蜷川実花(にながわ みか)
1972年10月18日生
身長非公表
血液型非公表
東京都東久留米市出身の写真家、映画監督
本名同じ
以下では蜷川実花さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
蜷川実花の学歴~出身小学校(東久留米市立第五小学校)の詳細
出身小学校:東京都 東久留米市立第五小学校
蜷川実花さんの出身小学校は、地元東久留米市内の第五小学校です。
家族構成は両親と5歳年下の妹の4人家族です。
父親は演出家の蜷川幸雄さんで母親は女優の真山知子さんです。
幼少期までは父親が仕事が少なく、母親は女優業で多忙だったことから、父親の幸雄さんが育児を担当していました。
また父親の職業柄、子供の頃から映画や舞台に連れて行かれています。
なお両親の教育方針は自由で子供の頃からしたいことをやらせてもらったそうで、特に母親は何をしても褒めてくれたとのこと。
その反動で蜷川さんは小学校時代は好きな科目しか勉強しなかったことから、学校の成績は悪かったそうです。
蜷川実花の学歴~出身中学校(桐朋女子中学校)の詳細
出身中学校:東京都 桐朋女子中学校 偏差値60(やや難関・当時)
蜷川実花さんの出身中学校は、私立の女子校の桐朋女子中学校です。
この中学校は出身高校に併設している系列校なので、高校へは内部進学の形で進んでいます。
なお現在の同校の偏差値は50程度まで下落しており、蜷川さんが在籍していた当時のほうが遥かにレベルは上でした。
蜷川さんは中学校・高校を通じて部活動をおこなっておらず、帰宅部でした。
趣味の写真は中学生の頃からはじめたとインタビューで話しています。
「父が演出家で、表現することが当たり前の環境に育ちました。私もその影響を受け、中学生の頃からコンパクトカメラを手にして写真を撮り始めたんです」
また父親らの影響で、当時から何らかのアーティストになりたいと思っていました。
「家がそうだったっていうのもあるんですけど、絶対、何か作る人になるんだろうなって思ってましたね。お嫁さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか、1回も思ったことがなくて。表現する人になりたかったですね」
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蜷川実花の学歴~出身高校(桐朋女子高校)の詳細
出身高校:東京都 桐朋女子高校普通科 偏差値60(やや難関)
蜷川実花さんの出身校は、私立の女子校の桐朋女子高校です。
この高校は普通科のほか音楽科(男女共学)も設置しており、音楽科は名門として知られています。
蜷川さんは高校時代は画家志望で、高校1年生の時から東京藝術大学を志しており、芸大受験のための予備校にも通学していました。
ちなみに予備校に通学した際に「もう一人の自分を発見してしまった」とインタビューで述べています。
「取りあえず画家はどうかなと美術系の予備校に通い、そこで私はもう一人の自分を発見してしまった。それまでは学校の成績や点数なんて自分の人生には関係ないと思って生きてきたのに、予備校では、自由に描いていいはずの絵に点数がつく。そういうことなら負けたくないわと思って、自分でも意外なことに高得点を目指して努力を始めました」
なお父親の蜷川幸雄さんが演出家だったことから自宅に俳優や女優が多数出入りしていましたが、親からは「高校卒業までは子役などするな、自分のことはゆっくり考えろ」と言われていたので、芸能活動などとは無縁でした。
ただし当時から映画はたくさん鑑賞しています。
また当時からの趣味だった写真では、高校1年生の時にお年玉で一眼レフカメラを購入しています。
一眼レフを購入したのはピントが合わなくてもシャッターが押せるという理由からです。
加えて高校時代は文学少女でしたが、チーマー全盛期だったことから蜷川さんもそのような格好をしていたそうです。
【主な卒業生】
小谷実可子(元シンクロ選手・タレント)
城戸真亜子(タレント)
高野志穂(女優)
堂真理子(アナウンサー)
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蜷川実花の学歴~出身大学(多摩美術大学)の詳細
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出身大学:多摩美術大学 美術学部グラフィックデザイン学科 偏差値53(難関)
蜷川実花さんは高校卒業後は、多摩美術大学に進学しています。
この大学は武蔵野美術大学と並ぶ私立の美術系大学の名門で、学科試験のレベルは普通レベルですが実技試験が難しく難関大学としても知られています。
ただし蜷川さんの第一志望の大学は芸術・美術系大学の最高峰に位置する東京藝術大学でした。
現役と1年間の浪人生活の際に東京藝術大学を受験していますが、いずれも不合格になったことから諦めて多摩美術大学に進学しています。
また大学では美術学部に在籍してグラフィックデザインを専攻していますが、あまり性に合わなかったことから大学時代は以前からの趣味であった写真にどっぷりハマったとインタビューで話しています。
ちなみに大好きな写真を習うために大学に行く必要はないと考えていました。
「私の場合は、大好きな写真を習うために大学へ行く必要はないと思ったのです。「私が感じるままに押してその感情が写り込むなら、そのままいけばいいんじゃない」と。ちょっと光が足りないとか、ぼやけているとかも、私が良いと感じるならそれでいいのではないか」
そして蜷川さんは大学は卒業したものの、「気づいた時には写真家の道を選んでいました」と語っています。
大学を卒業した年には「キャノン写真新世紀・優秀賞」や「ひとつぼ展グランプリ」などを受賞しており、早くも才能の片りんを見せています。
また35歳だった2007年には「さくらん」で映画監督デビューを飾っています。
「30歳くらいの時、プロデューサーが突然やってきて「蜷川さん、映画に興味ないですか?」とオファーをいただいたのが始まりです。それまで自分で映画を撮るという選択肢を考えたことはなかったのですが、それはそれで面白そうかなと思いお受けしました。1年位どんな作品がいいかなと悩んでいたのですが、ふと思い浮かんだ作品が安野モヨコさんの『さくらん』でした」
以降は写真家や映画監督として活動する傍ら、タレントとしても数々のテレビ番組に出演しています。
2019年には「ダイナー」と「人間失格 太宰治と3人の女たち」の2本の監督作品が公開されて話題になっています。
以上が蜷川実花さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
現在では本業の写真家のほか、映画監督やタレントなどマルチな活動を展開しています。
各ジャンルで高い支持を集めている人物ですから、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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