浜田雅功の学歴と経歴|出身は日生学園第二高校!大学や中学校の偏差値と学生時代の画像とエピソード

 

人気お笑いコンビ「ダウンタウン」の浜ちゃんこと浜田雅功さんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。脱走も経験した監獄のような学校で過ごした高校時代や松本人志さんと悪さをした中学校時代など、学生時代の情報とエピソードや当時の画像なども併せてご紹介いたします

 

 浜田雅功(はまだ まさとし)

 

 

1963511日生

身長165

血液型はA型

 

兵庫県尼崎市出身のお笑いタレント、俳優、歌手

お笑いコンビ「ダウンタウン」のツッコミ担当

本名同じ、愛称は浜ちゃん

妻はタレントの小川菜摘、長男はミュージシャンのハマ・オカモト

 

以下では浜田雅功さんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます。

 

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目次

浜田雅功の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:日生学園第二高校

出身中学校:尼崎市立大成中学校

出身小学校:尼崎市立潮小学校

 

浜田雅功の学歴~出身小学校(尼崎市立潮小学校)の詳細

 

出身小学校:兵庫県 尼崎市立潮小学校

 

 

 

浜田雅功さんの出身小学校は、地元尼崎市内の公立校の潮(うしお)小学校です。

 

家族構成は両親と妹の4人家族です。

 

 

父親はペンキ職人をやっています。

 

浜田さんは子供の頃から目立ちたがり屋で悪ガキでした。

 

当初は裕福な家庭に育っていますが、小学校低学年の時に父親が保証人になっていた知人の会社が倒産したことで暮らしは一転しています。

 

「ウチは万博まではめっちゃよかった。電子レンジ、カラーテレビ、クーラーも近所の中では一番に買った」

 記事引用:エルマガJP

 

 借金のためにヤクザが毎日取立に来て、父親が監禁されたこともありました。

 

 

また同時に食事の質がみるみるうちに落ちていったことをインタビューで明らかにしています。

 

「万博終わってからは最悪。なんでか知らんけど毎晩ヤクザが取り立てに来るねん。飯のおかずがどんどん減っていって、最終的にチキンラーメンだけになった」

記事引用:エルマガJP

 

そのためか浜田さんは小学校の頃は警察官になりたいと思っています。

 

また松本人志さんとは同じ小学校でしたが、小学校時代は同じクラスになったことはなく、話したこともありませんでした。

 

 

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浜田雅功の学歴~出身中学校(尼崎市立大成中学校)の詳細

 

出身中学校:兵庫県 尼崎市立大成中学校 偏差値なし

 

 

 

浜田雅功さんの出身中学校は、地元尼崎市内公立校の大成中学校です。

 

中学時代はバレーボール部に入部していますが、練習が厳しかったことから1週間で部活動はやめてしまっています。

 

また中学2年生の時に松本さんと同級生になって、はじめて口をきいています。

 

 

するとすぐに意気投合して松本さんらと6人組の悪ガキグループを結成して、学校でも悪さをしています。

 

女子のプールの授業中に下着を盗もうとしたり、近所のお姉さんの下着も盗もうとしています(いずれも未遂に終わっている)

 

特に中学2年生の時のやんちゃぶりは相当だったようで、中学校3年生の時のクラス替えでグループはバラバラにされて、松本さんとも別のクラスになっています。

 

 

ところが浜田さんらはそれにめげずに、中学校3年生の時にグループ全員で放送部に入部しています。

 

そして放送部を乗っ取ってグループのたまり場にしてしまい、先生たちから再び問題視されています。

 

加えて中学3年生の時も悪さをしたことから、後記のとおり高校は三重県の全寮制高校に送られてしまいました。

 

 

なお中学時代は浜田さんは既に彼女がおり、松本さんとWデートをしたこともありました。

 

また前記のように浜田さんは実家の経済的な状況が芳しくなかったことから、中学校時代は松本さんとともに新聞配達をして小遣いを稼いでいます。

 

【主な卒業生】

松田凌(俳優)

神谷早矢佳(声優)

 

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浜田雅功の学歴~出身高校(日生学園第二高校)・大学の詳細

 

出身高校:三重県 日生学園第二高校 偏差値40(容易)

※現在は青山高校

 

 

 

浜田さんの出身高校は、私立の共学校の日生学園第二高校です。

 

入学したのは日生学園高校ですが、高校2年生の時に系列の日生学園第二高校が開校したため移動して卒業しています。

 

浜田さんは兵庫県尼崎市の出身ですが、三重県のこの高校に越境入学しています。

 

(高校時代)

 

この高校に進学したことについては浜田さんは「人の家のドアをノコギリで切ったからと告白しています。

 

「家に遊びに行く約束をしていた友人が電話に出ないため、「どうしても入りたくなって」と、木製ドアの金具を外してから「ノコギリを突っ込んで横に切った」と振り返った」

記事引用:スマートフラッシュ

 

また他にも中学時代は同級生だった松本人志さんらと素行不良を働いています。

 

そのため父親が担任の先生と相談して、この高校に入学させられたと言われています(松本人志さんは地元の高校に進学した)。

 

現在は共学の桜丘高校になっていますが、当時の同校は全寮制の高校でスパルタ教育で知られていました(全国から素行不良や引きこもりなどの生徒が集まっていた)。

 

毎朝4時半に起床して2キロ走らなくてはならず、放課後も10キロのマラソンが義務付けられていました。

 

また便器を素手で洗ったり、校外への外出は月一度の帰宅以外は禁止、外から戻ってきたら身体検査があるなど、かなりのスパルタぶりでした。

 

浜田さんは高校3年生の時は副学寮長を務めていましたが、耐えきれなくて1年生の時に1回脱走をしています。

 

 

脱走をした際には地元の尼崎市まで逃げ帰って、松本人志さんにお金持って来てくれと電話をかけています。

 

そして松本さんに立ち食いうどんをおごってもらいましたが、あまりの空腹のためあっという間に食べてしまったそうです。

 

しかしその後は親の説得もあって学校に戻っています。

 

その後も同校のスパルタ教育に耐えていますが、連帯責任を問われてコンクリートの床に10時間も正座させられたこともインタビューで話しています。

 

「授業行くときにだれか一人が先生に怒られたんでしょうね……。“クラス全員止まれ”って言われて、渡り廊下のコンクリートの上に“正座せいっ!”て言われて、そっから10時間ですよ」

記事引用:mamastar

 

なおこの高校には2年後に今田耕司さんも入学していますが、入学から1年後に脱走してそのまま中退しています。

 

ちなみに今田さんはこの高校を「刑務所」と呼んでいます。

 

今田耕司の学歴|出身高校中学校や大学の偏差値と経歴

 

当時の同校のスパルタぶりを表す映像がありました。

 

 

 

 

ちなみに当時の同校のスケジュールは次のようになっていました。

 

水曜と日曜以外は朝4時起床

点呼、洗顔、着替え、清掃 を兼ねた心行(しんぎょう、と読み、これは学校独自のもので雑巾を持って足を大きく広げた状態で一心不乱に大声を張り上げながら床を磨く”ぎょう” です)を各部屋で10分、その後各階でも10分くらいやって全校生徒全員が道場(体育館) に集まり約1時間心行する

帰寮前に点呼 寮に帰り点呼、汗を拭いて制服に着替える、集団登校、食堂前に集まり

国旗、校旗掲揚(雨天は無し)食堂に入って朝食、校歌を歌う。

授業は午前4時間、昼食、午後1時間の計5時間

放課後
集団下校、点呼、ジャージに着替え清掃を兼ねた心行。集団マラソン(約6キロ)
帰寮、点呼、自習、階ごとに順番に風呂、食堂前に集まり国旗・校旗降納(おろす)、夕食、大抵なにかしらの歌を歌う。帰寮、点呼、自習、間食として牛乳とアンパン等のパンが出る(ちなみにタカツキパンという会社製)、自習、消灯。

自由時間はナシ。授業の休み時間、食事中、含め24時間私語禁止
さらに新聞、TV、雑誌、ラジオ、一切の娯楽が禁止

何も楽しみが無いのでいじめが娯楽の一つになっていた

 

また休みにあたる日曜日も次のような生活でした。

 

日曜は朝7時起床

点呼、洗顔、清掃を 兼ねた心行を15分くらい
全員食堂に集まり朝食、校歌等歌う、帰寮、自習、昼食(日曜の昼食は食堂ではなくパンが配られます)また自習ですが大抵は短い昼寝をさせてもらえます(短いと仮眠、長めだと誤睡)、自習、夕食、自習、間食のパン、自習、消灯。

これが何も予定が無い日曜のスケジュール

自由時間はナシ

寮生活では一部屋最高で48人まで入り、一つの階に四部屋
そこは1年から3年まで一緒なので下級生はとても気を使います
3度の食事や間食は先輩が口を付けるまで下級生は食べ始められません
洗濯物は当然一年がたたんで衣装ケースにしまいますし、布団も一年がたたみ一年は湯船につかることも許されない
基本先輩の命令に対しては絶対服従
先輩・教師からの体罰も日常茶飯事
パイプ椅子で何発殴られたり、一晩中正座させられたり、腕を肩からまっすぐ上げてそのままの姿勢で「動くな」

正座をしてホウキを棒を足に挟んでその上に人が乗るとかホッチキスを開いた状態で叩く(肌に針が刺さる)
国旗掲揚の時に教頭に叱られていて、ベルトを引き抜き金属のバックル部分で頭をぶっ叩かれて血が流れていて横にいた女生徒がハンカチで押さえようとしたのにそれをさせずに説教を続けた。など

病気の時はよっぽどじゃないと病院へは連れて行ってもらえない
風邪で熱が出たら教師の前で体温を測り、38度を越えないと休めない
40度くらいの高熱になっても病院へは行かせてもらえず市販薬のみ支給

学校から出られるのは夏、冬、春休み、校外の病院へ行く(許可制でなかなか降りない)部活の試合のみ

そんな学校なので脱走は多発

 

 なおこの高校は現在は青山高校になっており、このようなスパルタ教育はおこなわれていません。

 

また浜田さんの高校時代に昭和天皇が植樹祭に訪れたエピソードを語っています。

 

「昭和天皇が植樹祭に来られるいうて。山の中の道、全員で立たされて。陛下がゆっくりゆっくり来たもん。手え振ってくれた。うわーって思って。ここから照明の子の距離くらい(2、3メートル)」

記事引用:デイリー

 

ちなみに前記のように浜田さんは高校3年生の時に副寮長を務めていますが、今田さんによればかなりすごいことだとそうです。

 

なお浜田さんは高校3年生の時に父親に勧められて競艇選手の試験を受けていますが、不合格になっています。

 

ちなみに1980年代にはこの高校のようにスパルタ教育をおこなう全寮制の私立高校はいくつかありましたが、当時のこの高校のスパルタぶりは突出していたと言います。

 

またこの頃に自衛隊に進んだ卒業生が、高校時代に比べると自衛隊は楽勝だったとも述べています。

 

この高校は1986年に自殺騒ぎなどなどで週刊誌で報道されたことがきっかけで、国会の国政調査が入るほどでした。

 

そして理事長が代わった1990年代にはスパルタ教育を止めており、現在は普通の学校になっています。

 

【主な卒業生】

今田耕司(お笑いタレント・中退)

 

大学には進学していない

 

そして浜田雅功さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、お笑い芸人になるために吉本総合芸能学院(NSC)に入校しています。

 

その際には印刷工として就職が決まっていた松本人志さんも誘っています。

 

数多くの人気芸人を輩出しているNSCですが、浜田さんはその第1期生で同期にはハイヒールやトミーズがいました。

 

NSCができるまでは人気漫才師に弟子入りすることがプロになるポピュラーな道でしたが、浜田さんや松本さんは誰かの弟子になってまでお笑い芸人になるつもりはなかったので、NSCの開校は願ったり叶ったりといったところでした。

 

入校当初から松本さんとお笑いコンビを組んでいますが、コンビ名は「松本・浜田」、「ひとしまさし」、「てるお・はるお」、「ライト兄弟」を経て「ダウンタウン」に落ち着いています。

 

 

当初は横山やすしさんに「お前らの漫才はチンピラの立ち話や!」と恫喝されたこともありました。

 

とは言えNSCの同期生は当初からお笑いのセンスを絶賛していました。

 

また下積み時代には生活用品を車に積んで、車内で生活していた時期もありました。

 

それでもコンビは徐々に頭角を現して、24歳の時に毎日放送の「4時ですよーだ」に出演すると関西圏でブレイクを果たしてます。

 

 

そしてその翌年の1988年10月からウッチャンナンチャンや清水ミチコさん、野沢直子さんとともに「夢で逢えたら」に出演したことで、人気も全国区となっています。

 

 

以降は「ごっつええ感じ」や「ガキの使いやあらへんで」などの冠番組も放送を開始。

 

 

その後は国内でも有数の人気お笑いコンビとなっています。

 

以上が浜田雅功さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

ダウンタウンは23歳で上京すると大ブレイクを果たし、人気も全国区となります。

 

 

以降の活躍は目覚ましく日本を代表するようなお笑いタレントになりますし、歌手や俳優としても成功を収めています。

 

 

また私生活では26歳の時に小川菜摘さんと結婚していますが、その経緯については以下のようにインタビューで話しています。

 

「面倒くさなってきて。1人で洗濯したり、飯(メシ)作ったり、それが嫌やったんですよ。誰かがやってくれたらええなあ、って。あと、金の管理。オレもう、もうたら(もらったら)もうただけ、使(つこ)ててん。誰かがちゃんと(管理)してもらわないと、どっかで(金)借りて…ってなってしまう。(中略)その時出会ったんが、今の嫁はん(小川)。任せた、みたいなとこですよ。運とタイミングもあります」

記事引用:デイリー

 

 

 

なお長男のハマ・オカモトさんはロックバンド「OKAMOTO’S」のベーシストとして活躍しています。

 

 

 

現在でも絶大な人気を誇っているので、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

浜田雅功の経歴

 

1963年(0歳):兵庫県尼崎市で生まれる

1982年(19歳):吉本総合芸能学院(NSC)に入校

1982年(19歳):松本人志とお笑いコンビ「ダウンタウン」を結成

1988年(25歳):バラエティ番組「夢で逢えたら」に出演してブレイク

1989年(26歳):冠番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が放送開始

1989年(26歳):女優の小川菜摘と結婚(二男、一女をもうける)

1991年(28歳):冠番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送開始

1995年(32歳):「WOW WAR NIGHT」が大ヒット

1997年(34歳):バラエティ番組「人気者でいこう!」のMCを担当

2000年(37歳):「ジャンクSPORTS」の司会を担当

2012年(49歳):ダウンタウン結成30周年

2021年(58歳):バラエティ「浜田が豪華ゲストと専門店で新春爆買いツアー!」のMCを担当 

 

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