作家の岸田奈美さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。情報番組にコメンテーターとしてもお馴染みの岸田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
岸田奈美(きしだ なみ)
1991年7月25日生
身長非公表
血液型非公表
兵庫県神戸市出身の作家、エッセイスト
本名同じ
以下では岸田奈美さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
岸田奈美の学歴~出身大学(関西学院大学)の詳細
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出身大学:関西学院大学 人間福祉学部 偏差値55(中の上)
岸田奈美さんは高校卒業後は、私立大の関西学院大学に進学しています。
在籍したのは人間福祉学部です。
後述するように岸田さんは父親の意思を継ぎ、将来は経営者になろうと思いましたが母親が病気になって以降はかなり絶望をしています。
また岸田さんには車いすの母親に加えて、知的障害のある弟と高齢の祖母も一緒に暮らしていました。
母親のために自身ができることを探さないといけないと思って大学に入学後に、車いすで生活をしている学生と出会いました。
学生はユニバーサルデザインのコンサルティング会社を立ち上げるという話をしており、当時の岸田さんには全く分からない職業でしたが父親が残した「本に書いてへん職業に就け」という言葉に導かれるようにして「一緒にやらせてほしい」と伝えました。
そして大学1年生の時に株式会社ミライロの起業メンバーとなっており、広報部長を務めています。
この会社でのことについては次のように綴っていました。
「そこでは『雪が吹きすさぶ山の中で、ガタガタ震えながら地図を作る仕事』『国民的男性アイドルの足と腰をベルトで縛りつけ、ダンゴムシのようにする仕事』など、フットワークの軽さと貪欲な営業精神ゆえに発生する、聞いたことがない仕事をたくさん経験した。」
記事引用:ほぼ日刊イトイ新聞
また岸田さんは自身の取り組みを取り上げてもらうために「news zero」の取材で、櫻井翔さんに会社に来てもらったり、「ガイアの夜明け」に会社を独占取材してもらうなど、広報部長として努めています。
このように大学時代からビジネスマンとして活動していましたが、学業と両立させて大学は卒業しています。
28歳だった2019年にnoteの記事が反響を呼んで、翌年に作家として独立しています。
またタレントとしても活動しており、「スッキリ」や「キャスト」などの情報番組にコメンテーターとして出演しています。
今後の活動にも注目ですね。
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岸田奈美の学歴~出身高校(兵庫県立神戸鈴蘭台高校)の詳細
出身高校:兵庫県 神戸鈴蘭台高校 偏差値55~57(学科不明のため)
岸田奈美さんの出身高校は、県立の共学校の神戸鈴蘭台高校です。
この高校は2007年に県立鈴蘭台高校と県立鈴蘭台西高校が統合されて誕生した学校です。
また同校は以下の2つの学科を設置していますが、岸田さんがどちらの学科に在籍したかは不明です。
国際コミュニケーション:偏差値57
普通:偏差値55
岸田さんは高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
後述するように岸田さんは父親の死に続き、16歳の時に母親が過労による大動脈解離で倒れています。
一命はとりとめたものの、一生歩くことができない身体となり車いすユーザーとなりました。
次々と起こる不幸もあり、高校時代は勉強について行くことができずに成績はどんどん下がっていきました。
それでも大学受験の際には猛勉強して、前記の大学に合格しています。
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岸田奈美の学歴~出身中学校(神戸市立有野北中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 神戸市立有野北中学校 偏差値なし
岸田奈美さんの出身中学校は、地元神戸市内の公立校の神戸市立有野北中学校です。
中学2年生の時に学校の遠足で父親にたくさんお土産を買ってきて、帰りを遅くまで待っていました。
しかし父親は非常に疲れた顔で「今日しんどいから、お土産話は明日聞くわ」と言ったため、岸田さんは裏切られた気持ちになりそのまま父親と口喧嘩になった末に「もうええわ!死んでまえ」と言い放ってしまいました。
その翌朝に父親は過労による心筋梗塞で病院に運ばれており、2週間意識不明で亡くなっています。
岸田さんは父親が亡くなって以降は上手くいかないことばかりで、学校では友人と馴染むことができずにそわそわした状態でした。
また部活動では部員から悪口を言われるようになったことから、黙って辞めたといいます。
岸田奈美の学歴~出身小学校(神戸市立西山小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 神戸市立西山小学校
岸田奈美さんの出身小学校は、地元神戸市内の公立校の神戸市立西山小学校です。
家族構成は両親とと弟の4人家族です。
ただし前記のように父親を中学時代に亡くしています。
岸田さんは5歳の時に父親からパソコンを買い与えられています。
当時はパソコンの普及率が一般家庭で7%の時代に、Appleの初代iMacを購入してくれました。
しかし操作方法も教わらないまま、人差し指1本でタイピングをしていましたが10歳の時にタイピングコンテストに出場した際には県で優勝をしています。
岸田さんの12歳の頃の将来の夢は検察官になることでした。
このことについては次のように綴っています。
「ドラマ『HERO』の影響である。木村拓哉演じる型破りな検察官の生き様に、私は射抜かれた。ちなみに直前までは、歌手だった。安室奈美恵の影響である。」
記事引用:ほぼ日刊イトイ新聞
このように岸田さんは幼い頃から影響を受けやすかったようです。
また小学生、中学生の頃には好きなアニメの2次創作をト書きで書いたり、携帯小説を書いて投稿したこともありました。
物書きになりたいと思ったこともありましたが、大学に入る頃には諦めていました。
以上が岸田奈美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
2020年に作家に転身後は精力的に執筆活動をおこなっています。
また情報番組などでコメンテーターも務めています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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