人気お笑い芸人の出川哲朗さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は出川さんは実家は非常に裕福でお坊ちゃま育ちでした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
出川哲朗(でがわ てつろう)
1964年2月13日生
身長160㎝
血液型はB型
神奈川県横浜市出身のお笑いタレント
本名同じ、愛称は「てっちゃん」
以下では出川哲朗さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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出川哲朗の学歴まとめ
出身専門学校:横浜放送映画専門学校
出身高校:武相高校
出身中学校:横浜市立栗田谷中学校
出身小学校:横浜市立幸ヶ谷小学校
出川哲朗の学歴~出身小学校(横浜市立幸ヶ谷小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 横浜市立幸ヶ谷小学校
出川哲朗さんの出身小学校は、地元横浜市内の公立校の幸ヶ谷(こうがや)小学校です。
家族構成は両親と5歳年上の兄、1歳年上の姉の5人家族です。
曾祖父の三鬼鑑太郎さんは衆議院議員、大叔父の三鬼隆さんは旧日本製鉄の社長で日本経団連の2代目会長も務めたほどの人物です。
また昭和の名女優・原節子さんは遠い親戚という華麗なる血筋です。
実家は明治時代開業の老舗佃煮・海苔店の「つた金」で、裕福な家庭に育っています。
現在は出川さんのお兄さんが会社を継いでいます。
ちなみに実家では出川さんをキャラクターにした商品を発売しています。
当時はお歳暮やお中元に海苔やつくだ煮を贈るのが一般的でしたから、子供の頃は「超」のつくお金持ちでした。
家にはお手伝いさんがおり身の回りの世話をしてくれ、幼稚園にはベンツで通っていました。
ちなみに当時実家には5人のお手伝いさんを雇っており、そのうちの1人は出川さん専属だったとのこと。
意外にも幼少期は非常におとなしく、小学校時代も目立った生徒ではなかったとインタビューで話しています。
「小学校の頃は,特別目立ったり,自分からガンガン前に出るっていうタイプではなかったですね。でも,学校でブルース・リーのものまねをやったり,学校の出し物で,血のりの代わりにケチャップをお腹に付けて松田優作のものまねをして「なんじゃこりゃあ」ってやったりはしてました」
記事引用:関東弁護士連合会
子供の頃から非常に負けず嫌いで、また真面目な性格だったことから好きなことには一生懸命取り組む少年でした。
ただし小学校時代は番長格の生徒にごまをすって親しくなって、その威光で威張るなど要領のいい面もありました。
なお出川さんは小学校時代から映画が好きで、毎週「金曜ロードショー」を見ていました。
そのため小学校高学年の時に俳優に憧れています。
また当時から野球観戦が好きで、ヤクルトスワローズのファンでした。
小学校時代は英語とピアノを習っています。
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出川哲朗の学歴~出身中学校(横浜市立栗田谷中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 横浜市立栗田谷中学校 偏差値なし
出身中学校も地元横浜市内の公立校の栗田谷(くりたや)中学校です。
出川さんは出身中学校を明らかにしていませんが、インターネット上やツイッターにこの中学校の卒業生であるとの情報が多数あることからOBであることは間違いありません。
中学時代は水泳部に入部しています。
当時はまったく泳げなかったので、泳げるようになるための入部でした。
ちなみにバラエティ番組に出演した際には「中学時代には栗中のトビウオ」と言われていたと述べていますが、真偽のほどは不明です。
また出川さんは中学3年生の時に男女2人ずつで初めてのデートに行っており、当時ヒットしていたアメリカ映画の「グリース」を観ています。
しかし当時の出川さんは女子に対する免疫がまったくなかったことから、緊張でデート中は女子とはまったく話すことができませんでした。
なお出川さんは矢沢永吉さんのファンで知られていますが、著書の「成り上がり」を中学時代から読んでいます。
またこの著書の影響で、後に芸能界を目指すことになっています。
【主な卒業生】
坪倉由幸(お笑い・我が家)
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出川哲朗の学歴~出身高校(武相高校)・専門学校(横浜放送映画専門学校)の詳細
出身高校:神奈川県 武相高校 偏差値44(容易)
出川哲朗さんの出身高校は、私立の男子校の武相(ぶそう)高校です。
同校は伝統的にスポーツが盛んで、これまで多くのJリーガーやプロ野球選手を輩出しています。
出川さんは高校時代は軟式野球部に所属するなどスポーツは得意だったようです。
ただし野球部ではレギュラーになれずに補欠で、1試合も出場していないことをインタビューで話しています。
「確かに高校の野球部もずっと応援だった。『ばっちこーい! ばっちこーい!』をずっと3年間! 1試合も出ていない!」
記事引用:お笑いナタリー
なお当時の同校の軟式野球部は厳しく、上級生が登校するたびに大きな声であいさつなどをしており、このあたりは芸能界入りしてから役立ったそうです。
また当時は上級生の制服のアイロンがけや時間割を見て授業の準備も手伝っています。
高校時代はヤンキーだったようで、「キレたナイフ」と自称していますがどうやら本格的なワルではなく、見た目が先行していたようです。
(高校時代)
その一方で高校時代の成績はよく、クラスで一番の成績をとったこともありました。
なお同校の1学年下には、後にドラフト1位でプロ野球に入団し、現在ではタレントとして活動しているパンチ佐藤さんがいました。
前記のように出川さんは非常に裕福な家庭に育っていますが、高校卒業の直前に父親が小豆の先物取引とクラブの経営に失敗し億単位の借金を背負って家業も倒産直前に追い込まれています。
その際の経緯については出川さんは次のようにインタビュー話しています。
「僕の実家は海苔屋で,高校の頃まではそこをを兄貴と継ぐ予定でいたんですけど,僕が高校の頃,父が投資で失敗したんです。父は家にもあんまり帰ってこないような自由な人だったんですが,それで,家が傾いてしまって将来どうしようとなって」
ちなみにその後は実家の会社は持ち直し、現在は出川さんのお兄さんが社長を務めています。
また高校時代に家業が順調にいっていたならば出川さんは芸能界入りすることはなかったので、まさに「怪我の功名」といったところでしょう。
【主な卒業生】
堤下敦(お笑い芸人・インパルス)
そして出川哲朗さんは高校卒業後は、横浜放送映画専門学校(偏差値なし)に進学しています。
この専門学校は現在は日本映画大学(偏差値35)となっています。
同校は主に映画製作は俳優を養成する専門学校ですが、バカリズムさんや狩野英孝さんなどのお笑い芸人の出身者も多いことで知られています。
ただし出川さんはいったんは滋賀県の尼寺「月心寺」で料理を学ぶために修業に出ています。
前述のように高校時代に実家の経営が傾いたことから家計を助けるためにコネのあった京都の高級料亭で一流料理人になろうとしており、そのための前修業として尼寺に住み込みで働いています。
ただし修業を終えていざ料亭で働くかという時期に躊躇して方向転換しています。
「しばらく尼寺で修行して,じゃあ料亭に行くかという話になったんですけど,半年くらい悩みました。その料亭へ入ってしまったら,もう人生後戻りはできない。もともと料理が好きなわけではなかったし,一度きりの人生だから自分が好きなことをやりたいなと思って考えました。当時,お休みの日は,もらった小遣いで1人で映画を観に行ったりしていたので,やっぱり自分は映画が好きなんだと思って」
記事引用:yahoo!japanニュース
その後は地元の横浜に帰っていますが、お金を貯めるためにまずは自衛隊に入隊しようと思って入隊試験も受けています。
しかし親戚の叔父さんに反対されたことから、自衛隊は諦めてこの専門学校に入校しています。
なお高校時代に実家の経営が傾いていなければ、4年制大学に進学する予定でした。
同校在学時には、ウッチャンナンチャンの内村光良さんや南原清隆さんと同級生でした。
専門学校時代はお金がなかったので、働きながら学校に通学しています。
内村さんや南原さんとは専門学校時代から非常に仲が良く、一緒に新島に行ってナンパするほどでした。
また南原さんとは一緒にダンススクールにも通っていました。
ちなみに出川さんは専門学校時代はクラスのリーダー的な存在だったとインタビューで話しています。
「僕は,クラスのリーダー的存在で,みんな引き連れてディスコに行ったりしていました。僕が「ビッグになるぞー!」って声かけたら,みんなが「おー!」って言って付いてきて。その「おー!」って言う側にウッチャンナンチャンがいたはずなのに,いつの間にか立場が…(笑)」
記事引用:関東弁護士連合会
ちなみに出川さんは当初はお笑い芸人ではなく役者を目指しており、専門学校在学中に劇団「青年座」の入団試験を受けていますが不合格となっています。
また当時は映画のオーディションをたくさん受けており、渥美清さんが主演した映画「男はつらいよシリーズ」にちょい役で出演したこともありました。
卒業後にはウッチャンナンチャンを中心に劇団を旗揚げして、舞台などで活動を開始します。
当初は劇団も鳴かず飛ばすでしたが、ウッチャンナンチャンがテレビでブレイクすると状況は一変。
そのため出川さんも劇団で俳優として活動するとともに、ウッチャンナンチャンが出演するバラエティ番組にもたびたび出演して人気者となっています。
(若い頃の画像)
なお当時の出川さんはあくまでも俳優志望でお笑いをやったのは俳優になるための手段で、まずはバラエティ番組で名前を売ってその後に役者に転身するプランを考えています。
以降は体当たりの芸風がウケて人気芸人となりますが、安定した人気を誇って現在に至ります。
以上が出川哲朗さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
リアクション芸で注目されていますが、それ以降も第一線で活躍しており、数多くのバラエティー番組に出演しています。
現在でも高い人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍も期待します。
出川哲朗の経歴
1964年(0歳):神奈川県横浜市で生まれる
実家は老舗佃煮・海苔店の「つた金」
1986年(22歳):ウッチャンナンチャンらと劇団を旗揚げし活動
1986年(22歳):映画「男はつらいよ」に出演
2004年(40歳):元モデルでレースクイーンの阿部瑠理子と結婚
2004年(40歳):キャドバリー・ジャパン「メントス」にてCMデビュー
2007年(43歳):バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」に出演
2014年(50歳):地上波初の冠番組「出川哲朗のリアルガチ」の放送開始
2017年(53歳):ゴールデン帯初の冠番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」が放送開始
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