お笑いコンビ「くりぃむしちゅー」の有田哲平さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は有田さんは熊本県では有数の進学校の出身で、ラグビーにも打ち込んでいました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
有田哲平(ありた てっぺい)
1971年2月3日生
身長173㎝ 80kg
血液型はO型(現在は非公表)
熊本県熊本市出身のお笑いタレント
お笑いコンビ「くりぃむしちゅー」のボケ担当
本名同じ
以下ではくりぃむしちゅー・有田哲平さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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有田哲平の学歴まとめ
出身大学:立教大学 法学部(中退)
出身高校:熊本県立濟々黌高校
出身中学校:熊本大学教育学部附属中学校
出身小学校:熊本大学教育学部附属小学校
有田哲平の学歴~出身小学校(熊本大学教育学部附属小学校)の詳細
出身小学校:熊本県 熊本大学教育学部附属小学校
有田哲平さんの出身小学校は、国立の共学校の熊本大学教育学部附属小学校です。
この小学校は出身中学校に併設している系列校で、中学校へは内部進学で進んでいます。
また有田さんは系列の熊本大学教育学部附属幼稚園の出身者でもあります。
家族構成は両親と兄、弟の5人家族です。
ちなみにお兄さんは熊本市内で中学校の教師をしており、弟の有田真平さんは放送作家として活動しています。
父親は会社経営者で大学時代に会社が倒産するまでは、裕福な暮らしをしているお坊ちゃん育ちです。
ちなみに父親は広告代理店などの会社を経営していました。
意外なことに有田さんは子供の頃は病弱で、たびたび病気にかかっていました。
小学校1年生から2年生にかけては日本舞踊を習っていましたが、覚えていないそうです。
その他にも小学校時代は水泳も習っていました。
加えて有田さんは小学校時代に「お笑いスター誕生!!」などを見ており、その影響で小学校の文化祭には友達とコントを披露したこともありました。
なお当時から勉強ができたので、父親からは将来は弁護士になることを勧められていました。
有田哲平の学歴~出身中学校(熊本大学教育学部附属中学校)の詳細
出身中学校:熊本県 熊本大学教育学部附属中学校 偏差値62(やや難関)
有田哲平さんの出身中学校は、国立の共学校の熊本大学教育学部附属中学校です。
この中学校は熊本県内で最難関の中学校として知られ、卒業生の多くは難関高校に進学します。
なお高校時代は同級生だった上田さんは別の中学校に通学しています。
また有田さんは中学2年生の時にアメリカにホームステイをするなど、かなり優秀な生徒でした。
ただし中学校時代は意外にも内気で、漫画を描くのが大好きだったとのこと。
また部活動もおこなっていなかったようです。
当時の有田さんは「おニャン子クラブ」に在籍していた河合その子さんの大ファンで、コンサートにも行っていました。
【主な卒業生】
庭木櫻子(アナウンサー)
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有田哲平の学歴~出身高校(熊本県立済々黌高校)の詳細
出身高校:熊本県 済々黌高校 偏差値71(超難関)
有田哲平さんの出身高校は、県立の共学校の済々黌(せいせいこう)高校です。
同校は明治12年設立の伝統校で、県内では県立熊本高校に次ぐ難関進学校として古くから知られています。
この高校に入学するには一般受験しかなかったことから、当時の有田さんは相当の学力を備えていました。
高校時代はラグビー部に所属しており、ここで後に相方となる上田晋也さんと出会っています。
しかしラグビー部では上田さんはレギュラーでしたが、有田さんは控えでした。
そのため高校時代に試合に出場したのは、わずか1試合だけでした。
また有田さんは当時はルールもよく理解せずにラグビーをやっています。
とは言え上田さんとは高校時代から仲が良く、「一緒にバカをやっていた」とインタビューで話しています。
「そもそも高校の時に一緒にバカやって、草むらでプロレスやったりとか、先生の物まねをやったりしていた友だちでしたからね」
記事引用:ORICON
なお高校時代の有田さんはかなりモテていたことを、バラエティ番組に出演した際に明らかにしています。
体育祭やラグビー部の試合があると必ず他校から女子生徒が見に来ており、特に体育祭の時は他校の女子から弁当の差し入れがあったことから手ぶらで登校したそうです。
さらに上田さんも高校時代は有田さんの写真が女子校に出回っていたことを明らかにしています。
当時の有田さんのモテっぷりは相当だったことから、本人も「光GENJI」のようなアイドルになりたいと本気に思ったこともあったそうです。
ただし高校時代の有田さんはジャニーズではなく、吉川晃司さんのファンでした。
【主な卒業生】
財津一郎(俳優)
海原はるか(お笑い芸人)
山本恵里伽(TBSアナウンサー)
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有田哲平の学歴~出身大学(立教大学)の詳細
出身大学:立教大学 法学部(中退) 偏差値60(やや難関)
有田哲平さんは高校卒業後は、一年間の浪人生活を経て立教大学に入学します。
現役時代には明治大学法学部二部(夜間部・偏差値は40台後半)に合格しましたが、早稲田大学への進学を目指して浪人を選択しています。
早稲田を目指したのは同じく現役時代に受験に失敗して浪人することになった上田晋也さんに「一緒に早稲田を目指そう」と誘われたことがきっかけです。
しかし第一志望の早稲田大学に合格することができなかったので、立教大学に進学しました。
ちなみに一緒に浪人した上田さんは、早稲田大学教育学部(偏差値65)に合格しています。
その際には上田さんは「お前は立教が向いている」と態度を変えたそうです。
また有田さんは法学部に進学したことから、当初は弁護士になろうと思っていました。
ただし当時は超難関で知られた司法試験の参考書を見た途端に断念しています。
また有田さんは大学に馴染めずに友達もできなかったことから、毎日1人で校内の喫煙所にいたことをインタビューで明らかにしています。
「入学式からすでに、附属校出のヤツらがグループを作ってて、かわいい女の子はみんな取られてた。もうダメだ、と。そこから毎日1人で喫煙所ですよ。クラスのヤツは、ラクロスの棒とか持って、「いこーぜ!」とか言ってんのに・・・」
さらに大学時代に有田さんの父親が経営していた会社が倒産したことから、授業料も滞納することになっています。
そんな中大学3年生の時に上田さんが大学を中退して、お笑い芸人を目指していることを知ります。
実は大学入学後は上田さんとは疎遠になっていましたが、たまたま下宿に遊びにいったところ上田さんが芸能事務所に送る履歴書を書いている最中でした。
その際に上田さんに一緒にお笑いをやることを誘われており、大学生活も閉塞ぎみになっていたことから、有田さんも大学を中退してお笑い芸人を目指すことを決意しています。
なお父親にそのことを報告する際には勘当も覚悟していますが、既に実家の経済状況は困窮していたことから、父親からは「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい!」と絶賛されています。
ちなみに当時は実家も売却されており、ほどなくして両親も離婚して、父親は直後に急逝しています。
後に有田さんはバラエティ番組に出演した際に、このあたりの経緯については次のように話しています。
「大学の頃、夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が『長谷川』に変わっていた。人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安&ボロアパートに様変わりしていた」
そして21歳だった1991年に上田さんとお笑いコンビ「海砂利水魚」を結成しています。
当初は「コント山口君と武田君」の付け人を務めていました。
コンビはデビュー翌年の1992年からバラエティ番組「ボキャブラ天国」に起用され、順調な滑り出しを見せています。
ところがそのネタはツウ受けするものの一般的になかなか受け入れてもらえず、この番組でブレイクした爆笑問題やネプチューンとは対照的に不発に終わっています。
そのため不遇の時期も長く続いています。
しかし2001年にコンビ名を「くりぃむしちゅー」に改名すると、ウッチャンナンチャンの冠番組を中心に出演番組も急増。
その後に大ブレイクして、有数の人気お笑いコンビになっています。
ちなみに同時期に「バカルディ」から改名した「さまぁ~ず」も同じようにブレイクしています。
以上がくりぃむしちゅー・有田哲平さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
前記のようにコンビは本格的に売れるまでは時間がかかったものの、ブレイク後は冠番組をはじめ、多くのバラエティー番組に毎日のように出演しています。
また有田さんはお笑いのほか俳優としても活動しており、話題作の連続ドラマや映画にも出演しています。
コンビのほかにも単独でも露出が多いので、今後の動向にも注目です。
有田哲平の経歴
1971年(0歳):熊本県熊本市で生まれる
1991年(20歳):お笑いコンビ「海砂利水魚」を結成
1992年(21歳):バラエティ番組「ボキャブラ天国」に起用
2001年(30歳):コンビ名を「クリームシチュー」に改名
2016年(45歳):一般女性と結婚
2017年(46歳):「わにとかげぎす」にてテレビドラマ初主演
2020年(49歳):第一子の女児が誕生
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