新海誠の学歴と経歴|出身は中央大学・野沢北高校!中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

アニメーション監督の新海誠さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「君の名は。」や「天気の子」などのヒット作で知られる新海さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

新海誠(しんかい まこと)

 

 

1973年2月9日生

身長非公表

血液型はO型

 

長野県小海町出身のアニメーション監督、小説家

本名は新津誠(にいつ まこと)

 

以下では新海誠さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

新海誠の学歴まとめ

 

出身大学:中央大学 文学部

出身高校:長野県立野沢北高校

出身中学校:小海町北相木村南相木村中学校組合立小海中学校

出身小学校:小海町立小海小学校

 

新海誠の学歴~出身小学校(小海町立小海小学校)の詳細

 

出身小学校:長野県 小海町立小海小学校

 

 

 

新海誠さんの出身小学校は、地元小海町内の公立・小海町立小海小学校です。

 

家族構成は両親と妹、弟の5人家族です。

 

実家は建設業を営んでいます。

 

小学校時代はスピードスケート部に在籍をしていました。

 

新海さんの父親は新海さんの小学校時代についてインタビューで次のように話していました。

 

「そういえば小学校4〜5年の頃、出始めたばかりのパソコンをねだったことがありました。『これ欲しい』と持ってきた広告に掲載されていたパソコンは70万円。いまでこそ、年商70億円の新津組ですが、そんな高額なもの! でも頭ごなしに否定もできない。テストでクラス1位になったらと言うと、本当に1位になってしまった。結局、半額位で買ったのかな。まだ会社にもパソコンなどないから、誠は問い合わせたり、マニュアルを見て立ち上げていた。あれが転機だったのかもしれませんね。」

記事引用:映画.net

 

またこのことについて新海さんはインタビューで次のように話しています。

 

「小学生のときには、当時出始めたばかりのパソコンを親にねだりました。テストの点数がクラスで1番になったら買ってくれると。がんばって1位になって買ってもらったパソコンは今みたいにネットにつながってもいないですし、『ファミリーコンピュータ』と違ってゲームもそんなにありません。遊ぶためには自分でゲームのプログラムを作る必要があります。僕はそれに興味があったんです。」

記事引用:朝日新聞デジタル

 

新海さんは子供の頃から本を読むことが好きで、小学校時代に出会った本の中で一番印象的だったのが乙骨淑子さんの「ピラミッド帽子よ、さようなら」でした。

 

また新海さんは子供の頃から絵を描くことも好きでした。

 

父親によれば新海さんの母親は美術展で入選するような絵を描いていたことから、このあたりは母親似とのことです。

 

新海誠の学歴~出身中学校(小海中学校)の詳細

 

出身中学校:長野県小海町 小海中学校 偏差値なし

※正式名称は小海町北相木村南相木村中学校組合立小海中学校

 

 

 

新海誠さんの出身中学校は、地元長野県小海町内の公立校・小海町立小海中学校です。

 

中学時代はバレーボール部に在籍をしており、キャプテンを務めたこともありました。

 

また中学生の頃、成績が優勝だったこともあり推薦で学級委員長も引き受けていますが、学級委員長や部長に関しては押し付けられることが多かったようです。

 

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新海誠の学歴~出身高校(野沢北高校)の詳細

 

出身高校:長野県 野沢北高校 普通科 偏差値61(やや難関)

 

 

 

新海誠さんの出身高校は、県立の共学校の野沢北高校です。

 

この高校は1901年開校の県立校で、地元では古くからの進学校として知られています。

 

また現在では普通科(偏差値61)のほか理数科(偏差値64)も設置していますが、新海さんが在籍した当時は普通科のみの設置でした。

 

新海さんは通っていた高校は制服もなく、わりと自由な学校で学校生活も楽しく過ごしていたとインタビューで話しています。

 

高校では弓道部に在籍をしており、県大会を目指して必死の練習をしていました。

 

高校時代に一番印象に残っているのが通学していた列車の中でした。

 

車窓から見える景色が非常に美しく、飽きることなくずっと眺めていました。

 

また高校時代に帰りの電車の中で片思いの子と同じ電車になり、その子が電車を降りた後に振り返ったところ「雲のむこう~」のワンシーンのように線路の上を歩いてたというエピソードがあったそうです。

 

新海さんは学生時代から恋愛は片思いで終わることが多かったことを明かしています。

 

また中学校・高校時代には海外SF小説にのめり込み、中でも「2001年宇宙の旅」などの作品で知られるイギリスのSF作家アーサー・C・クラークが好きでした。

 

科学技術が人間性も含め明るい未来をもたらす物語に魅力を感じ、彼の作品をきっかけに「人間が到達していない遠い場所に憧れを持つ」ようになりました。

 

新海さんは高校時代に卒業後の進路についてはあまり考えていなかったと話しており、当時を次のように振り返りました。

 

「ぼんやりした子どもだったので、先のことはあまり詰めて考えていませんでした。ただ東京にあこがれ、東京の大学へ進学したいと思っていました。」

記事引用:朝日新聞デジタル

 

【主な卒業生】

菊池萌水(ショートトラック選手)

 

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新海誠の学歴~出身大学(中央大学)の詳細

 

出身大学:中央大学 文学部 偏差値58(中の上)

 

 

 

新海誠さんは高校卒業後は、私立大の中央大学に進学しています。

 

在籍したのは文学部で、国文学を専攻しています。

 

大学時代はサークル「児童文学研究会」に在籍をしており、絵本を描いたり物語を考えたりしていました。

 

このサークルに入ったきっかけについてはインタビューで次のように話しています。

 

「高校生のときからあんまり勉強はできなかったけど、受験勉強の合間に自分の好きな物語を勝手に作ったりとかはしていたので、その延長という感覚でしたね。」

記事引用:あにこれ

 

新海さんは自身の学生時代についてパッとしなかったと話しており、当時のことをインタビューで次のように振り返っています。

 

「学生時代と言っても、小・中・高・大とだんだん人は変わっていくものだと思うのですが、僕はだいたい一貫して、それほどリーダーシップを発揮するというタイプでもなく、運動ができるとか勉強ができるとかでもなく、ごく普通の学生でした。絵を描くのは好きでしたが、美術部に入っていたわけでもないので、美術部の子の絵を見ると『ものすごく上手だな、すごいなー』って思っていましたね。」

記事引用:あにこれ

 

新海さんは大学時代から現在まで、ファンである村上春樹さんの作品を読み続けています。

 

大学卒業後の進路について新海さんは老舗建設会社の社長を務める父親の会社を継ぐものだと思っていました。

 

そのため父親は新海さんがすぐに家業に就くのではなく、都内の住宅メーカーの社長に新海さんを就職させてもらえるようにお願いをしていました。

 

しかし新海さんから父親に電話がかかってきて、「お父さん、ゴメン。若い時でないとできない仕事がある。だから紹介して貰った会社には……」と言われてしまったようです。

 

そして新海さんは大学卒業後は、ゲーム会社の日本ファルコムに就職をしています。

 

この会社ではロールプレイングゲームのパッケージの制作にあたったほか、帰宅後に自主アニメーションの制作もおこなっていました。

 

そのため帰宅後はAM3時までアニメーションを作り、AM6時に起床して出社するという生活をおこなっていました。

 

28歳だった2001年に会社を退職して、クリエーターに転向しています。

 

すると翌年には短編アニメ「ほしのこえ」で、監督デビューしています。

 

 

2007年に「秒速センチメートル」がロングランヒットになって、注目を集めています。

 

そして2016年に「君の名は。」が興行収入100億円を超えるほどのヒットになっています。

 

 

 

さらに2019年に監督を務めた「天気の子」が、前作に続き興行収入100億円を突破しています。

 

 

 

作品は「新海ワールド」と呼ばれる緻密な描写が持ち味で、国内ばかりではなく海外でも高く評価されています。

 

 

以上が新海誠さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

弱冠29歳でアニメーション監督としてデビューしていますが、このところは大ヒットを連発しています。

 

 

そのため宮崎駿さんらと並ぶほどの人気監督になっています。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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