映画監督の河瀬直美さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は河瀬さんの生い立ちは複雑で、小学校時代に母方の大伯母夫妻と養子縁組をしていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
河瀬直美(かわせ なおみ)
1969年5月30日生
身長167㎝
血液型はB型
奈良県奈良市出身の映画監督
本名同じ
以下では河瀬直美さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
河瀬直美の学歴~出身小学校(奈良市立飛鳥小学校)の詳細
出身小学校:奈良県 奈良市立飛鳥小学校
河瀬直美さんの出身小学校は、地元奈良市内の公立校の飛鳥小学校です。
河瀬さんがまだ母親のお腹の中にいるときに両親は離婚をしており、母方の大伯母夫妻に育てられています。
大伯母夫妻のことは「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼んで大好きだったとのことです。
河瀬さんは両親が自身のそばに居てくれないことに対して、「どうして自分は生まれてきたのだろう」と思ったこともありました。
また父親はどこにいるのだろうというのが自身の中にずっとあったと語っています。
幼少期は父親がいなかったせいか、男性が近づくだけでも泣くほど、人見知りが激しい子供だったといいます。
河瀬さんは大伯母夫妻との生活には何の不満もなかったとのことで、このことについては次のように語っていました。
「県職員で日曜大工の得意なおじいちゃん。食卓にいつもあった、おばあちゃんが毎年漬ける赤くて酸っぱい梅干しの壺。3人でドライブした郊外のショッピングセンター。養父母との生活に、何の不満もなかった。」
小学校に入学前に新しい家庭を築いて生活が落ち着いたとのことで、母親から「一緒に暮らさないか」と聞かれました。
河瀬さんは大伯母夫妻と離れるのが耐え難かったことから、この誘いを断っています。
そして小学4年のときに大伯母夫妻と特別養子縁組をして、戸籍上も両親になりました。
また河瀬さんは子供の頃からそうめんが大好物だそうです。
河瀬直美の学歴~出身中学校(奈良市立飛鳥中学校)の詳細
出身中学校:奈良県 奈良市立飛鳥中学校 偏差値なし
河瀬直美さんの出身中学校は、地元奈良市内の公立校の飛鳥中学校です。
中学時代もバスケットボール部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。
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河瀬直美の学歴~出身高校(奈良市立一条高校)の詳細
出身高校:奈良県 一条高校 普通科 偏差値59(中の上)
河瀬直美さんの出身高校は、市立の共学校の一条高校です。
この高校は1950年開校の公立校で、進学校にも関わらずスポーツが盛んなことで知られています。
また現在の同校は普通科のほか、外国語科(偏差値63)と科学探究科(偏差値62)を設置していますが、河瀬さんが在籍した当時は普通科のみの設置でした。
この高校に在学中は1学年上に、ロックバンド「JITTERIN‘JINN」のボーカル・春川玲子さんも在籍していました。
河瀬さんは高校生の頃はバスケットボール部に在籍をしていました。
当時のこの高校の女子バスケットボール部は強豪で、バスケットボール部に入部するためにこの高校に進学しています。
河瀬さんはキャプテンとして国体に出場経験もあります。
後述するように河瀬さんは複雑な家庭環境で育っています。
女性として望むものを全て手に入れているように見えた母親に負けたくないという思いがありました。
そのため認められる存在になるために、高校時代は勉強や部活動も人一倍の努力をしていました。
高校時代の同級生は当時の河瀬さんのことについて次のように評していました。
「当時から、個性的で良い意味で変わっていて、すごくクリエイティブなことをする雰囲気だった。知識も豊富だったし、考え方も深かった」
河瀬さんはバスケットボールに打ち込んでいたことから、高校卒業後は体育大学に推薦入学の道も選択肢にありました。
しかし映画やテレビ番組の制作の道に進みたいと思ったことを明かしています。
同級生がほとんど大学への進学を決める中で、河瀬さんは専門学校に進む選択をしました。
【主な卒業生】
服部美貴(タレント)
山本健太(アナウンサー)
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河瀬直美の学歴~出身大学(大阪写真専門学校)の詳細
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出身大学:大阪写真専門学校 写真科 偏差値なし
※現在はビジュアルアーツ専門学校
河瀬直美さんは高校卒業後は、大阪写真専門学校に進学しています。
この学校は1962年開校の専門学校で、当時は写真や映像のスペシャリストを養成していました。
1994年にビジュアルアーツ専門学校に改称しており、現在は俳優やミュージシャン、声優などの育成も手掛けています。
河瀬さんは映画やテレビ番組の制作を学びたかったため、この専門学校に入学をしています。
しかし映画のことは全く分からなかったことから、必死だったといいます。
専門学校に入学後のことについて次のように話しています。
「高校時代まで優等生だった私は、専門学校に入ったらいきなり『おまえ何者や』という問いをつきつけられました。」
河瀬さんはこれまでは自分自身を抑えて生きてきましたが、映画に出会ったことで、はじめて本当の自分「私は河瀨直美や!」という思いをみつけたとのことです。
また専門学校生活についてはインタビューで次のように話していました。
「学校では自宅のある奈良と、学校の大阪とを往復する日々。3時間弱の通学のほかは、課題制作か、そのフィルム代を稼ぐために地元の居酒屋でバイトするかぐらいしか、外へもほとんど出かけなかった。」
はじめて8ミリカメラを手にした時には「ああ、なんて世界はすばらしいんだ、この一瞬一瞬を永遠に刻みたい」という思いを抱きました。
映画の神様が自身に舞い降りたとまで思ったほどです。
河瀬さんは映画に知識を必死で吸収した専門学校時代を終えて、卒業後は映像制作会社に就職をしました。
その後は母校の大阪写真専門学校の講師を務めながら、ドキュメンタリー映画を制作しています。
1997年に監督した初の商業映画「萌の朱雀」でカンヌ映画祭・新人監督賞を史上最年少(27歳)で受賞して、大きな注目を集めています。
2007年には「殯の森」がカンヌ映画祭のグランプリを受賞しています。
また2020年の東京オリンピックでは、公式記録映画の監督に起用されました。
今後の活動にも注目ですね。
以上が河瀬直美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
20代後半で映画監督として頭角を現して、数々の国際映画賞も受賞しています。
また日本国内よりも海外での評価が高く、世界中にファンがいます。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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