落語家の瀧川鯉斗さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。イケメン落語家として知られる瀧川さんですが、実は暴走族の総長を務めたほどのワルでした。学生時代のエピソードや情報、当時の画像なども併せてご紹介いたします
瀧川鯉斗(たきがわ こいと)
1984年1月25日生
身長182㎝
血液型はO型
愛知県名古屋市出身の落語家
本名は小口直也(おぐち なおや)
以下では瀧川鯉斗さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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瀧川鯉斗の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:不明(中退)
出身中学校:名古屋市立御幸山中学校
出身小学校:名古屋市立八事東小学校
瀧川鯉斗の学歴~出身小学校(名古屋市立八事東小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 名古屋市立八事東小学校
瀧川鯉斗さんの出身小学校は、地元名古屋市内の公立校の名古屋市立八事(やごと)東小学校です。
家族構成は両親と兄と姉、妹の6人家族でした。
自身の幼少期について次のように話しています。
「僕は、物心がついた時から、色々なことに興味を持つ子供だったと思います。」
記事引用:HOUYHNHNM
また父親の仕事の転勤で5歳の時に北海道の札幌市澄川に住むことになったそうですが、当時は東京の友人から離れる寂しさよりも大型船フェリーに乗れることでワクワクしていたと言います。
瀧川さんは小学2年生の終わりまでは札幌市内の小学校に通学していました。
当初通学していた小学校は、以下の3校のいずれかです。
札幌市立澄川小学校
札幌市立澄川西小学校
札幌市立澄川南小学校
そして父親の転勤で母親の地元の名古屋に引っ越すことになり、同校に転入しています。
当時の心境についてインタビューで次のように話しています。
「この時の僕は、名古屋に行く興味よりも札幌の友達と別れたくないと言う気持ちの方が強く、寂しい余りに泣いてしまいました。」
記事引用:HOUYHNHNM
小学校時代にサッカーをはじめており、ユニホームが一人だけ違って目立つという理由でゴールキーパーを務めました。
小学生の頃からスポーツ少年だったそうで、インタビューで次のように話しています。
「近所の公園でサッカーや野球に夢中になっていました。ソフトボールチームやリトルリーグにも所属する、根っからのスポーツ少年でしたね」
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瀧川鯉斗の学歴~出身中学校(名古屋市立御幸山中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 名古屋市立御幸山中学校 偏差値なし
瀧川鯉斗さんの出身中学校は、地元名古屋市内の公立校の名古屋市立御幸山(みゆきやま)中学校です。
瀧川さんは出身中学校を明らかにしていませんが、中学の先輩という人物がこの中学校の出身者であることを明らかにしています。
瀧川さんは中学時代はサッカー部に在籍して、部活動にも励んでいました。
この中学校ではサッカー部ができたばっかりだったそうで、「自分たちで新しいチームを作る」と気合も入っていたそうです。
瀧川さんはゴールキーパーを務めており県代表に選ばれたこともあるほどの腕前だったそうで、名古屋グランパスユースのレギュラーにもなっています。
当時のことについては次のように話しています。
「熱中してやっていたら中学生になった時には愛知県代表のゴールキーパーになっていました。」
記事引用:HOUYHNHNM
当時の瀧川さんの将来の夢はJリーグの選手になることでした。
瀧川さんはサッカーをやりながらヤンチャなこともしていたそうですが、夜にヤンチャな仲間と遊ぶことが楽しくなってしまっていたそうです。
13歳の頃からすでに暴走族の一員として活動をしていました。
当初はサッカーのスポーツ推薦で高校に進学する予定でしたが、生活態度が悪かったので推薦を受けることができませんでした。
「県代表は、うちの中学には僕しかいなかったし、他のサッカー部の連中がサッカー推薦を受けていたので、当然、僕も推薦がもらえると思ってました。でも先生からは「お前のような授業態度が悪い奴に推薦出せるわけがないだろう」と言われまして」
記事引用:デイリー新潮
また第一志望の高校受験にも失敗して、「悪い奴ばっかりが行く高校だけ受かった」とインタビューで話しています。
【主な卒業生】
田島慎二(プロ野球・中日ドラゴンズ)
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瀧川鯉斗の学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:不明
瀧川鯉斗さんが入学した高校は不明です。
わずか1日で高校を中退しているので、本人の口から高校名が明らかにならない限り特定は困難でしょう。
瀧川さんは第一志望の高校に不合格になっていることを明らかになっています。
また進学したのは「悪い奴ばっかりが行く高校」と述べており、恐らくは当時の名古屋市内の私立の底辺校でしょう。
後述するように瀧川さんは中学時代にヤンチャな仲間と遊んでいたことから、自身のヤンチャぶりが高校の先輩たちに知れ渡っていたそうです。
当時通っていた高校についてインタビューで次のように話しています。
「その延長線上で高校に入学した時に、その高校がヤンチャオンリーな学校だったんですよ」
記事引用:スポニチ
そして入学式の日に100人くらいの先輩が瀧川さんのところに来て喧嘩をしたそうで、インタビューでは次のように振り返っています。
「本当にボコボコに殴られて大事件になって。先生に呼ばれて。会ったこともない担任に『強制退学です』って言われました」
記事引用:スポニチ
そのため瀧川さんは入学式の日に退学処分になっています。
先輩にボコボコにされたことが悔しかったため、校舎の裏で煙草を吸ったそうでそれが先生にバレて退学処分になったそうです。
瀧川さんは高校中退後は大学などにも進学していません。
その後の瀧川さんは荒れており、暴走族の天白スペクターに在籍しています。
当時は工場や建設現場でアルバイトをしながら、暴走に明け暮れています。
「現場やサーフボードのリペア(修理)、工場などで働きつつ、そのお金で好きなバイクを買いましてね、暴走に明け暮れていました。カワサキのゼファー、ホンダのCBスーパーフォア、ヤマハのXJRにカスタムパーツをつけてカッコよくして……尾頭橋(おとうばし)ってところが名古屋にありまして、そこに12時集合が仲間の暗黙の了解なんです。最低でも200台くらい集まりましたからね、楽しかったなあ」
記事引用:デイリー新潮
その頃は警察関係者にも有名な存在だったそうです。
「もう常連なんで警察の人も僕の名前を知ってて、スピーカーで呼ばれるわけですよ。本名は直也なので「直也、お前、この野郎。止まらないとパクるぞ」って脅しをかけるんです。」
記事引用:infoseek
そして17歳で暴走族「天白スペクター」の名古屋支部・総長となっています。
その際には逮捕されかけたこともあったそうです。
「岐阜で捕まりかけたことがあります。特攻服を着て何かしてたんですけど、総長っていうのは、一回捕まったら無条件で少年院行きなんですね。それはイヤなんで覆面パトカーが来たとき、とりあえず走って逃げたんです。」
記事引用:ウーマンエキサイト
ちなみに瀧川さんは逮捕歴や前科はないとのこと。
また総長時代には対立する三河地区の暴走族と100対100のにらみ合いになり、最終的には総長同士の1対1のタイマンになって瀧川さんが勝利しています。
なお当時の名古屋市内にはナイトフィーバーやホワイトパンサーなどの暴走族がありましたが基本的には仲が良く、総勢200人くらいで暴走したことがありました。
その一方で三河地区の暴走族とは仲が悪く、対立していたとのこと。
瀧川さんはこのままの生活ではダメだと思ったそうで、18歳の時に役者を目指して上京をしています。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「僕はこのままの生活ではダメだと思い、昔から映画が好きなので役者になろうと漠然と東京出てきたのは良いのですが、まずは飯が当然食べられないので、人生初めてのアルバイトをやることにしました。」
記事引用:HOUYHNHNM
ちなみに暴走族を辞める際には、周りの仲間は「総長が言うんですからわかりました」とすんなりいったそうです。
瀧川さんがアルバイトをしていたレストランの舞台で師匠の瀧川鯉昇さんが落語会をやっており、初めて落語に触れた瀧川さんは師匠の芸に惚れ込んだそうです。
そのため打ち上げの席で弟子入りを志願しています。
「打ち上げの席で『弟子にしてください!』って。師匠がひとりで何役も演じるところに感激してしまって、とにかくすぐ弟子入りしたいと。でもなんせ落語を全く知らない状態だったので、『ひとまず落語を見て、それでもやりたければまた来なさい』と言われました」
記事引用:Wantedly
そしてその後に鯉里さんに弟子入りして、本格的に落語家を目指しています。
落語家としては35歳だった2019年に、真打に昇進しています。
また瀧川さんは落語界きってのイケメンとして知られ、ファッションモデルとしても活動しています。
異色の経歴の持ち主だけに、今後の活動にも注目ですね。
以上が瀧川鯉斗さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
落語家としては順調にキャリアを重ね真打にも昇進しています。
またイケメンであるとともに異色の経歴の持ち主でもあることから、バラエティ番組などにもたびたび起用されています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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