会日で親が一度会いに来るんです。…これ、学校の話ですよ(笑)そのときに、山の敷地内で親と自由な時間があるんですね。そこで、ケーキを手渡しでもらうんですけど、持ち込めずに処分せなアカンので、山の陰で食べて寮に戻る、みたいな」

 

なお高校時代は少林寺拳法部に在籍していました。

 

少林寺拳法部の上級生だけは優しく、内緒でコンビーフを食べさせてもらったこともありました。

 

また当時のこの高校にはごく少数の女子も在籍しており、今田さんは高校時代に数少ない女子から告白を受けたことを明らかにしています。

 

なお今田さんは「監獄のような学校だった」と言っており、あまりの厳しさに耐えかねて高校1年生の秋に同級生数名とともに脱走しています。

 

その際には下見を済ませていた、1階のトイレの窓から山に向かっています。

 

また最寄り駅の駅員は学校に通報するので、山を2つ越えて野宿した上で別の駅から電車に乗車しています。

 

逃げる途中に道の先から学校関係者の車が来た際には慌てて道の脇に飛び込みましたが、そこには小川が流れておりずぶ濡れになっています。

 

この時にエピソードについては今田さんは次のようにインタビューで話しています。

 

「1年生のとき脱走を企てて、見つかるとすごい怖いから・・・・まず電車に乗るためのお金を持ち込まないとダメなんです。身体検査ではパンツのタマの裏に小さく畳んで持ち込みました。で、10月くらいにもうこれはあかんと思って、消灯してから体操着のまま、見回りもしているんで1階の便所の扉を開けて山道を降りていくんですけど、最寄り駅だと、そっち方面で有名な学校だったんで駅員に通報されるんです。「また逃げましたよ」みたいに。なので、野宿しながら2山くらい越えて家に最後帰りました。」

 

ただし一度目の脱走の際には連れ戻されています。

 

家には戻れたのですが、その後に退学の手続きをするので来てくださいと学校に言われて母親とともに行ったところ、先生が「お母さん、これから学校を続けると言うまでこの子を殴ります」と言われ、5、6発殴られたところで「続けます」と言ってしまったことから再びこの学校の生活がはじまってしまいます。

 

ちなみに1回目の脱走はクラスメイト4人とおこなっています。

 

二度目の脱走は1年生の冬休みの帰省を利用して、そのまま学校に戻らずに中退しています。

 

さすがにその際には学校の呼び出しに応じなかったようです。

 

ちなみに当時のこの高校では脱走者が出ると校内にアラームが鳴り渡り、連帯責任として1年生はその生徒が見つかるまで正座させられたといいます。

 

 

ちなみにダウンタウンの浜田雅功さんも同校の系列校の日生第二高校の卒業生で、今田さんの2学年上に在籍して副寮長を務めていました。

 

 

浜田雅功の学歴|出身高校や中学校の偏差値と学生時代の画像とエピソード

 

当時のこの学校の1年生にとっては3年生は神様のような存在で、話しかけることすらできなかったそうです。

 

そのため高校時代は浜田さんとは接点がありませんでした。

 

なお浜田さんも高校時代に一度だけ脱走したことがありましたが、最終的には連れ戻されて高校は卒業しています。

 

なおこの高校のスパルタ教育は1990年代に問題にされて、現在は通常の高校になっています(ただし校則は非常に厳しいとのこと)。

 

【主な卒業生】

長谷川豊(アナウンサー)

 

今田さんはその後は大阪府にある私立の清風高校の定時制課程(偏差値不明)に編入して卒業しています。

 

 

 

現在の清風高校は進学校(偏差値62~70)になっていますが、当時は進学校になる前で、商業科や定時制課程なども設置していました。

 

当時の今田さんはラーメン屋の店主になろうとしていましたが、修業先の店の店主に「高校くらい出ておけ」と言われたことから高校の定時制課程に進んでいます。

 

また親にも高校位出ておくように説得されています。

 

 

そのため昼間はラーメン屋で働きながら高校に通学していました。

 

ただし夏休みは母親の実家がある宮崎県高鍋市に滞在して、うどん屋でアルバイトをしながらサーフィンに熱中しています。

 

またインタビューなどでは高校時代はあまりモテなかったことを明らかにしています。

 

そして今田耕司さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、吉本総合芸能学院(NSC)に入学してお笑い芸人を目指しています。

 

その頃は寿司職人か美容師になりたいと思っていましたが、肌が弱く医者に「水を扱う仕事は向いていない」と言われたことから断念しています。

 

 

また当時のNSCは5万円ほどで入学できたため(現在は40万円)、軽い気持ちで入校しています。

 

同期には板尾創路さんやほんこんさんがおり、在校中にほんこんさんと「ダブルホルモンズ」を結成していますが鳴かず飛ばずでした。

 

 

そのため20歳の時にコンビを解散して以降はピン芸人として活動を開始しています。

 

ピン芸人になった頃に吉本興業の心斎橋筋2丁目劇場が誕生し(現在は閉館)、オーディションに合格してこの舞台に立っています。

 

当時は「ダウンタウン」もこの劇場に出演していたので、この頃に浜田さんと松本人志さんと知り合っています。

 

そして24歳の時に「ダウンタウン」を慕って上京すると、「ごっつええ感じ」の出演でブレイクしています。

 

 

また東野幸治さんとの「Wコウジ」でも人気者になっています。

 

 

その後は数々のバラエティ番組に出演するほどの人気お笑いタレントになっています。

 

さらに2020年にはYOUTUBEに自身のチャンネル「今ちゃんねる。」を開設しています。

 

 

こちらも好評のようです。

 

以上が今田耕司さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

大阪時代は下積みも経験していますが、いち早く東京に進出して先輩芸人のダウンタウンの番組に出演してブレイクを果たしています。

 

 

その後の活躍は周知の通りで、多くのバラエティー番組に出演して、MCなどを務める売れっ子になりました。

 

 

現在もテレビで見ない日はないほどの人気を誇っていますから、今後の活躍にも期待です。

 

浜田雅功の学歴|出身高校や中学校の偏差値と学生時代の画像とエピソード

 

今田耕司の経歴

 

1966年(0歳):大阪府大阪市で生まれる

1985年(19歳):吉本総合芸能学院(NSC)に入校

1985年(19歳):ほんこんと「ダブルホルモンズ」を結成

1986年(20歳):「ダブルホルモンズ」を解散しピンとして活動開始

1986年(20歳):吉本興業の心斎橋筋2丁目劇場のオーディションに合格し舞台に立つ

1990年(24歳):上京をして「ダウンタウンのごっつええ感じ」に出演

2007年(41歳):バラエティ番組「今田ハウジング」が自身初の冠番組となる

2020年(54歳):YOUTUBEチャンネルを開設

2020年(54歳):一般女性と結婚

 

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