人気お笑いコンビ「アンジャッシュ」の児嶋一哉さんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。ジャニーズ事務所に応募した中学時代や暗黒の高校時代など、学生時代のエピソードや当時の画像なども併せてご紹介いたします
児嶋一哉(こじま かずや)
1972年7月16日生
身長177㎝
血液型はA型
東京都八王子市出身のお笑いタレント
アンジャッシュのボケ担当
本名同じ
以下では児嶋一哉さんの学歴や出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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児嶋一哉の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立日野高校
出身中学校:八王子市立元八王子中学校
出身小学校:八王子市立弐分方小学校
児嶋一哉の学歴~出身小学校(八王子市立弐分方小学校)の詳細
出身小学校:東京都 八王子市立弐分方小学校
児嶋一哉さんの出身小学校は、地元八王子市内の公立校の弐分方(にぶかた)小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
父親の職業は内装業で、床張りの職人でした。
小学校時代のエピソード
小学校時代にはサッカーをおこなっており、地元の強豪チームに在籍しており、児嶋さんはチームでキャプテンを務めるほどでした。
また足も速く、リレーの選手を務めていました。
他にも小学生時代はバスケットボール、陸上に取り組んできました。
児嶋さんは自身の小学校時代をインタビューで次のように振り返っています。
「小学校はサッカーをやってて、運動神経もまぁまぁ良かったんです。それで足も速いほうでリレーの選手とかになる。それで体も大きかったから、ケンカも強い。そういう奴って、一目置かれるじゃないですか。だからわりとシャイだけど、目立つ存在ではありました」
記事引用:文春オンライン
また後記のように中学時代はジャニーズ事務所に履歴書を送ったほどの児嶋さんでしたが、小学校時代から「ヤンヤン歌うスタジオ」や「ザ・ベストテン」、「ザ・トップテン」などアイドルが出演していた歌番組をよく見ていました。
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児嶋一哉の学歴~出身中学校(八王子市立元八王子中学校)詳細
出身中学校:東京都 八王子市立元八王子中学校 偏差値なし
児嶋一哉さんの出身中学校は、地元八王子市内の公立校の元八王子中学校です。
中学時代のエピソード
子供の頃から運動神経がよくスポーツも得意で、中学時代は2年生まで陸上部に所属しており、長距離走をやっていました。
高校時代とは異なって、バレンタインデーにも2、3個のチョコレートをもらうほどで、本人も「まぁまぁモテた」と語っています。
(中学時代)
ジャニーズ事務所に履歴書を送っていた
また児嶋さんは中学生時代はジャニーズの近藤真彦さんに憧れたことをインタビューで明らかにしています。
「マッチですね。光GENJIさんとかはたぶん同世代ぐらいで、中学ぐらいの時に観てました。カッコいいなとか、楽しそうだなとか思ってました。でも、完全にマッチです、僕の憧れは。今、マッチさんと同じ美容室に通ってるんですよ。仕事で美容室ロケをしていたら、偶然その店からマッチさんが出て来られるのを目撃したんです。それ以来、通ってます」
記事引用:文春オンライン
そのため児嶋さんは中学時代に芸能界入りを決意して、なんとジャニーズ事務所に履歴書を送っています。
「実はジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがあるんですよ。中学の時かな。あとは、映画のオーディションとか事務所のオーディションとか、何個か行ってみたりとか。雑誌読んでたら、「原宿でスカウトされた」とかデビューした人が言ってるから、八王子からわざわざ出かけてうろちょろしてみたり」
記事引用:文春オンライン
残念ながらジャニーズ事務所からは返事は来ませんでしたが、後の芸能界入りにはつながっています。
さらに中学時代は1年間だけ勉強を頑張ったと話しており、クラスでも5番くらいの成績になったこともありました。
またその後に「夕焼けにゃんにゃん」を見て出演したとんねるずに衝撃を受けたことから、中学時代にアイドル志望からお笑い芸人志望となっています。
なお中学時代は前出のヒロミさんの妹と同級生でした。
また児嶋さんの中学時代の初恋の相手は、後にアイドルグループ「パンプキン」で活躍した小川真澄さんでした。
(小川真澄)
2014年のバラエティー番組「好きになった人」では、すでに芸能界を引退していた小川さんと再会を果たしています。
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児嶋一哉の学歴~出身高校(都立日野高校)の詳細
出身高校:東京都 日野高校 偏差値52(普通)
児嶋一哉さんの出身高校は、都立の共学校の日野高校です。
この高校は1966年開校の中堅都立高校です。
また同校は部活動が盛んで、硬式野球部やバスケットボール部は都立の強豪校として知られています。
高校時代のエピソード
児嶋さんは高校時代は友達が少なく、「地味な高校生でした」とインタビューで話しています。
後述するように中学校までは活発でしたが、高校では一変してしまったそうです。
「でも高校で一変しちゃうんです。あんまり高校に行かずにさぼっちゃって。修学旅行も文化祭も体育祭も1回も顔を出さない、ちょっと気持ち悪いやつになっちゃったんです。共学なのに女の子としゃべった記憶もない」
記事引用:文春オンライン
児嶋さんは高校時代に既に芸能界入りを決意しており高校も中退するつもりだったことから、当時はかなり斜に構えた目でクラスメイトたちを見ていたようです。
「僕の中ではもう芸能界に入ろうと決めてた。だから高校は辞めるつもりで行ってたんです、勝手に。何のあてもないんですけど。だから「文化祭とか体育祭とかではしゃいでるこいつらバカじゃない? クソガキだなぁ」とか、すっごい引いてたんですよ。やなヤツでしょ。でも芸能界目指してるとは表立って言わないんですよ。だから周りからみたら、なんだこいつ気持ち悪いって思われてたと思う」
記事引用:文春オンライン
後にお笑いコンビ「アンジャッシュ」の相方となる渡部建さんとは高校2年生からの同級生だったにも関わらず、当時はほとんど付き合いはなかったとのこと。
それどころか渡部さんは高校時代に児嶋さんにパンやジュースを買わせに行かせるなど、パシリにしていたとバラエティー番組で話しています(ただし、ネタの可能性もあり)
また渡部さんとの第一印象は最悪だったとインタビューで述べています。
「最悪の第一印象でしたね。体育の授業が終わって、渡部が横で着替えてたんですよ。その日は『少年ジャンプ』の発売日で、渡部がジャンプ買ってたみたいなんですけど、「俺のジャンプねぇな。あれ? 知らない?」みたいな話してて。そしたら、パッと俺の顔を見て、「お前ジャンプ取ったろ」って。「取ってねーよ」。これが最初の会話なんです」
記事引用:文春オンライン
とは言え児嶋さんは学校にあまり行かなかったぶん、内装業をやっていた父親の仕事を手伝っていたことをインタビューで明らかにしています。
「親父が内装業をやってて、中学と高校の時にそれを手伝ったことがあるんですよ。まあ、それで親父からお小遣いをもらっていたんで、それはアルバイトと言えばアルバイトなんですけど。内装業って結構ハードな肉体労働なんですよ。床材を剥がして、掃除して、また貼って」
記事引用:バイトル
ヒロミに弟子入りを断られていた
そして高校3年生の時には実家が近所だったお笑いタレントのヒロミさんに人づてに弟子入りを志願しています。
当時のヒロミさんはB21スペシャルの一員としてかなり売れていた頃でした。
結局高校卒業後にヒロミさんとは会っていますが、「オレなんかについてもしょうがないから自分ではじめたほうがいいよ」と言われて弟子入りは断られています。
ただしその際にはヒロミさん隣にはこれまた人気絶頂だった女優の飯島直子さんがおり、児嶋さんはヒロミさんやお笑い芸人への憧れを強くしています。
【主な卒業生】
三浦友和(俳優)
忌野清志郎(ミュージシャン)
大学には進学していない
そして児嶋一哉さんは高校卒業後は、大学に進学していません。
高校卒業後にお笑い芸人養成所に入所
ヒロミさんと会った時にヒロミさんのマネージャーから、当時の所属事務所の人力舎がお笑い芸人養成所のスクールJCAが開校することを聞いて第1期生として入校しています。
ただし当時の児嶋さんは声も小さく、面接官と目を合わせないなど「ヤバイ奴」と思われたらしく、受験生が7人だったにも関わらず、ひとりだけ補欠合格で入校しています。
当時の審査員をつとめていた斉木しげるさんには、児嶋さんはパチスロの勝率が8割あったので、「年間50万円の授業料を払っていける」と判断されての補欠合格でした。
しかも当時のスクールJCAの授業はかなり適当で、募集チラシに載っていたB21スペシャルは一度も授業に来ていません。
また大竹まことさんやきたろうさん、斉木しげるさんも当時は人力舎所属で講師を務めていましたが、大竹さんの授業については児嶋さんは次のように述べています。
「2時間の授業なんですけど、大竹さん1時間遅刻してきて(笑)。で、特に謝りもなく授業が始まって「好きなタレントと嫌いなタレントをバーッと書いてみ」って言うんですよ。それで1人1人発表する。大竹さんはフンフン聞いて、最後に「こうやって色々好き嫌いあるんだよな、じゃあ」って帰っちゃった」
記事引用:文春オンライン
(大竹まこと)
一方で斉木しげるさんに関しては実践的な授業をしてくれて、エチュードっぽいこともやってくれたと話しています。
(斉木しげる)
またスクールJCA時代の児嶋さんは、パチンコやパチスロで食べていたことをインタビューで述べています。
そして児嶋さんはこの頃から相方を探しはじめて、高校時代の同級生に電話をかけまくって、ようやく5人目だった渡部さんがコンビ結成に応じています。
児嶋さんは渡部さんを誘った際には他に断られた同級生がいたにも関わらず、「お前だけだ」と言っていた一方で、渡部さんも「児嶋にお笑い芸人ができるなら、俺にもできる」と思っていたとのこと。
こうして1994年にお笑いコンビ「アンジャッシュ」はデビューを飾っています。
ところがコンビは当初はなかなか売れずに、下積み生活も長く続きました。
その際には児嶋さんはコンビの解散も考えたほどでした。
「お笑いオンエアバトル」でブレイク
また売れっ子となるきっかけをつかんだ「お笑いオンエアバトル」ですが、第1回目は落選してネタはオンエアされませんでした。
しかしその際に後輩のお笑いコンビ「北陽」のネタを見たことで、アンジャッシュのネタの完成度の低さを悟ります。
そのため意識が変わり徹底的にネタを練り直したところ、第2回の「お笑いオンエアバトル」ではトップ合格しました。
そしてこの番組の出演を機にコンビはブレイクして、以降は数々のバラエティー番組に出演しています。
ただし2020年に渡部さんの不倫問題によってコンビは活動休止に追い込まれてしまっています。
以上が児嶋一哉さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
コンビ結成後はじわじわと人気を上げていき、「お笑いオンエアバトル」での優勝を機に人気も全国区となりました。
また俳優としても人気か高く、かなりの数の話題作のテレビドラマや映画に出演しています。
(おっさんずラブ)
加えてプロ雀士としての顔も持っており、麻雀が強豪の芸能人らが出演する麻雀番組「THEわれめでDEぽん」には13回出場して、うち6回優勝するという強さを発揮しています。
また2020年に出演したテレビドラマ「半沢直樹」で、俳優としても注目を集めています。
現在はコンビでの活動よりも単独での活動が目立ちますが、多くのメディアで精力的な活動を展開していますから、今後も楽しみです。
児嶋一哉の経歴
1972年(0歳):東京都八王子市で生まれる
1990年(18歳):タレントのヒロミに弟子入りを志願したが断られる
1991年(19歳):お笑い養成所「スクールJCA」に入校
1993年(21歳):お笑いコンビ「アンジャッシュ」を結成しデビュー
2003年(31歳):「お笑いオンエアバトル」で優勝
2008年(36歳):映画「トウキョウソナタ」にて俳優デビュー
2011年(39歳):坪井志津香と結婚
2013年(41歳):「Girls TV! feat.SUPER☆GiRLS」にてMCを担当
2016年(44歳):大河ドラマ「真田丸」に出演
2020年(48歳):YOUTUBEチャンネル「児嶋だよ!」を開設
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