お笑いコンビ「アンタッチャブル」柴田英嗣さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は柴田さんはサッカーがうまく、小学校時代には静岡県代表にも選ばれたほどです。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
柴田英嗣(しばた ひでつぐ)
1975年7月15日生
身長167㎝ 体重53kg
血液型はB型
静岡県出身のお笑いタレント
お笑いコンビ「アンタッチャブル」のツッコミ担当
本名同じ
以下では「アンタッチャブル」柴田英嗣さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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柴田英嗣の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:東海大学工業高校 機械科
出身中学校:清水市立第二中学校
出身小学校:清水市立浜田小学校
柴田英嗣の学歴~出身小学校(清水市立浜田小学校)の詳細
出身小学校:静岡県 清水市立浜田小学校
※現在は静岡市立清水浜田小学校
柴田英嗣さんの出身小学校は、公立の清水市立浜田小学校です。
家族構成は両親と姉と弟の5人家族です。
両親ともに経営者のようで若手芸人で売れていないときも親から仕送りをもらっていたため、アルバイトなどは一切していなかったそうです。
また幼少期には毎年家族旅行に行っていたそうで、伊豆や山中湖、箱根などによく行っていました。
柴田さんはいじめられっ子だった時期があるそうで、その時にボクシングを始めています。
小学3年生から6年生までの間に4回車にひかれたそうですが、怪我はしたことがなかったそうです。
加えて柴田さんは運動神経が万能で、小学校時代はバリバリのサッカー少年でした。
サッカーでは静岡県選抜に選ばれたほどです。
当時清水東高校に在籍して後にサッカー日本代表にもなる武田修宏さんに憧れて、清水FCのセレクションを受けたこともありました。
ところがそのセレクションには後にサッカーの日本代表に選ばれる田中誠選手がいて、そのドリブルテクニックを見て自信を喪失し、サッカーを辞めています。
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柴田英嗣の学歴~出身中学校(清水市立第二中学校)の詳細
出身中学校:静岡県 清水市立第二中学校 偏差値なし
※現在は静岡市立清水第二中学校
柴田英嗣さんの出身中学校は、地元静岡県清水市(現在は静岡市清水区)の公立校の第二中学校です。
この中学校に在学中は、2学年上にお笑い芸人のハリウッドザコシショウさんも在籍していました。
小学・中学時代は体操部や野球部に在籍していました。
柴田さんは中学時代から芸人を志していました。
柴田さんは高田純次さんが好きだったそうで、お笑い芸人になったきっかけについてインタビィーで次のように話しています。
「高田純次さんが万が一芸能界を辞めた時、お笑い界が終わってしまうんじゃないかなと思って、第二の高田純次さんを目指してこの世界に入った」
記事引用:日本テレビ
当時は静岡県にお笑い芸人の養成所がなかったことから中学卒業後に上京して東京の養成所に入校しようと思いましたが、後記のように親に説得されて地元の高校に進学しています。
【主な卒業生】
小沼みのり(アナウンサー)
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柴田英嗣の学歴~出身高校(東海大学工業高校)の詳細
出身高校:静岡県 東海大学工業高校 機械科 偏差値45(当時・容易)
※現在は東海大学附属静岡翔洋高校
柴田英嗣さんの出身校は、私立の共学校の東海大工業高校です。
この高校は1959年に開校した東海大学の系列の工業高校です。
また同校は1999年に同じ東海大学系列の東海大第一高校と統合して、現在は東海大学附属静岡翔洋高校となっています。
当初は高校に進学しないで上京してお笑い芸人を目指すつもりでしたが、親に「高校に行かないと東京に行かせない」と言われたことからとりあえず高校だけは出ておこうと思ってこの高校に進学しています。
柴田さんは機械科に在籍していました。
また高校時代は模型部に在籍していました。
加えて高校時代はクレープ屋でアルバイトをしており、一生懸命やっていたインタビューで話しています。
「月曜から金曜まで毎日、学校が終わったらすぐに店舗へいって、店準備からクレープ作り、販売まで一人でしていたから、とても忙しかったけれど、店に並んでくれるお客さんに喜んでほしくて、一生懸命働くことしか考えてなかった」
記事引用:TOWN WORK
ただしその際に働いていたクレープ店はサービスで安売りしすぎて潰れてしまっています。
【主な卒業生】
高木虎之介(レーシングドライバー)
大学には進学していない
柴田さんは高校卒業後に上京をしており、高校を卒業した1994年に人力舎の養成所「スクールJCA」に3期生として入所しています。
ちなみにこの養成所に入学したのは、いとこがお笑い芸人の芋洗坂係長と仲良しで、芋洗坂係長に勧められたからです。
スクールJCAの同期には山崎さん以外にも「東京03」の豊本明長さんらがいます。
また1期生上には「アンジャッシュ」の渡部建さんやダンディ坂野さんがいました。
そして同期生の山崎弘也さんとお笑いコンビ「アンタッチャブル」を結成しました。
入学当初はボケ志望でしたが、山崎さんとコンビを組んでツッコミに転向しました。
1997年に「ボキャブラ天国シリーズ」に出演したことで知名度が上がっています。
そして翌年1998年には「OWARAIゴールドラッシュⅡ」で優勝をしました。
1999年からは「爆笑オンエアバトル」に出場しており、2004年に優勝を勝ち取りました。
そして2004年に開催された「M-1グランプリ」で優勝をし、ブレイクしています。
柴田さんはこの時のことについて「必死だったのかどうかは定かではない」と話しており、純粋にお笑いを楽しんでいたようです。
2005年に一般女性と結婚して2児を設けていますが、2015年5月に離婚しています。
2010年1月より女性問題のトラブルで活動休止に追い込まれました。
再開当初の仕事がない時期には動物の知識を蓄えて、動物検定3級を取得しています。
2019年11月に「全力!脱力タイムズ」に出演した際に山崎さんがサプライズゲストとして登場し、約10年ぶりに共演して漫才を披露しました。
この時のことについて柴田さんはインタビューで「久しぶりに山崎さんの肩口を叩いた時、やっぱ感動しました」と話しています。
そして以降はコンビとして復活し活動をしており、これからは2人での立ち位置が増えるように動いて行こうと山崎さんと前向きに話しているそうです。
以上が「アンタッチャブル」柴田英嗣さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビは早い段階から注目されており、結成10年目の「M-1グランプリ」で優勝してブレイクしています。
ところが女性問題のトラブルなどにより活動休止に追い込まれ、長らくピン芸人として活動していました。
とは言え2019年からはコンビでの活動が復活しているので、今後の活動も楽しみですね。
経歴・プロフィールの詳細
1994年に人力舎の養成所に入所して、同期の山崎弘也とお笑いコンビ「アンタッチャブル」を結成。
バラエティー番組「ボキャブラ天国」に出演して知名度を上げる。
1998年に「OWARAIゴールドラッシュⅡ」で優勝。
1999年から「爆笑オンエアバトル」に出場して、2004年に優勝。
2004年のM-1グランプリで優勝してブレイクを果たす。
2010年1月より芸能活動を休業して以来、コンビとしての活動をおこなっていない。
2011年1月に活動再開以降はピンとしてバラエティー番組に出演しているほか、俳優としても活動。
2019年12月にコンビでの活動を再開。
私生活では2005年に一般人女性と結婚して2児をもうけるも、2015年5月に離婚している。
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