実業家の杉本宏之さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。女優の深田恭子との交際で話題になった杉本さんですが、実は父親に刺されるなどして18歳までに3度も死にかけています。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
杉本宏之(すぎもと ひろゆき)
1977年6月25日生
身長180㎝
血液型はA型
神奈川県川崎市出身(茨城県守谷市生まれ)の実業家
株式会社シーラホールディングス取締役会長
本名同じ
以下では杉本宏之さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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杉本宏之の学歴まとめ
出身専門学校:不動産系の専門学校
出身高校:川崎総合科学高校 情報工学科
出身中学校:不明
出身小学校:不明
杉本宏之の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
杉本宏之さんの出身小学校は、地元川崎市内の公立校のようですが校名などは不明です。
家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。
父親は不動産会社を営んでいました。
しかし杉本さんが3歳のときに、父親が経営していた不動産会社が潰れてしまっています。
もともとは経営は順調でしたが父親は「超」のつくようなワンマン社長だったため、そのやり方に反発した専務らが社員を引き連れて続々と退社したことから急激に会社が傾いて倒産してしまっています。
会社の倒産により父親は多額の借金を抱えたため、自宅も売却しています。
その後は大宮や川崎、川口などに引っ越しを繰り返したそうです。
当時は6畳一間で風呂なしのアパートで、3人暮らしをしていました。
父親は事業に失敗してしまってからまともに働かなくなり、母親のパートで生計を立てるようになったそうです。
物心ついたころはとても貧乏だったそうで次のように話しています。
「6畳一間のトイレもお風呂もない家に住み、貧乏だった記憶が残っています。幼心に見た、母が台所の流し台の洗面器に水をためて身体を拭いている姿は、今でも鮮明に目に焼きついています。」
記事引用:akipoli.com
小学生の頃には学校帰りに友人の自宅のお風呂を借りるための口実を考えていたと言います。
この頃を振り返っても「同年代でこれほど貧しい経験をした人は少ない」と話していました。
こういった貧しい経験が杉本さんのお金を稼ぎたいというパワーの源だったようです。
また杉本さんは小学2年生のときに生死をさまようほどの交通事故に遭っており、3ヶ月間入院をしてリハビリもしましたが現在でも左足の指が動かないほどの後遺症が残っています。
「小学2年のころ、さらに最悪な出来事が。私が大きな交通事故に遭ってしまったのです。左足の甲に負ったその傷はかなり深いもので、1年間の苦しいリハビリが始まりました。なんとか松葉杖がなくても歩けるようにはなりましたが、今でも私の左足の指は動かないままです」
記事引用:dreamgate.gr.jp
小学生の頃は学校の成績も良いほうで、明るく協調性のある子供だったと話しています。
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杉本宏之の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:不明
杉本宏之さんの出身中学校は、地元川崎市内の公立校のようですが校名などは不明です。
杉本さんは元々勉強はできる方でしたが、中でも文系教科は得意だったことから国語と社会は学年で1番を取ったことがあったそうです。
また中学時代は部活動も頑張っていました。
しかし中学2年生のときに家計を支えていた母親が亡くなってしまいます。
その際についてはインタビューで次のように振り返っています。
「生活を支えるために忙しく働き、自分の健康状態を顧みなかった母が倒れたのは、私が中学2年のとき。結局、末期の胃ガンに冒されていることがわかり、2カ月後に亡くなってしまいます。最愛の母がいなくなった……。そのときの悲しみは今も忘れられません」
記事引用:dreamgate.gr.jp
家計を支えていた母親が亡くなっても父親は働かなかったことから、とうとう生活保護を受けることになってしまいました。
当時の父親は不動産のブローカーのような仕事をしてひと山稼ごうと思った時期もありましたが、逆に失敗して、さらに借金を重ねています。
そして杉本さんの生活はどんどん荒れていきます。
不良グループとつるむようになり、家には帰らずにかなりやんちゃをしていたと当時を振り返っています。
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杉本宏之の学歴~出身高校(川崎市立川崎総合科学高校)・大学の詳細・3度も死にかけていた!
出身高校:神奈川県 川崎総合科学高校 情報工学科 偏差値48(やや容易)
杉本宏之さんの出身高校は、市立の共学校の川崎総合科学高校です。
この高校は1962年開校の公立校で、普通科の設置はなく科学・工業系の専門学科のみを設置しています。
また同校は以下の6つの学科を設置していますが、杉本さんは情報工学科に在籍していました。
科学:偏差値59
デザイン:偏差値48
建設工学:偏差値48
情報工学:偏差値48
総合電気:偏差値48
電子機械:偏差値48
当時の杉本さんの実家は生活保護を受けており、高校には奨学金で入学しています。
さらに高校時代は家計を支えるためにアルバイトに明け暮れていました。
前記のように杉本さんは中学時代に母親が亡くなったことがきっかけで、荒れた生活をしていましたが高校入学後はさらに荒れた生活を繰り返す日々でした。
当時はケンカが理由で学校を停学になったこともありました。
また父親とも上手くいっておらずインタビューでは次のように話しています。
「高校時代は生活もかなり苦しかったので、バイト代は家にしっかりと入れていましたが、多感な時期なので、苦しい生活が原因で父親とはよく喧嘩をしていて、いつもの口げんかがきっかけでヒートアップしてしまい、刃傷沙汰になったこともあります。」
ちなみに杉本さんが高校生の頃は、父親は定職に就かずにブラブラしています。
中学時代に遊びで不良グループに入っていましたが、このグループは次第と大きくなり組織のようになっていったそうです。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「仲間とビジョンを語ることで将来像を共有し、当時ファッション誌に掲載されたり、テレビの取材を受けたりしたことが、結果としてメンバー集客のマーケティングになっていたのかもしれません。」
記事引用:akipoli.com
気が付いたときにはこの組織の中でNo.2の地位まで上り詰めていましたが、杉本さんの中ではこんなことがしたくて不良のグループに入ったわけではないという思いがあったそうです。
また杉本さんは高校時代には「死ね死ね団」というバイクチームにも入っており、16歳の時にバイク事故に遭って死にかけています。
そして高校2年生の冬に不良グループを抜けて、大学受験のための勉強をはじめています。
ちなみに不良グループを抜けたのは、後輩の事故死がきっかけでした。
ところが杉本さんは今度は高校3年生の時に父親に刺されて死にかけています。
「台所から包丁を持ち出してきた父は「お前を殺して俺も死ぬ!」。「脅しか!刺せるもんなら刺してみろ!」と父に向って叫んだ瞬間…。私の左手から真っ赤な血が畳の上に滴り落ちているのが見えました」
実は杉本さんは「18歳になるまで3回死にかけている」とインタビューで話していますが、この時が3回目でした。
ちなみに口論のきっかけは父親が生活保護費を使い果たし、杉本さんのアルバイト代を無心したからでした。
また父親は杉本さんが社会人になった後に蒸発しています。
加えて猛勉強の末、希望の大学に補欠合格することができましたが、高校時代も奨学金でまかなっていた杉本さんにとって大学費用を払える状況ではありませんでした。
また大学時代の4年間を長すぎるとも思ったようです。
【主な卒業生】
ジェームス小野田(米米CLUB)
宮崎朝子(SHISHAMO)
そして杉本さんは合格した大学には進学せずに、高校卒業後は不動産関係の専門学校に進学しています。
進学先の専門学校の校名などの詳細は不明です。
ただし地元神奈川県には、宅建試験の資格予備校の日建学院が経営する横浜日建工科専門学校もあるのでこちらに通学した可能性もありそうです。
杉本さんは経済的にも時間的にも考えて父親の仕事でもあった不動産業界に進むと決めており、そのためには宅地建物取引主任者(宅建)の資格が必要だと思いこの専門学校に進みました。
そして専門学校に入学した年の10月には宅建の資格を取得したため、わずか半年間で専門学校を中退しています。
なお父親が不動産業界で失敗したにも関わらずこの業界を目指したのは、「父親が失敗したのは時代が悪かった。自分が働きだした時代には上向きになる」との確信があったからです。
以降は不動産会社に就職して、トップセールスマンに上り詰めています。
就職した不動産会社は投資用のワンルームマンションの販売会社で、完全歩合制だったことからサラリーマン時代からかなりの金額を稼いでいました。
杉本さんは当時のことについて次のようにインタビューで振り返っています。
「ある先輩が電話口で「はい。では、判子をご用意しておいていただけますか」と話しています。そして電話を切ったその先輩が言うのです。「よし、これで歩合45万円稼いだぜ!」と。これまで1月死ぬ気でバイトして20万円稼げば上々だった私は、「すげー、これが不動産の世界か……」と、俄然やる気になりました」
記事引用:dreamgate.gr.jp
ただし当初はなかなか契約を取り付けることができませんでした。
しかし諦めずに必死に営業の電話をかけ続けると、営業成績が向上していきました。
当時の年収はおよそ2000万円だったとのこと。
しかも年齢は22歳でした。
会社では最年少の管理職でした。
すると杉本さんは24歳だった2001年には、不動産会社エスグラントコーポレーションを創業しています。
杉本さんはその後も事業を拡大して、若くして成功を収めています。
ところが2008年にリーマンショックの影響で400億円もの負債を抱え、31歳だった2009年に民事再生法の適用を受けています。
それでも株式会社シーラホールディングスを設立すると、2016年には売上高197億円を達成してV字回復を果たしています。
加えて2021年には人気女優の深田恭子さんとの交際が発覚して、大きな話題になっています。
近いうちの結婚の噂もあり、その行方に注目が集まります(後に破局)。
また後に女優の西内まりやさんとも交際が報じられましたが、こちらも破局しています。
以上が杉本宏之さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
かなり浮き沈みの激しい人生を送っていますが、2010年にシーラホールディングスを創業して再起に成功しています。
またこのところは女優の深田恭子さんとの交際が大きな話題になっています。
今後のさらなる活躍にも期待ですね。
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