女優としても歌手としても活躍する柴咲コウさんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は柴咲さんが芸能活動をはじめたのは母親の病気がきっかけでした。中学時代や高校時代の学生時代のエピソードや当時のかわいい画像なども併せてご紹介します
柴咲コウ(しばさき こう)
1981年8月5日生
身長160㎝
血液型はB型
東京都出身の女優、歌手
本名は山村幸恵、別名義はRUI、MUseK(ミュゼック)
以下では柴咲コウさんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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柴咲コウの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立板橋高校(中退)
出身中学校:豊島区立千川中学校
出身小学校:豊島区立要町小学校
柴咲コウの学歴~出身小学校(豊島区立要町小学校)の詳細
出身小学校:東京都 豊島区立要町小学校
※現在は豊島区立要小学校
柴咲コウさんの出身小学校は、豊島区内の公立校の要町(かなめちょう)小学校です。
この小学校は1999年に豊島区立平和小学校と統合されて、現在は豊島区立要小学校になっています。
家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。
(インスタグラムに投稿した幼少期の写真)
ちなみに柴咲さんが生まれたのは北海道にある日本最北端の有人の島として知られる礼文島との情報もありますが礼文島は母親の出身地で、本人も「中野区と練馬区の境にある病院で生まれた」とテレビ番組で話しています。
両親は共働きだったことから、小学生時代は「かぎっ子」でした。
柴咲さんは子供の頃から人見知りが激しく、人と話すことも苦手でした。
また小さい頃から物事をハッキリ言う性格だったので、誤解されやすかったともインタビューで述べています。
子供の頃から読書好きで、現在でも公式ブログに自分の好きな本の情報などをアップしています。
加えて柴咲さんは小学校時代から料理が好きで、インタビューでは次のように話しています。
「母は心配性で包丁を持たせてくれなかったのに対し、日曜日は料理をすると決めていた父は、どんどん手伝わせてくれました。たまのことだから楽しくて、大人になったら自分のキッチンを持って、思う存分料理がしたいって」
小学校時代はバトン部に入部してバトントワリングに励んでいます。
また小学校時代は陸上競技もやっており、当時からスポーツも大好きでした。
柴咲さんの小学校時代の夢は、保母さんか花屋さんになることでした。
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柴咲コウの学歴~出身中学校(豊島区立千川中学校)の詳細
出身中学校:東京都 豊島区立千川中学校 偏差値なし
柴咲コウさんの出身中学校は、地元豊島区内の公立校の千川(せんかわ)中学校です。
中学校時代にはバレーボール部に所属し、部活動に励んでいました。
バレーボール部ではエースアタッカーとして活躍しており、運動神経もいいようです。
14歳の時に池袋のサンシャインシティを友達と歩いているところを、現在の所属事務所のスターダストプロモーションにスカウトされています。
しかし当時は高校受験があったことや父親が芸能界入りを反対したこともあって、その時は芸能界入りしていません。
当時は母親とともに芸能事務所に面接に行き、母親は芸能界入りに前向きだったものの父親から「高校受験を終えたら考える」と言われ、芸能界入りは保留になっています。
また見た目は気の強そうな彼女ですが、実は学生時代はとても人見知りをする性格だったそうです。
なのであの美貌のわりには大人しい生徒として知られていました。
また性格は非常に優しく、打ち解ければフレンドリーに接するとのこと。
加えて当時から大人っぽく見られており、中学校時代に20代後半に間違えられたこともありました。
そのためか現在はクールビューティーとして知られる柴咲さんですが、「昔は自分の顔を好きになれなかった」ことをインタビューで述べていました。
なおトーク番組「A-Studio」に出演した際に、柴咲さんの中学時代の友人が登場して、当時から柴咲さんはカラオケが飛びぬけて上手だったことを語っています。
またその際に柴咲さん自身も中学時代はやりたいことがなく、将来はトラックの運転手などになると思っており、OLになることは想像できなかったとも話しています。
「ちなみに私は、ずっと誰かと一緒にいるのが苦手なので、長距離トラックの運転手になりたかったですね。ひとりでいる時間が長いし、きちんとスタートとゴールがあって、荷物を運ぶという目的もはっきりしている。だから、自分には合うと思っていました」
記事引用:とらばーゆ
なお中学時代の柴咲さんはバンドをやっていた男の子と交際していました。
【主な卒業生】
矢作兼(お笑い・おぎやはぎ)
横尾要(プロゴルファー)
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柴咲コウの学歴~出身高校(都立板橋高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 板橋高校(中退) 偏差値44(容易・現在)
柴咲コウさんが入学したのは、都立の共学校の板橋高校です。
この高校は1922年開校の都立高校です。
またこの高校はかつては進学校として知られていましたが、現在は進学実績が低迷しています。
なお現在よりも柴咲さんが在籍した当時のほうが、レベルは上でした。
柴咲さんは中学時代は部活動をおこなっていましたが、高校では帰宅部でした。
高校時代はそれなりに高校生活を楽しんでいたようで、当時のプリクラも残っています。
当時はそれなりに遊んでいたようで、ギャルでした。
何度かプチ家出をして父親に殴られたこともありました。
また柴咲さんは中学時代にスカウトされていますが、高校1年生の時に芸能事務所入りしています。
実は柴咲さんは芸能界にまったく興味はなかったのですが、当時は母親が末期の乳癌で闘病中だったことから、母親の治療費を工面するために芸能活動をはじめています。
「芸能活動自体もそうなんですけど、14歳でスカウトされた時は芸能界に全く興味がなかったんですよね。まさかそちら側の人間になるとは当時は思いもしなかったんですが、経済的な理由でこの業界に入ったんです」
記事引用:fashionsnap.com
残念ながら母親は柴咲さんが19歳の時に亡くなってしまいますが、とても親孝行ですね。
ただし父親は柴崎さんの芸能界入りを一貫して反対しており、この際も大反対されています。
女優デビューした際にも柴咲さんは「役者の仕事はお金を稼ぐ手段だと思ってた」とコメントしており、稼いだお金もすべて母親の入院費と治療費に充てています。
また現在でも料理が得意で知られる柴咲さんですが、高校時代に母親が入院したことで家事を引き受けており、当時から父親の食事を作っていましたからこのあたりの経験が活きているようです。
デビュー当時は短期間ですが、本名の山村幸恵で活動しています。
高校2年生の時に番宣番組の「倶楽部6」でテレビ番組に初出演しています。
ただしデビュー後は仕事に専念するために、高校を2年生限りで中退してしまっています。
そのため大学などにも進学していません。
【板橋高校の主な卒業生】
よしもとばなな(小説家)
永井豪(漫画家)
古谷一行(俳優)
山崎賢人(俳優)
片瀬那奈(女優・後に転校)
工藤静香(歌手・後に転校)
とは言え、18歳の時に出演した「ポンズ・ダブルホワイト」のCMで「ファンデーションは使っていません」というセリフで注目を集めています。
さらにその年から女優デビューを果たして、「悪いオンナ 地獄へのカクテル」でテレビドラマに初主演しています。
そして19歳だった2000年に出演した映画「バトルロワイアル」で、狂気をはらんだ女子高生役を見事に演じて女優としてブレイク。
この映画の出演の際には約800名が参加したオーディションで、出演を勝ちとっています。
前記のように柴咲はこの年に母親を亡くしていますが、この年はターニングポイントだったとインタビューで語っています。
「私の場合は19歳と25歳がポイントでしたね。19歳は厄年ということもあって、身内に死があったりと辛い時期だったけど、そこからいろんなことが動き出して、仕事がうまくいき始めた勢いのある年、辛いものがエネルギーに変わる年でした」
記事引用:とらばーゆ
さらに21歳の時に出演した映画「GO」では演技が評価されて、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞と新人賞を受賞して、人気女優としての地位を確かなものにしています。
また同じ年に歌手デビューをしており、「月のしずく」などの大ヒット曲もリリースしています。
ただし歌手デビューについては自ら望んだことではなく、当初は「やらされてる感」が強かったと述べています。
「歌手活動を始めたきっかけがラジオの企画で、歌詞も公募で決めるというものだったんです。歌を歌うことは素敵なことだと思ったけど、どうもやらされている感が大きくてスローペースになっていましたね」
記事引用:とらばーゆ
なお柴咲さんは2020年に、長年所属したスターダストプロモーションから独立して個人事務所「レトロワグラース」を立ち上げています。
その際にはYOUTUBEにも公式チャンネルを開設しています。
すると瞬く間にチャンネル登録者数は20万人を突破しています。
さらに柴咲さんは2020年に、両親の故郷である北海道に家(別荘)を建てています。
ちなみに柴咲さんの別荘があるのは旭川市近郊の東川町です。
以上が柴咲コウさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
その後の話題作の映画やテレビドラマなどに多数出演して、今や日本を代表する女優です。
また歌手としても数多くのヒット曲をリリースしています。
さらに2016年には自らの会社を設立してファッションブランドを立ち上げたり、化学調味料不使用のレトルト食品を発売するなど、実業家としての顔も持っています。
起業した際にも柴咲さんは19歳の時に母親を亡くしたことがきっかけっだったとしています。
「19歳の時に乳がんが原因で母親を亡くしたことも一つの大きなきっかけになっています。「何が原因だったのか」「何が悪かったのか」と考えて、行きついたのが「衣・食・住」。先月は化学調味料不使用のレトルト食品ブランドをリリースしたので、「衣」の部分で消費者としてただ買うだけではなく、提案する側になりたいと考えました」
しかも母親の長きにわたる闘病生活などで苦労も経験していることから、スタッフなどに対する気配りや気遣いなどでも高評価です。
さらには現在では会社を退職した父親の義孝さんと同居しており、親孝行な娘としても知られています。
人気女優となってからも決して驕らない彼女の人柄も、長きにわたって様々な作品へオファーがある理由のひとつかもしれませんね。
NHKの大河ドラマにも主演して国民的な女優となっており、今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。
柴咲コウの経歴
1981年(0歳):東京都で生まれる
1995年(14歳):スカウトをされるが芸能界入りはせず
1997年(16歳):芸能界入り
1999年(18歳):「ポンズ・ダブルホワイト」のCMに出演
1999年(18歳):「悪いオンナ 地獄へのカクテル」でテレビドラマ初主演
2000年(19歳):映画「バトルロワイアル」に出演
2000年(19歳):母親が亡くなる
2002年(21歳):日本アカデミー賞最優秀助演女優賞と新人賞を受賞
2002年(21歳):歌手デビュー
2017年(36歳):NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に主演
2020年(39歳):個人事務所「レトロワグラース」を立ち上げる
2020年(39歳):YOUTUBEチャンネルを開設
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