お笑いコンビ「極楽とんぼ」の加藤浩次さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は加藤さんは進学校に通学しており、学生時代はサッカーでも活躍していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
加藤浩次(かとう こうじ)
1969年4月26日生
身長176㎝
血液型はO型
北海道小樽市出身のお笑い芸人
お笑いコンビ「極楽とんぼ」のツッコミ担当
本名同じ
以下では加藤浩次さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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加藤浩次の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:道立小樽潮陵高校
出身中学校:小樽市立松ヶ枝中学校
出身小学校:小樽市立入船小学校
加藤浩次の学歴~出身小学校(小樽市立入船小学校)の詳細
出身小学校:北海道 小樽市立入船小学校
加藤浩次さんの出身小学校は、小樽市内の公立校の入船小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
ただし幼少期に両親は離婚しており、兄とともに母親に引き取られて母子家庭に育っています。
なお母親は札幌競馬場の宿舎の寮母を務めて、2人の息子を育てています。
そのため騎手の武豊さんも周知の仲で、「洗濯物をしてもらったり、お母さんに世話になった」とインタビューで話しています。
ちなみに浩次という名前は石坂浩二さんのファンだった母親が、石坂さんにちなんで名づけています。
加藤さんは生まれたのは札幌市の大谷地ですが、小学校2年生の頃に小樽市に転居してこの小学校に転校しています。
子供の頃から運動神経が万能で、小学校時代からサッカーをはじめています。
また当時は自宅の裏山でスキーもやっていました。
小学校時代から学校の成績が良く、児童会長を務めたほどの模範的な生徒でした。
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加藤浩次の学歴~出身中学校(小樽市立松ヶ枝中学校)の詳細
出身中学校:北海道 小樽市立松ヶ枝中学校 偏差値なし
加藤浩次さんの出身中学校は、地元小樽市内の公立校の松ヶ枝中学校です。
中学校時代もサッカー部に在籍しており、部活動に打ち込んでいます。
また中学時代にはサッカーの北海道選抜に選ばれたほどの実力がありました。
サッカー部では中学校時代もキャプテンを務めています。
ただし当時東京選抜と試合をした際に、後に16歳5か月という当時の最年少記録で日本サッカーリーグでデビューする菊原志郎さん(元ヴェルディ川崎)さんのプレーを見て、やる気をなくしています。
加えて中学校時代の加藤さんは親と衝突して家出をし、学校の体育館で寝たこともありました。
なお加藤さんは中学校時代から芸能界に興味があって、当時から芸能人に憧れていました。
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加藤浩次の学歴~出身高校(北海道立小樽潮陵高校)や大学の詳細
出身高校:北海道 小樽潮陵高校 偏差値60(やや難関)
加藤浩次さんの出身高校は、道立の共学校の小樽潮陵(ちょうりょう)高校です。
同校は北海道でも三番目に古い伝統校で、古くから進学校として知られています。
前記のように加藤さんは子供の頃からサッカーをやっており、高校時代もサッカー部に所属しています。
またサッカー部ではキャプテンを務めており、責任感も強いようです。
なお加藤さんは中学時代はサッカーの北海道選抜に選ばれるほどの腕前でしたが、高校時代に後に読売クラブなどで活躍する菊原志郎さんのプレーを目の当たりにして実力差に驚いています。
加えて当時は母子家庭だったことから母親は仕事で忙しくて、「高校時代の昼食はずっと菓子パンとかだった」と言っています。
なお後に母親は再婚しています。
また高校時代の加藤さんは同級生の女子をからかったり、いたずらをしていたことから同級生の女子には嫌われていました。
その反面、高校時代から男前でスポーツもできたことから、他校の女子には人気がありました。
また17歳の時には地元小樽市のタウン誌「月刊ラブおたる」内の「Nice Campus Boy」のコーナーに写真付きで掲載されたこともあるほどでした。
ただし進学校に通学していたことから、他校の男子生徒になめられていたエピソードも明らかにしています。
「俺らの高校は制服がなくて私服でした。当時、私服だったのはウチくらいでしたから、街にいても、すぐに分かるんですよ。だから、バスの席に座ってても他校の生徒から「どけや!!」と言われる。繰り返しますが、市内一番の進学校なので(笑)、そういう部分では、なめられてるところもありましたから」
記事引用:Yahoo!ニュース
しかしそのような際にも小学校時代からの知り合いで中学校の同級生の「東藤さん」の名前を出せば悠然と席に座っていられたとのこと(東藤さんはかなりの不良で名前が通っていたと思われる)
加えて加藤さんは高校時代に、好きだった女子らと数人で海に行ったことをインタビューで述べています。
「僕ほとんどサッカー部の部活だったんですけど、好きな子と何人かで海行ったことあるんですよ。海の横に使い古しのブロックみたいのあったから、それを持ってきて、たき火みたいのやろうってなった」
記事引用:サンスポ
ところがその後20歳くらいの人に「てめえ俺らのブロック盗んだだろ?」と言われたことから、好意を寄せていた女子の前で土下座をして謝ったというエピソードが残っています。
「20歳ぐらいの人らが『おい、てめえ俺らのブロック盗んだだろ』って言って。盗んだつもりじゃなかったんですよ。好きな女の子の前で、その20歳ぐらいの人たちに土下座したって思い出がありますね。『すいませんでした』って言って」
記事引用:サンスポ
【主な卒業生】
伊藤整(作家)
大学には進学していない
そして加藤浩次さんは高校卒業後は大学などに進学していません。
出身校のレベルからは大学に進学できるほどの学力を有していましたが、経済的な事情で進学できませんでした。
そのため加藤さんは高校卒業後は西濃運輸の札幌支店に就職しています。
この会社では事務員兼運転手として勤務していました。
ただし社会人時代に知り合った女性が劇団『劇団東京ヴォードヴィルショー』の元研究生だったことをきっかけに、1989年佐藤B作率いる同劇団に入団するために、会社はわずか9か月間で辞めています。
(若い頃)
ただし上京する直前に自動車事故を起こして修理代に上京資金が消えてしまいましたが、その際にも東藤さんが20万円を工面してくれたため、加藤さんは彼を「恩人」としています。
とは言え当時はお金がなかったことから東京では共同トイレ、風呂なしの家賃3万2000円の安アパートに住んでいます。
その際には銭湯代を節約するために夏場はたびたび流しで体を洗っていました。
劇団で知り合った山本圭壱さんや櫻庭博道さんとともにお笑いトリオ「極楽とんぼ」を結成しています。
櫻庭さんはすぐに抜けていますが、実は極楽とんぼは当初はトリオでした。
また加藤さんははじめてお笑いライブに出演した際に、惨敗したことをインタビューで明らかにしています。
「山本ともう一人で、渋谷の「ラ・ママ」でやってたコントライブに出始めたんです。ヘンな自信はありましたね。ものの1年でテレビぐらい出られるだろうと。面白くないと思った人が手を挙げると、そこで終了させられてしまうんです。ものの数分でダメでした。はっきり覚えてないけど、それが悔しかったんだと思います」
当初は劇団とお笑いの二足のわらじを履くつもりでしたが、この際の悔しさもあって以降は山本さんとともにお笑いに専念して劇団は退団しています。
この頃からお笑いコンビ「極楽とんぼ」として活動を開始しています。
するとコンビは1990年にバラエティ番組「新しい波」に出演した際にディレクターに見いだされ、「ナイティナイン」や「よゐこ」、光浦靖子さんらとともにバラエティー番組「とぶくすり」のレギュラーに抜擢されてブレイクを果たします。
当時はかなりの数のバラエティ番組に出演しています。
YOUTUBEにも若い頃の出演番組の画像がありました。
以降は数々のバラエティ番組に出演する人気お笑いコンビとなりましたが、2006年の山本さんの不祥事により活動を休止しています。
そのためこの年からは司会者やMCの仕事が中心になっていきます。
この年から情報番組「スッキリ」の司会者を務めています。
過激な発言でたびたび炎上することもありますが、高い人気を誇っています。
以上が加藤浩次さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
お笑いコンビ「極楽とんぼ」は活動停止となってしまいましたが(後に活動を再開)、ピン芸人として数々のバラエティ番組に出演してきました。
またトーク力があり頭の回転も速いことから、「スッキリ!」や「がっちりマンデー」などの情報番組に司会として起用されています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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おまけ~山本圭壱の学歴の詳細
山本圭壱(やまもと けいいち)
1968年2月23日生
身長168㎝
出身高校:広島県 瀬戸内高校 偏差値40(容易)
山本圭壱さんの出身校は、私立の共学校の瀬戸内高校です。
同校は伝統的に部活動が盛んで、ゴルフ部や硬式野球部が県内では強豪として知られています。
山本さんは小学校からリトルリーグで活躍し、広島市立仁保中学校から同校に進学。
同校でも野球部に在籍しましたが、わずか20日間で退部して、サッカー部に入部し直しますが、こちらも数カ月で辞めています。
その後は当時流行していたブレイクダンスに熱中し、広島平和記念公園などで踊っていました。
高校卒業後は進学せずに芸能界を目指し、ショーパブに入店し修業をしましたが、病気により広島に出戻り。
20歳の時に再上京して、劇団の研究生になって加藤さんと出会ってコンビを結成しています。
経歴/プロフィールの詳細
1989年に佐藤B作が主宰する「劇団東京ヴォ―ドヴィルショー」の研究生となる。会う。
同年に山本圭壱ともうひとりの研究生を含めてトリオ「極楽とんぼ」を結成。
その後加藤と山本は研究生を辞めたためコンビとなる。
1990年の「新しい波」に出演を契機に、バラエティー番組「とぶくすり」のレギュラーに抜擢。
1998年に「笑っていいとも」のレギュラーになって知名度が急上昇。
以降は多くのバラエティー番組に出演したが、2006年7月の山本の淫行騒動でコンビは事実上の活動停止となる。
2016年11月に山本が吉本興業に復帰して、コンビとしての活動も再開。
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