人気女優の永作博美さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は永作さんは運動神経がよく、学生時代は部活動に励んでいました。学生時代のエピソードや情報、若い時のかわいすぎる画像なども併せてご紹介いたします
永作博美(ながさく ひろみ)
1970年10月14日生
身長156cm
血液型はB型
茨城県麻生町(現在は行方市)出身の女優、歌手
本名同じ(結婚前)
以下では永作博美さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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永作博美の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:茨城県立麻生高校
出身中学校:麻生町立麻生中学校
出身小学校:不明
永作博美の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
永作博美さんの出身小学校は、地元麻生町内の公立校のようですが校名などは不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の2校のいずれかの可能性が高いでしょう。
麻生町立麻生小学校
麻生町立麻生東小学校
※現在はいずれも行方市立
家族構成は両親と姉、妹の5人家族です(3人姉妹の次女)。
実家はイチゴ農家でした。
生まれた年に大阪万博が開催されていたので博美と名づけられています。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
永作さんは子供の頃から活発な少女で、外で遊ぶのが大好きでした。
また小学校時代は男子に混じってキャッチボールや魚釣りなどもおこなっています。
加えて当時から料理が得意で、小学校2年生の時にはじめてカレーライスを作ったほどです。
永作さんは小学校時代は陸上クラブに在籍して、長距離走などをおこなっていました。
小学校時代は学級委員長も務めていました。
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永作博美の学歴~出身中学校(麻生町立麻生中学校)の詳細
出身中学校:茨城県 麻生町立麻生中学校 偏差値なし
※現在は行方市立麻生中学校
永作博美さんの出身中学校は、地元茨城県麻生町(現在は行方市)内の公立校の麻生中学校です。
当初は私立の共学校の北浦三育中学校(偏差値45)と思われましたが、読者の方の情報提供で麻生中学校の出身者であることが判明しました(情報を提供して頂いた方には感謝申し上げます)。
中学時代のエピソード
永作さんはスポーツが得意で、中学時代はバレーボール部とソフトボール部を掛け持ちしていました。
また中学3年間にわたって好きな男子生徒がおり、バレンタインデーに手作りのチョコレートも用意しましたが結局告白できませんでした。
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永作博美の学歴~出身高校(茨城県立麻生高校)・大学の詳細
出身高校:茨城県 麻生高校 偏差値47(やや容易)
永作博美さんの出身高校は、県立の共学校の麻生(あそう)高校です。
この高校は1929年開校の県立校で、県内ではハンドボール部が強豪として知られています。
実家のイチゴ園が当時の麻生町(現行方市)にあったので、地元の高校に進学しました。
高校時代のエピソード
高校時代はバレーボール部に在籍して部活動に励んでいます。
また永作さんは高校1年生の時から野球部員の男子と交際していました。
ただしインタビューでは高校時代については「すてきな印象がない」とも話しています。
「それほど高校時代にすてきな印象が残っていないので。もちろんあの時は楽しく過ごしていましたけど、今の方がもっと楽しいと思うので、そんなには思い出すことはないです。ただ、懐かしいなぁと感じるぐらいですかね」
記事引用:シネマトゥデイ
高校3年生の時に芸能界入り
高校3年生だった1988年に父親が「オールナイトフジ」の女子校生美少女コンテストに応募して、ベストパフォーマー賞を受賞したことで芸能界入りしています。
なお当時は芸能界にあまり興味がなく、思い出作り程度の軽い気持ちでオーディションを受けています。
また高校時代の永作さんはさほど目立った芸能活動はおこなっていません。
当時は茨城県の実家から通う形で芸能活動と学業を両立していました。
なお永作さんは同校の創立80周年にあたる2009年に、記念講演をおこなっています。
高校卒業後は調理の専門学校に進学
そして永作さんは高校卒業後は、東京調理師専門学校 (偏差値なし)に進学しています。
※現東京調理製菓専門学校
高校を卒業した年にアイドルグループ「ribbon」のメンバーになっていますが、専門学校に進学しています。
またアイドルとして活動をしながら同校を卒業して調理師の免許も取得しています。
かなり多忙なはずですからこのあたりは立派ですし、まじめな性格がにじみ出ています。
またアイドルだったにも関わらず調理師免許を取得する点は、彼女の堅実な性格も現われていますね。
ちなみに永作さんは料理好きで、将来は小料理屋をやりたいとコメントしたこともありました。
アイドルグループ「ribbon」でデビュー
「ribbon」は永作さんと松野有里巳さん、佐藤愛子さんの3人組のアイドルグループで、1989年にファーストシングル「リトル☆デイト」でデビューしています。
当初は松野さんがセンターを務めていましたが、2作目から永作さんがセンターに起用されています。
24歳だった1994年に「ribbon」は解散し、この年に永作さんはテレビドラマ「陽のあたる場所」で女優デビューを飾っています。
ただし意外にも当時の永作さんは歌の仕事が好きだったので、女優の仕事にはあまり乗り気ではなかったことをインタビューで話しています。
以降は歌手から女優に華麗に転身して、数多くのテレビドラマや映画に主演してきました。
その後女優として大成したので調理師免許は必要ありませんでしたが、永作さんは現在でも売れっ子の女優としてテレビや映画で活躍中です。
私生活では2009年に映像作家でイラストレーターの内藤まろさんと結婚しています。
以上が永作博美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
アイドルとしてデビューしていますが、その後は女優に転身しています。
女優としては2011年に出演した映画「八月の蝉」で、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しています。
演技力にも定評がありますが、彼女の魅力は何といっても若さです。
いくつになっても実年齢が信じられないほど若々しさで、末永く活躍してほしいものです。
経歴・プロフィールの詳細
1988年に父親が「オールナイトフジ」の女子高生美少女コンテストに応募し、ベストパフォーマー賞を受賞して芸能界入り。
1989年に乙女塾のオーディションに合格し、松野有里巳、佐藤愛子とともにアイドルグループ「ribbon」を結成
「そばにいるね」などの楽曲がヒットしたが、1995年頃に活動休止。
「ribbon」での活動と並行して女優活動をおこない、1991年の「出会いはオンタイム」で女優デビュー。
同年にはソロとして歌手デビューし、シングル4枚とアルバム2枚を発表するも、1999年以降は歌手として活動していない。
1995年から本格的に女優業にシフトして、「青い鳥」などの話題のドラマにも多く出演。
1999年の「週末婚」で連続ドラマ初出演し、その演技が評価を受ける。
2003年に「ドッペルゲンガー」で映画初出演。
2011年の映画「八月の蝉」の演技で、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。
私生活では2009年に映像作家の内藤まろと結婚し、39歳で長男、42歳で長女を出産している。
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