漫画「東京都北区赤羽」で知られ人気タレント壇蜜さんと結婚した漫画家の清野とおるさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
清野とおる(せいの とおる)
1980年3月24日生
身長非公表
血液型はO型
東京都板橋区出身の漫画家
本名は清野通
以下では清野とおるさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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清野とおるの学歴まとめ
出身大学:不明
出身高校:成立高校
出身中学校:板橋区立志村第二中学校
出身小学校:板橋区立志村第四小学校
清野とおるの学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:東京都 板橋区立志村第四小学校
清野とおるさんの出身小学校は、地元板橋区内の公立校の志村第四小学校です。
意外にも清野さんは子供の頃はやんちゃで、友達も多かったそうです。
ただし当時の清野さんは迷子になると死んでまうと思い込んでいたことから、自宅から数百メートル圏内でしか遊んでいませんでした。
「小学生の頃は迷子になるのがこの世で一番怖かったです。とにかく迷子になったら餓死すると思い込んでいました。人を頼るという発想もありませんでした」
また母親は教師でしたが勉強をしろと強く言われたことはなかったことから、小学校時代は勉強を一切しなかったとインタビューで述べています。
加えて小学校時代には漫画家だった清野さんの叔父(父親の兄)が同居しており、漫画の描き方のイロハを習ったそうです。
「叔父には漫画の描き方のイロハも教えてもらいました。集中線の描き方や定規の下に10円玉を貼って線を引くとインクがにじまない、とかですね。子供の頃に漫画のテクニックを学べたのはラッキーでした」
ちなみに叔父さんは子供好きだったようで、ファミコンも買ってくれて、清野さんの部屋をしょっちゅう訪れていたとのこと。
清野とおるの学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:東京都 板橋区立志村第二中学校 偏差値なし
清野とおるさんの出身中学校は、地元東京都板橋区内の公立校の志村第二中学校です。
清野さんは中学時代はまったく勉強をしておらず、「本能のままに生きていた」と語っています。
また中学時代に給食で余ったヨーグルトを神としてトイレに祭って、「ヨーグルト教」を開祖したこともありました。
その際には信者が他のクラスまで広がって有頂天でしたが、先生にバレたため「ヨーグルト教」はあっさりと崩壊したとのこと。
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清野とおるの学歴~出身高校の詳細
出身高校:東京都 成立高校 偏差値47 or 60(現在)
※現在は成立学園高校
清野とおるさんの出身高校は、私立の男子校(当時)の成立高校です。
この高校は2004年に男女共学となって成立学園高校となっています。
また現在の同校の偏差値はスーパー特進(偏差値60)、特進(偏差値47)となっていますが、清野さんが在籍した当時のレベルはかなり低かったようです。
清野さん自身もインタビューで次のように語っています。
「流されるまま、赤羽にある男子校に進学しました。今はずいぶんかしこい学校になったようですが、僕が行ってた頃はそうでもなかったですね。その段階でやっと『もっと勉強しておけばよかった……』と後悔しました」
清野さんは高校時代は雑誌「VOW」の読者投稿コーナーに漫画の投稿をはじめています。
そして高校3年生だった1997年に「ヤングマガジン」の新人賞に投稿して、見事に入賞しています。
ただし当時はプロの漫画家になろうと強く思ってはおらず、「完全に賞金が目的だった」と述べています。
清野さんは高校3年生で「ヤングマガジン」で漫画家デビューを果たしていますが、処女作は「猿」という作品でした。
この作品は中学校に猿が転校してきますが猿か人間か判別が微妙な存在であったことから、クラスメイト達はどう接していいのかわからずに戸惑うといったシュールな作品だったとのこと。
しかしその後は「ヤングマガジン」ではネームが通らなくなったことから、「ヤングジャンプ」に移籍しています。
加えて高校時代はスーパーでアルバイトをしていますが、同じ職場で働くおばちゃんの友人が人気漫画家の押切蓮介さんのお母さんでした。
そのためパートのおばちゃん経由で押切さんの電話番号を入手して接触を図ると意気投合して、高校時代に友人になっています。
ちなみに押切さんとは高校時代から20年来の仲で、押切さんの「狭い世界のアイデンティティー」という作品の中に2人が登場しています。
【主な卒業生】
堀部圭亮(タレント)
駒野仁美(元SDN48・中退)
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清野とおるの学歴~出身大学の詳細
出身大学:不明
清野とおるさんは高校卒業後は大学に進学していますが、校名などは不明です。
また前記の出身高校のレベルなどを考えれば、さほど難しい大学ではないようです。
清野さんは大学に進学した理由については、「猶予期間がほしかった」とインタビューで述べています。
「単純に猶予期間が欲しかったんです。大学の間にちゃんとした漫画家になれたらいいなと思いました。もし大学を卒業するまでに目に見えた成果がなかったら、無難に就職でもしようと決めていました」
なお大学ではサークルやゼミに入らずに、友達もまったくいなかったそうです。
高校時代に漫画家としてデビューしていますがその後にネーム(漫画の設計図)がまったく通らなくなったことから、清野さんは大学1、2年生の時は「ヤングジャンプ」に投稿しまくっています。
その甲斐もあって大学3年生の時に不条理漫画の「青春ヒヒヒ」の連載が決まり、大学4年生だった2001年の秋から連載がはじまっています。
当時は1週間で14枚の原稿を仕上げるというかなりハードな生活を送っています。
清野さんは大学は卒業したようですが、「青春ヒヒヒ」が半年で打ち切られたことから、以降はいきなり無職となっています。
そのため実家にいるのもいたたまれなくなって、この頃に清野さんは北区の赤羽に引っ越して一人暮らしをはじめています。
「ヤングジャンプ」との専属契約も2006年に打ち切られ、持ち込みもボツが続いたことから、この頃はアルバイト生活をしています。
ところがその頃に仕事とは無関係にホームページやブログで雑記を書きはじめると反応がよく、清野さんは「日常がネタになる」と気づきました。
「プライベートで出会った、赤羽の街にいる常軌を逸した人たちを見ていると『自分が描いてる漫画よりもよっぽど面白いじゃないか』とも思いました。」
その後に「東京都北区赤羽」を発表すると、20万部以上売り上げるヒット作となっています。
連載開始時には弁当屋でアルバイトをしていましたが、この作品のヒットによりアルバイトもする必要もなくなりました。
以上が清野とおるさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
まだまだ謎が多い清野さんについてはYOUTUBEに次のような動画がありました。
前述のように不遇の時代も長らく続きましたが、28歳だった2008年から連載を開始した「東京都北区赤羽」がヒットして一躍人気漫画家となっています。
また「口の粘膜を見られたくない」という理由でマスクを常用するなどのキャラクターで注目され、「有吉ジャポン」や「タモリ俱楽部」などのバラエティ番組にも出演しています。
ちなみに清野さんのマスクなしの画像もありました。
そして2019年11月には人気タレントの壇蜜さんと結婚し、大きな話題となっています。
壇蜜の学歴|出身校大学高校や中学校の偏差値と高校時代やかわいい画像
公私ともに非常に充実しているようですから、今後の活躍にも期待ですね。
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