村上龍の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃の画像

 

芥川賞受賞作家で「カンブリア宮殿」などでもお馴染みの村上龍さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は村上さんは高校時代に学生運動をおこなっていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

村上龍(むらかみ りゅう)

 

 

1952219日生

身長非公表

血液型はO

 

長崎県佐世保市出身の小説家、タレント

本名は村上龍之助(むらかみ りゅうのすけ)

 

以下では村上龍さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

村上龍の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:長崎県 佐世保市立御船小学校

※現在は佐世保市立金比良小学校

 

 

村上龍さんの出身小学校は、地元佐世保市内の公立校の御船小学校です。

 

村上龍さんは、中学校の美術教師の父親と数学教師の母親のもと誕生しました。

 

 

両親が共働きだったことから、幼い頃から小学校時代にかけては祖父母が面倒を見ています。

 

両親とも教師という優れた家庭に生まれ育ったものの、幼いころから団体行動が性に合わなかったといいます。

 

そのため教師や目上の人から指示・命令されると、とにかく反発してしまう子だったそうです。

 

そんな村上龍さんは、幼稚園の頃から「お前はサラリーマンにはなれないだろう」と親や教師や近所の人に言われながら育ったといいます。

 

その経験からいつしかサラリーマンという職業を除外して将来のことを考えるようになり、小学校時代から医者を目指していました。

 

村上龍の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:長崎県 佐世保市立光海中学校 偏差値なし

 

 

村上龍さんの出身中学校は、佐世保市立光海(こうかい)中学校です。

 

中学生時代はサッカー部と陸上部に在籍しており、スポーツは好きだったようです。

 

また当時は生徒会役員も務めており、模範的な生徒でした。

 

勉強にも真面目に取り組み、学校行事にも熱心に取り組んでいたといいます。

 

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村上龍の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:長崎県 佐世保北高校 偏差値62(やや難関)

 

 

村上龍さんの出身高校は、県立の共学校の佐世保北高校です。

 

この高校は1908年開校の伝統校で、古くからの進学校として知られています。

 

高校時代はラグビー部に入部していますが練習が厳しかったことから退部して、新聞部に移っています。

 

また当時はロックバンドを結成しドラムを担当していました。

 

そして村上さんは高校3年生の夏にとんでもない出来事を引きとこすこととなります。

 

ある日、アメリカの原子力空母エンタープライズが佐世保港に入港し、全学連の入港阻止運動を目撃し、その姿に感動を覚えたたといいます。

 

さらに当時好意を抱いていた女の子が“バリケードする男の子に憧れがある”と言われたことも相まって実際にそれを真似てしまったのです。

 

高校3年生の夏頃に学校をバリケード封鎖し、その結果無期限謹慎処分となりました。

 

ただし実際には謹慎は3ヶ月で終わったそうです。

 

ちなみに村上さんの高校時代の詳細は、後に妻夫木聡さんが主演で映画化された自伝的小説『69 sixty nine』に記載されています。

 

 

また受験勉強も手につかなかったようで、当初は医学部を目指していましたが美術大学に進路を変更しています。

 

ただし美術大学は3校を受けてすべて不合格になっています。

 

【主な卒業生】

小玉ユキ(漫画家)

田島都(タレント)

 

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村上龍の学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学:武蔵野美術大学 造形学部基礎デザイン学科(中退) 偏差値47(難関)

 

 

村上龍さんは高校卒業後は、武蔵野美術大学に進学しています。

 

この大学は東京芸術大学には及ばないものの、多摩美術大学と並んで私立の芸術系大学のトップクラスに位置する大学です。

 

学科試験はさほど難しくないので偏差値は高くありませんが、実技試験が難しく難関大学として知られています。

 

村上さんは現在思想社の主宰する美学校に入学しましたが、半年で中退。

 

当時は横田基地がある東京の福生市でヒッピーのような生活をしていました。

 

そして村上さんは武蔵野美術大学に20歳の時に一般受験で入学しています。

 

当時、絵を書く事さえも受験が必要だということに疑問を抱いたそうです。

 

 

大学入学後は福生市での経験をもとに小説を書きはじめ、それが後の出世作「限りなく透明に近いブルー」です。

 

大学時代には絵を描き、それを売って生活しようと試みますが成功せず、それでも大学へはほとんど行かず絵ばかり書いていたといいます。

 

 

もちろん欠席が多すぎることから単位は取れず1年留年することとなり、1976年に5年かけてようやく4年生になりました。

 

しかしこの年に群像新人文学賞に応募した処女作「限りなく透明に近いブルー」が同賞を受賞したばかりか、芥川賞まで受賞することになります。

 

 

 

この作品によって村上さんは衝撃的な作家デビューを飾りますが、この年にエレクトーン奏者の女性と結婚し男児を授かります。

 

これを機に大学を中退した村上龍さんは、本格的な作家活動に入ることにしました。

 

その後も村上龍さんの独特な作風で次々と名作を書き上げ、コインロッカーに遺棄された孤児の破壊衝動を描いた『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞を受賞。

 

以降、自伝的作品である『69 sixty nine』、日本を弱肉強食型の社会に変革しようともくろむ秘密結社「狩猟社」の闘いを描いた『愛と幻想のファシズム』、SM嬢を過激な性表現で描いた連作『トパーズ』などを発表し、小説執筆の傍ら自作の映画化に取り組むなどの活動を行います。

 

実際に『69』の続編である『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞受賞し、同年に女子高生の援助交際を描いた『ラブ&ポップ』を発表、アニメーション監督の庵野秀明さんが実写映画化するなどして話題を呼びました。

 

2013年には、G2010から新たに電子コンテンツブランドとして「村上龍電子本製作所」を立ち上げるなど、小説家としてだけでなく電子本制作にも力を注ぎ更なる活躍の場を展開しています。

 

他にも若い頃からタレントとして「RYUS BAR」や「カンブリア宮殿」などのテレビ番組に出演しています。

 

 

そのためお茶の間にも親しまれています。

 

以上が村上龍さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

「限りなく透明に近いブルー」で小説家デビュー後は、数々のベストセラーを世に出しています。

 

またメディアへの出演も多く、たびたび情報発信もしているので世間への影響力が強い人物のひとりです。

 

 

現在でも精力的な活動を展開しているので、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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