お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。絵本作家としても活動している西野さんですが、学生時代から絵が上手でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
西野亮廣(にしの あきひろ)
1980年7月3日生
身長173㎝ 体重57kg
血液型はO型
兵庫県川西市出身のお笑い芸人、絵本作家
お笑いコンビ「キングコング」のツッコミ担当
本名同じ
以下では「キングコング」西野亮廣さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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西野亮廣の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:兵庫県立川西緑台高校
出身中学校:川西市立多田中学校
出身小学校:川西市立多田東小学校
西野亮廣の学歴~出身小学校(川西市立多田東小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 川西市立多田東小学校
西野亮廣さんの出身小学校は、地元川西市内の多田東小学校です。
家族構成は両親と兄、姉、弟の6人家族です。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
意外にも子供の頃は泣き虫でした。
ただし子供の頃から周囲を笑わせることが大好きでした。
インタビューでは小学校2年生の頃からお笑い芸人になりたかったと述べています。
「僕は小学2年ぐらいからお笑い芸人になりたかったんですよ。夜に見たテレビ番組を翌日、学校の教室で、見てない子に「こんなのやってたんだよ」とまねてみたらすごくウケました。そして、好きだった子に話しかけられたんですよ。当時は好きな子になんて話しかけられなかったのに、「そっか、面白いことをすれば向こうからきてくれるんだ、むちゃくちゃいいじゃん」って」
記事引用:朝日新聞デジタル
小学校時代から学校で同級生を相手にネタを披露していました。
また西野さんは子供の頃から運動神経が万能で、小学校時代には野球をやっています。
このような小学校時代から、当時から女子に人気があったとのこと。
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西野亮廣の学歴~出身中学校(川西市立多田中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 川西市立多田中学校 偏差値なし
西野亮廣さんの出身中学校は、地元川西市内の公立校の多田中学校です。
中学時代のエピソード
中学校時代はバスケットボール部に在籍して、主力選手として活躍しています。
また駅伝大会の際には陸上部の助っ人として出場したこともあります。
なお後に絵本作家としても活躍する西野さんですが、中学時代から漫画や絵を描くのが大好きでした。
加えて西野さんは中学校・高校時代を通じて、女子にはかなりモテたとのこと。
また西野さんは当初は中学校を卒業したらNSCに入ろうとしましたが、母親に「高校さえ出ていればそこから先はもういい」と言われたことから高校進学を目指します。
そのため中学2年生の後半から猛勉強して、後記の進学校に合格しています。
なお進学校を卒業しながら大学ではなくNSCに入学した際も、両親は反対しませんでした。
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西野亮廣の学歴~出身高校(兵庫県立川西緑台高校)・大学の詳細
出身高校:兵庫県 川西緑台高校 偏差値63(やや難関)
西野亮廣さんの出身高校は、県立の共学校の川西緑台高校です。
この高校は兵庫県川西市にある県立高校で、京都大学や大阪大学にコンスタントに合格者を送り出している進学校です。
西野さんはこの高校に一般受験で合格しており、高い学力を有していました。
※追記
当時のこの高校のレベルを知る方からご連絡があって、西野さんが入学した当時は偏差値40台前半程度との情報提供がありました。情報をご提供していただいた方には感謝申し上げます
ただし詳細は後述しますが、当初は中学卒業後は高校に進学せずに吉本総合芸能学院(NSC)に入校するつもりでした。
高校時代はハンドボール部で活躍
西野さんは高校ではハンドボール部に所属して主力選手として活躍しています。
(学生時代)
ちなみに同校のハンドボール部は県内では強豪として知られています。
ただし当時のこの高校のハンドボール部は3年生が0人で、2年生が2人しかおらず廃部寸前でした。
ハンドボールは7人制のスポーツなのですぐレギュラーになれると思い、中学時代の友人たちを誘って入部しています。
西野さんは当初は遊び半分で入部していますが、その後は本気で部活動に打ち込んで、兵庫県の育成メンバーに選ばれたほどでした。
また西野さんを含めてハンドボールに誘った仲間たちも運動神経がよかったことから、当時は兵庫県の高校リーグの5部に在籍していた同校のハンドボール部はその後は1部リーグに上がっています。
ちなみに当時のハンドボール部は監督がいましたが素人だったことから、西野さんらが選手兼監督も務めていました。
高校時代から絵がうまかった
加えて絵本作家としても活動している西野さんですが、高校時代から絵のうまさが光っていました。
ちなみに絵を本格的に習ったことはなく、すべて独学でマスターしています。
高校時代のエピソード
また西野さんは学校は大好きだったものの、成績は悪かったことをインタビューで話しています。
「学校が超好きで、毎日学校通って、ちゃんと授業聞いてるのに成績めっちゃ悪い、みたいな。でも周りの友だちは頭が良くて、友だちにはすごく恵まれていましたね」
加えて高校時代の西野さんはかなりバカなことをしていたことを明らかにしています。
「高3の時にアロンアルファにハマって、友だちと親指と人差し指をアロンアルファで何秒くっつけられるかということをやったり、カマキリ3匹の背中と背中をくっつけて、どこから攻められても負けない死角無しの最強のカマキリを作って「スゲーッ」って言ったりしてたから、もう、絶望ですよ(笑)」
また終業式の前日の夜に学校に忍び込んで、運動場の真ん中にクリスマスツリーを立てるということを3年連続でおこなっていました。
「僕の高校では12月25日が2学期の終業式なんですよ。クリスマスが終業式なのはいいなと。12月に入ると、友達が僕の家に集まって、12月24日の夜に学校に忍び込んで運動場のど真ん中にクリスマスツリーを立てるという相談をしていました。それを毎年やってたんですよ。もしも大人に見つかったらどうやって逃げるかを考えたり、まあまあ大きい木なのでワイヤーを張って倒れないようにしたり」
ちなみにその際には先生にもバレており、終業式では「心当たりのある奴は片付けておけ」と毎年言われています。
もちろん全校生徒も西野さんらの仕業ということに気づいていました。
なお高校時代には交際していた彼女がおり、マクドナルドでアルバイトをしてクリスマスに7万円の指輪をプレゼントしたエピソードも残っています。
なおイケメンでしられる西野さんは高校時代からかなり女子からモテており、バレンタインデーには40個ものチョコレートをもらったこともありました。
【主な卒業生】
田丸一男(アナウンサー)
大学には進学していない
そして西野亮廣さんは高校卒業後は大学には進学していません。
高校卒業後はお笑い芸人になるために、吉本総合芸能学院(NSC)に入学しています。
高校時代も絵画がうまかったので美術教師に美術大学への進学を勧められていますが、お笑い芸人になりたかったので大学には進んでいません。
NSCでは「ダイアン」や「南海キャンディーズ」の山里亮太さん、「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さん、なかやまきんに君らが同期の豪華な世代でした。
ダイアンのユースケさんによると、NSC時代の西野さんは早く売れようとしてギラギラしていたことをインタビューで話しています。
「売れよう感」がすごかった。西野に関していうと、キングコングの前のコンビだったと思うんですけど、コンビ名と名前を書いたプレートを首から下げてたんですよ。覚えてもらえるように。それだけでもう「こいつすげえな」と思って。僕らはネタ見せでもまだ伏し目がちで、ちょっと照れてやってるくらいの感じだったので」
当初は別の相方と「グリーングリーン」というコンビを組んでいましたが、19歳だった1999年にNSCの同期・梶原雄太さんと「キングコング」を結成しています。
梶原さんとはNSCの同期で当初から仲が良く、「グリーングリーン」の相方よりも一緒にいる時間が多かったことからコンビを組もうということになっています。
「キングコング」でブレイク
すると才能はすぐに開花して、NSC在学中で19歳の史上最年少でNHK上方お笑いコンテストで最優秀賞を受賞します。
また2001年の「M-1グランプリ」ではコンビ結成2年3か月で決勝に進出していますが(結果は7位)、こちらも大会史上最年少の記録です。
以降は数多くのテレビ番組に起用されて、人気お笑いコンビになりました。
絵本作家としても活躍
ただし2016年6月に西野さんは「芸人引退宣言」をして絵本作家に専念して、以降はコンビでの活動は休止しています。
とは言え2020年には作品の「えんとつ町のプペル」が映画化されています。
加えてYOUTUBEに開設している自身のチャンネル「西野亮廣エンタメ研究ラジオ」も好評です。
他にも実業家としても活動しているので、今後も楽しみですね。
以上が「キングコング」西野亮廣さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビ結成後は瞬く間に売れて、長らく実力派コンビとして活躍してきました。
またお笑い芸人の傍らで絵本作家としても活動しており、ベストセラーになった作品もあるほどです。
コンビの活動休止は残念ですが、マルチに活躍している人物だけに今後の活動にも注目が集まります。
西野亮廣の経歴
1980年(0歳):兵庫県川西市で生まれる
1999年(19歳):吉本総合芸能学院(NSC)に入校
1999年(19歳):梶原雄太と「キングコング」を結成
1999年(19歳):史上最年少でNHKお笑いコンテストで最優秀賞を受賞
2001年(21歳):M-1グランプリで決勝進出
2009年(29歳):初の絵本作品「Dr.インクの星空キネマ」を発売
2016年(36歳):「芸人引退宣言」をして絵本作家に専念
2019年(39歳):YOUTUBEチャンネルを開設
2020年(40歳):作品「えんとつ町のプペル」が映画化される
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