株式会社ディー・エヌ・エーの創業者で代表取締役の南場智子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は南場さんは子供の頃から父親に絶対服従で、進学先の大学も父親が決めていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
南場智子(なんば ともこ)
1962年4月21日生
身長非公表
血液型非公表
新潟県新潟市出身の実業家
株式会社ディー・エヌ・エー代表取締役会長
以下では南場智子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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南場智子の学歴まとめ
出身大学:津田塾大学 文芸学部英文学科
出身高校:新潟県立新潟高校
出身中学校:新潟市立宮浦中学校
出身小学校:新潟市立南万代小学校
南場智子の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:新潟県 新潟市立南万代小学校
南場智子さんの出身小学校は、地元新潟市内の公立校の南万代小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
父親は厳格な人だったことから、「これをやりなさい」と言われたら基本的には「はい」以外の返事はありえない世界で絶対服従だったとインタビューで話しています。
ちなみに南場さんの父親は身長180㎝で体重100㎏を超えるほどの巨漢でした。
また父親も石油卸業を営む経営者でした。
また父親は「女には教育は必要ない」という考え方の持ち主だったことから、「勉強しなさい」とは一度も言われたことがなかったようです。
そのため南場さんは教科書は学校に置きっぱなしで宿題をやった記憶もないそうです。
ただし当時から学校の成績はよかったそうです。
また子供の頃からスポーツも得意で、小学生の頃も水泳部に在籍していました。
南場智子の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:新潟県 新潟市立宮浦中学校 偏差値なし
南場智子さんの出身中学校は、地元新潟市内の公立校の宮浦中学校です。
中学時代も水泳部に在籍していました。
また中学時代は読書に耽っており、志賀直哉さんの「暗夜行路」を夢中に読んでいたとインタビューで話しています。
他にも三島由紀夫さんや太宰治さん、森鴎外さんや夏目漱石さんの作品を読んでいます。
当時は部屋の掃除中についつい本を手にしてしまい、掃除が進まないということもたびたびあったそうです。
【主な卒業生】
岡村靖幸(ミュージシャン)
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南場智子の学歴~出身高校の詳細
出身高校:新潟県 新潟高校 普通科 偏差値71(超難関)
南場智子さんの出身高校は、県立の共学校の新潟高校です。
この高校は1892年開校の伝統校で、古くから新潟県内では最上位の進学校です。
南場さんの親族は男子は県立新潟高校に、女子は新潟中央高校へ入学するしきたりで姉も同じ進路だったそうです。
しかし成績が良かった南場さんは父親から「新潟高校に行きなさい」と言われて、拍子抜けしたようですが望んでいたため嬉しかったとインタビューで述べています。
高校時代は水泳部に在籍して、部活動にも打ち込んでいます。
高校3年生の時に父親から部活動が終わる時間を聞かれたため、「分かりません」と答えると部活動を辞めさせれたそうです。
高校時代の門限は18時だったそうで、友人と喫茶店で盛り上がっていても門限を過ぎると父親から「どこに行ってたんだ」と怒られていたそうです。
喫茶店に行くことは校則で禁止されていたため友人に悪いと思い、一人で喫茶店に行っていたと嘘をつくと父親は喫茶店に電話して顧客記録を見せてほしいと迫っていたそうです。
高校3年生の時に父親に大学に行かせてもらえるかどうかを聞いたところ、新潟の大学に行くように勧められました。
そこでこれ以上耐えられないと思った南場さんは初めて父親に反抗をしたそうで、荷物をまとめて家を出ていこうとしたそうですが父親に体当たりをしたところ跳ね飛ばされてしまいました
そして益々この家を出ていきたいという思いが強くなり、母親や学校の先生も父親を説得してくれたようですが大学受験に関しては父親から次のような条件を提示されました。
「女子寮がある女子大であること。卒業後は新潟に戻り、就職は自分に任せること。ボーイフレンドをつくらない。学生運動はしないこと」
記事引用:新潟市医師会
父親はこの条件を提示した後で、津田塾大学を受けなさいと言ったそうです。
【主な卒業生】
馬場ももこ(アナウンサー)
伊藤聡子(アナウンサー)
よこざわけい子(声優)
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南場智子の学歴~出身大学の詳細
出身大学:津田塾大学 文芸学部英文学科 偏差値55(中の上・現在)
南場智子さんは高校卒業後は、津田塾大学に進学しています。
現在女子大離れでこの大学の偏差値も下落していますが、この学部学科はこの大学の看板学科で当時は偏差値65程度はあったはずです。
前記のように南場さんは厳しい父親の下で育ったことから、父親には絶対服従であったためこの大学を受験しなさいと言われて受験をしています。
父親に言われたことは絶対だったため、南場さんは滑り止めなどは受験しておらずこの大学のみ受験したそうです。
同大学の英文学科と国際関係学科を受験したところ両方合格しましたが、父親から「女なんだから英文に行きなさい」と言われて文芸学部の英文学科に進んでいます。
大学4年生の時に成績1位の人に与えられる奨学金でアメリカのブリンマー大学に1年間留学をしました。
外国へ行けば父親から自由になれるという思いで必死で勉強をして留学が実現したそうです。
留学を大反対した父親に毎日のように留学先から手紙を書いたそうで、これが後に父親とのわだかまりを取り除いたようです。
留学先から帰国する際には父親とハワイで待ち合わせをして、一緒にバカンスを楽しむことができました。
帰国後は大学5年生だったことから同級生は就職しており、悩んでいたところ声をかけてくれた先輩がマッキンゼーに就職していたこともあり、かっこ良さそうという理由で南場さんもマッキンゼーに就職をしました。
しかし仕事ができないことに痛感させられた南場さんは入社2年目では精神的にも身体的にも限界がきていたようで、今の状況から逃げ出すためにMBA取得を口実にハーバード・ビジネス・スクールに留学しています。
また南場さんは数学が得意だったため経済学を専攻して高成績で修めたことから、経済学者になる道も考えたそうです。
南場さんは2年間の留学期間を終えて再びマッキンゼーに就職しましたが、後悔をし再び転職活動をしようと思ったところにタイミングよく大きなプロジェクトを任されて大成功して大きな転機となったようです。
マッキンゼーでは34歳の若さで日本法人の役員になっています。
37歳だった1999年に起業して、株式会社ディー・エヌ・エーを設立しています。
するとITバブルの波にも乗って軒並み事業は右肩上がりになり、国内でも有数のIT企業に成長しています。
以上が南場智子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
30代後半で起業していますが、瞬く間に様々な事業を展開し、プロ野球球団を保有するほどです。
そのため女性起業家のトップランナーとも呼ばれています。
また前田裕二さんなどの若手起業家の育成にも定評があります。
前田裕二の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値と壮絶な生い立ち
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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