今村翔吾の学歴と経歴|出身関西大学!高校や中学校の偏差値|停学になっていた!

 

直木賞作家の今村翔吾さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は今村さんは進学校に金髪で通学しており、高校時代は停学も経験していました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

今村翔吾(いまむら しょうご)

 

 

1984年6月18日生

身長非公表

血液型はA型

 

京都市木津川市出身の小説家

本名同じ

 

以下では今村翔吾さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

今村翔吾の学歴まとめ

 

出身大学:関西大学 文学部

出身高校:奈良女子大学文学部附属中等教育学校

出身中学校:奈良女子大学附属中学校

出身小学校:不明

 

今村翔吾の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

今村翔吾さんの出身小学校は不明です。

 

京都府加茂町(現在は木津川市)の出身でその後に奈良市に移住していますが、その時期が不明です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族のようです。

 

3歳年下の弟は小学6年生からダンスをはじめていたこともあり、今村さんよりも上手だったといいます。

 

母親が大量に絵本を購入しており自宅には何百冊もの量の絵本があったことから、幼少期にはかなり絵本を読んでいました。

 

しかしその割には本は嫌いでこのことについてインタビューで次のように振り返っています。

 

「小学校の時はほとんど読まなかったです。学校の課題図書も読まされている感があって、めっちゃ嫌やなーと思ってました。」

記事引用:好書好日

 

そして小学5年生のときにはじめて本を読んだそうですが、今村さんが選んだ本は池波正太郎さんの「真田太平記」でした。

 

夏休み中でしたが読み始めると面白く夏休みの間に全巻読み終えています。

 

今村さんはそこから本に嵌り、それから中学に上がる頃には読む本がないくらいたくさんの本を読んでいます。

 

このことについては次のように話しています。

 

「読書の入り口は池波正太郎先生で、そこから池波先生の本とか、司馬遼太郎先生、藤沢周平先生を読みはじめて。あとは敬称略でいうなら吉川英治、海音寺潮五郎、陳舜臣とかですね。」

記事引用:好書好日

 

また父親の影響で9歳の時からドラムをはじめています。

 

今村翔吾の学歴~出身中学校(奈良女子大学文学部附属中学校)の詳細

 

出身中学校:奈良県 奈良女子大学文学部附属中学校 偏差値66(難関)

※現在は奈良女子大学附属中等教育学校

 

 

 

今村翔吾さんの出身中学校は、国立の共学校の奈良女子大学附属中学校です。

 

前記のように今村さんは小学校時代にかなりの量の本を読んだことから、中学生の頃には読む本がなくなっていました。

 

このことについては次のように話しています。

 

「中学校くらいには読むものがほぼなくなって。それで池波先生の『男の系譜』とか、『男の作法』とかのエッセイを読んで、『どんだけ若くてもチップはしなさい』みたいなことを学びました(笑)。」

記事引用:WEB本の雑誌

 

中学2年生の時にはギターを練習しはじめています。

 

また実家がダンススクールを営んでいたため、中学3年生の時からダンスを習いはじめています。

 

今村さんは中学生の頃には歴史作家の作品を読み尽くしており、続きがないことに絶望感を味わったことから「だったら、いつか自分の望むものを書こう」と作家を志すようになりました。

 

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今村翔吾の学歴~出身高校(奈良女子大学文学部附属中等教育学校)の詳細

 

出身高校:奈良県 奈良女子大学文学部附属中等教育学校 偏差値66(難関・推定)

※現在は奈良女子大学附属中等教育学校

 

 

 

今村翔吾さんの出身高校は、国立の共学校の奈良女子大学文学部附属中等教育学校です。

 

この高校は1911年開校で、古くから地元では進学校として知られていました。

 

また今村さんが入学した2000年から中高一貫の中等教育学校に移行しています。

 

2004年に奈良女子大学附属中等教育学校に校名を改称しています。

 

今村さんは高校時代は部活動などはおこなっておらず帰宅部だったようです。

 

高校2年生の時にはじめて女子と交際をしていますが、当時の転校生でした。

 

今村さんは当時のことについて「今と違ってピュアだった」と話しています。

 

また高校では3回も停学になっており、自身の高校時代については次のように話していました。

 

「高校生のとき、金髪で無精ひげのヤバい見た目で成績もよくなかった。でも、論文系の試験では落ちたことないんよ。『論文無双』やったな」

記事引用:好書好日

これまでに読んだ本やエッセイの影響から高校生の時には生意気な男になっていたと話しており、当時のことについて次のように振り返っています。

 

「友達と旅行した時なんかに500円玉とかをポチ袋に入れて仲居さんに渡す生意気な男になっていました。蕎麦も、その地域や店によっての味があるから、つゆに全部つけても半分つけてもいいとか、人のもんを『まずい』とかいう奴は野暮やとか、鮨屋で『ガリと呼ぶな』とか『あがりと呼ぶな』とか、いまだに守ってます。」

記事引用:WEB本の雑誌

 

今村さんは高校の卒業文集には将来の夢は小説家と書いており、周囲にも宣言をしていました。

 

しかし当時は「人生経験積んで40~50歳でデビューする。それまではものにならん」と思い込んでいたと言います。

 

【主な卒業生】

西田幸治(お笑い・笑い飯)

八嶋智人(俳優)

 

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今村翔吾の学歴~出身大学(関西大学)の詳細

 

出身大学:関西大学 文学部 偏差値58(中の上)

 

 

 

今村翔吾さんは高校卒業後は、私立大の関西大学に進学しています。

 

在籍したのは文学部です。

 

今村さんは大学時代は軽音楽部に在籍をしていました。

 

前記のように今村さんは中学時代から将来は小説家を志していましたが、大学時代も小説を書いたことはありませんでした。

 

20歳くらいの時に年上の女性と交際をしており、酔った状態で「いつかやる。本気になるから」と断言しています。

 

しかし今村さんはこのことについては「一番だめなパターン。言うだけで何もせえへんやつ」と当時を振り返っています。

 

そしてある時に彼女の住んでいるアパートに行ったところ、小さなテーブルの上に「実家の事情で故郷に帰る」と置手紙があり、それとともに「あなたは絶対、何者かになれると信じています」と書いてありました。

 

それを見て今村さんは号泣をしたそうで、自分に刻み込んで生きようと思いそれから何事にも真面目に取り組むようになりました。

 

なお今村さんは大学卒業後は父親が経営していたダンス教室にインストラクターとして就職をしました。

 

当時のことについては次のように話しています。

 

「僕は長男だったし、家業を継ぐのは当然だと思っていました。ダンスの先生という立場で、おじいちゃんおばあちゃんからちびっこまで、いろんな年齢層の生徒を見てきましたが、一番多く教えてきたのが小中高の子供達です。何千人もの子どもたちと接してきた経験を元にすれば、僕にしか描けない物語になるんじゃないかと思いました。」

記事引用:小説丸

 

30歳の時にダンススクールの教え子から「翔吾君も夢を諦めたじゃん」と言われて、ダンスのインストラクターを辞めて小説を書きはじめています。

 

 

その後に大阪府守山市の埋蔵文化財調査員を経て、専業作家になっています。

 

すると36歳だった2020年に、「八本目の槍」で吉川英治文学新人賞を受賞しています。

 

 

さらに2022年1月には「塞王の楯」で直木賞を受賞して大きな注目を集めています。

 

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が今村翔吾さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

2016年に作家デビュー後はコンスタントに傑作を発表して、瞬く間に人気作家になっています。

 

2022年には直木賞も受賞しています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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